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EP2

 モルドのダンジョンでの悲劇から、数日が経過していた。


 あれは、確かに悲劇と呼ぶほかない出来事だった。

 死傷者は二十名近くに及び、生還した生徒の多くが心に深い傷を負っていた。

 アカデミー全体が沈痛な空気に包まれ、いつもの穏やかで退屈だった日常は、まるでどこかへ消え失せてしまったかのようだった。


 レミーユ・ヴェルシュもまた、その余波の中にいた。


 イレギュラーの脅威は、アカデミーの責任問題へと飛び火した。生徒と講師の死、演習管理の甘さ、そして“誰が討伐したのか”という点で、焦点は一人の生徒へ向いた。

 ——アーサー。


 調査と称して連日開かれた聴聞会では、彼が疑いの中心に置かれた。

 だが、それは真相を追い求めるためではない。

 責任を押し付けるにふさわしい立場ゆえの犠牲だった。


 ただ、結局のところ、アカデミー側は彼に責任を押し付けることはできなかった。

 それもそのはず、これまで虐げてきた落ちこぼれの少年一人がイレギュラーモンスターを討伐したとなれば、死んでいった生徒や講師のメンツを保てないからだ。あれ以来、アカデミーに対する貴族の風当たりが強くなっていたので、ただ一人に責任を押し付けるのは簡単ではなかった。


 それらを踏まえて、アカデミーはやむなく判断を下す。


「一人の生徒がイレギュラーモンスターを討伐することなど現実的ではない」


 そう“推定”し、事件は不問とされた。


 そして、真実は闇に葬られた。


 アーサーの名はどの報告書にも記されることはなく、功績の全ては死亡した講師や生徒の“最後の奮闘”としてまとめられた。


 事実とは異なる。

 レミーユは、問題の当事者として、その場にいて、それを見ていた。

 あの深層で、血の海の中にただ一人立ち尽くしていた、あの背中を忘れることはない。


 



 その夜、彼女はアーサーを呼び出した。


 人気のない深夜。場所は寮舎裏の木陰。

 風に揺れる草の音と虫の囁きだけが耳に届く。


 石造りのベンチに腰かけたレミーユは、膝の上で手を組んだままじっと彼を待っていた。

 今日をもってアーサーへの聴聞が最後であることは、すでに聞いていた。

 話さなければならない。感謝を、謝罪を、そして、もう一つの“決意”を。


 それからしばし風に吹かれていると、近づいてくる人影が見えた。


「……ヴェルシュ、待たせたな」


 レミーユが聞き慣れた声に顔を上げると、いつも通りの、いや、以前より疲れ切ったような顔をしたアーサーが立っていた。


「いえ、今来たところです」


 微笑んで返しながら、レミーユは彼を隣に誘う。


「ベンチにでも座って、ゆっくりお話ししませんか」


「……ああ」


 アーサーは短く答え、彼女の隣に腰を下ろす。


 しばしの静寂の後、レミーユは口を開いた。


「本日の朝、貴方が討伐したイレギュラーモンスターの推定ランクが発表されました。ご存知ですか?」


「いや、知らないな」


 まるで興味がなさそうな返事だった。


「推定で、B~Aランク。上級魔族に相当する力だそうです」


「……そうか」


 アーサーの態度は終始淡白で、それが余計に胸に刺さった。

 レミーユは何もできなかった自分に嫌気がさしていた。


 上級魔族——それは、この世界における魔族階級の最上位に属する存在。


 中級魔族とは一線を画す圧倒的な戦闘能力を有し、その存在一体のみで辺境の集落を壊滅に追いやるだけの力を持つ。

 知性も高く、人語を解する者も珍しくなく、ただの獣とは違い、明確な意志と戦術をもって人間を屠る。


 その脅威度は、王国が定める脅威等級において“B~Aランク相当”。

 アカデミーの講師陣の中でも、実戦経験のある者が複数名揃わなければ太刀打ちできない相手であり、生徒単独での討伐は“まず不可能”とされている。


 実際、セイクリッド・アカデミー内では、上級魔族を相手にした実戦演習は行われたことがなく、対処法については座学で理論的に教わるのみだ。


 そのため、モルドのダンジョンに突如として現れた上級魔族級のイレギュラー個体は、あまりにも現実離れした脅威だった。


 ──それを、アーサーは単騎で討ち果たしたのだ。


「……あの悲劇は、貴方の責任にはなりませんでした。聴聞会の最終判断も聞きました。討伐したのは、死亡した講師や生徒たち、と結論付けられたそうです」


「そうだな」


 それでも、彼は何も言わなかった。


「……どうしてですか」


「何が?」


「どうして、もっと誇らしげに振る舞わないのですか。あれほどの脅威を討伐したというのに、なぜ胸を張らないのですか。どうして皆に伝えないのですか……?」


 レミーユの声が震えた。


 あの日、血の海の中心に立ち尽くしていたアーサーの背中を思い出す。どんな(そし)りにも、罵声にも、顔を上げることなく祈るように剣を握っていたあの姿を。

 なぜ、彼が傷つかねばならないのか。

 なぜ、誰も気づかないのか。

 なぜ、レミーユ自身があの時、何も言葉をかけてやれなかったのか。


 彼女は深く悔やんでいた。

 

 しかし、後悔に暮れる彼女の心を晴らすかのように、アーサーはぽつりと口を開いた。


「……勇者ってのは、誰かを助けたら見返りを求めるもんなのか? 誰が助けたかなんて、どうでもいいだろ。救えたことが、全てじゃないのか?」


 レミーユは言葉を失った。

 この人は、誰よりも勇者だった。

 瞬間的にそう思い知らされたが、やはりアーサーのことを思えば納得はできなかった。


「……ですが、それでは貴方の存在が……」


「構わない。俺は勇者候補として生まれた。だから、俺の使命は魔王を討伐することだ。それ以外は何もいらない」


 その声は静かで、迷いがなかった。


 そして彼女は、問いかける。


「では……貴方は、どうやってあのモンスターを討伐したのですか?」


「剣だ」


「……剣、だけ?」


 それは、まるで信じがたい言葉だった。

 しかし、彼は平然とそう告げた。

 レミーユは知っている。アーサーが聖滅(セイメツ)を一度も使っていないことを。


「どうして……聖滅を使わなかったのですか?」


 彼はしばしの沈黙のあと、ぽつりと口にした。


「使えないんだ……いや、使いたくない。まだ、な」


 レミーユの胸が締め付けられた。

 その“まだ”に込められた意味を、アーサーは明かさない。

 だが、きっとそこには、彼なりの重い覚悟があるのだろう。


「……アーサー」


「なんだ」


「私は、貴方のことを勇者様だと思っています」


 振り向いた彼に、レミーユは微笑みを向けた。彼と話して彼女の心は少しだけ晴れていた。だからこそ、今伝えたいことがあった。


「誰が何を言おうと、私は信じています。魔王を討伐するのは、貴方しかいません。あの背中を見た私は、そう確信しています」


 その言葉に、アーサーは何も答えなかった。だが、否定もしなかった。


 それで、十分だった。


「だから……これからは、私と共に行動してください。私は、貴方のことをもっと知りたい。勇者様である貴方と、共に魔王を討ちたいのです」


 アーサーは目を伏せ、少しだけ苦笑したように見えた。


「……いいのか? 風当たりが強くなるぞ」


「構いません。酷い噂なんて、私が吹き飛ばして差し上げます」


 レミーユのその言葉に、アーサーは観念したように小さく頷いた。


「……わかった。じゃあ、明日からはなるべく一緒に行動する」


 それは、初めて交わされた約束だった。


 アーサーは踵を返し、寮の方へ歩き出す。


「——あっ、最後に一つ!」


 レミーユは彼の背に声をかけた。


「いつか、貴方が秘めた聖滅のことも詳しく教えてくださいね?」


「いつか、な」


 アーサーは振り向かずに、そう返した。


 その背中を見つめながら、レミーユは心に誓う。


 この人こそが、本物の勇者。必ず、共に戦う。必ず——あの背中に追いついてみせると。


 




 ◇◇◇◇






 今や、魔王の勢力は世界の半分にまで拡大し、人類の存続そのものが危ぶまれている。

 そんな絶望の只中で、唯一光を放つ希望が”勇者”の存在だった。


 勇者候補(ブレイヴ・シード)として生まれた者は、やがて“真の勇者”へと栄転する可能性を秘めている。

 しかし、それには重大な一つの条件——古の祠に祀られた聖剣を抜く必要がある。

 この百年、その条件を満たした者は誰一人として現れていなかった。


 その挑戦権を得るためにも、候補者には三つの「細かな条件」を満たすことが求められている。


 一つ、道徳的な資質と正義感を持ち、人々を守る意志を示すこと。


 二つ、重要な使命を果たすための冒険心と決断力を持つこと。


 三つ、勇気と犠牲を厭わない覚悟を持つこと。


 どれも抽象的で測りづらい基準ではあるが、それらを見極めるのが、勇者育成のための教育機関——セイクリッドアカデミーの役割だ。


 その日、レミーユ・ヴェルシュはアーサーの部屋にいた。

 手にした古文書を読み進めながら、彼女は対面に座る少年へと話しかける。


「……アーサー、貴方は聖剣を抜けますか?」


 アーサーはパンを齧る手を止めず、そっぽを向いたまま呟いた。


「どうだろうな」


 あまりにも関心の薄い返答に、レミーユは苦笑する。

 それでも彼女は信じていた。モルドのダンジョンで見た、命を懸けて人を救おうとする彼の背中。

 あれこそが、勇者そのものだった。


「聖剣って、大地を両断したり、海を斬り裂いたりできるそうですね。聖滅(セイメツ)の力とは関係なく、容易に強大な力を手に入れられる、モルド様がそう仰ってました」


「それでも百年前の勇者は魔王を倒せなかったけどな」


 アーサーは短く言い捨てる。

 その声には、どこか冷め切った響きがあった。


 しかし、完全に興味がないわけではないらしく、彼はぼそりと口にした。


「……ちなみに、聖剣って持ち主が死ぬと勝手に古の祠に戻るんだよな?」


「はい。古代魔法によって、持ち主を失った時点で元の場所に戻るように作られているそうです。だから、聖剣が祠に戻ってくれば、勇者がやられたとわかるんです」


「そうか」


 パンの最後の一欠けらを口に放り込むアーサーの動きは鈍くなかったが、その瞳にはどこか遠い影があった。


「ちなみに、聖剣の力について、細かな文献ってあるのか?」


「いや、昔から色々と漁っているのですが、ロクな記述はなかったですね。まあ、聖剣の力は周知の事実なので、特に記載する必要もないかと思いますけどね」


 レミーユは一呼吸置いてから言葉を続けた。


「……でも、実はモルド様が言っていたことが一つだけあります。どうやら百年前の勇者様は聖剣の力を制御できなかったみたいです。だから、魔王を倒しきれなかったのかもって」


「へえ。つまり、あまりに強すぎて使いこなせなかったわけか」


 興味を持ったかに見えたのは一瞬だけだった。

 アーサーはつまらなそうに目を逸らし、立ち上がって伸びをする。


「すごく強くても、持て余すだけなら意味がないってことだな」


 アーサーはそう結論付けるように言い、壁にかけられた自分の剣に目をやる。


 やっぱりこの人は、目の前の一振りでどう戦うかしか考えていないのだ、とレミーユは思う。

 聖剣という伝説すら、彼にとっては単なる不確定な力に過ぎないのだろう。


「……で、今日は何の用だった?」


 彼の言葉で、レミーユはようやく本来の目的を思い出した。


「ああ、そうでした。ついついお話に夢中になってしまいましたね。実は、本日の午後、アルス王国の第二王女、セシリア・ルシルフル様がアカデミーの視察にいらっしゃるそうです」


「王女様が?」


 アーサーはほんのわずかだけ眉を動かしたが、それ以上の反応はなかった。


 レミーユは話を続けた。

 まずは、セシリアがイレギュラーモンスターを討伐した人物に関心を寄せているという話。

 そして、もしかすると、それはアーサーのことかもしれないと勘付いている可能性があるという話。


「……随分と急だな。そんなに俺と接見したいのか」


「だと思います。イレギュラーモンスターの真実はアカデミー内で制限されていましたが、やはりどこからか外へ情報が漏れているようです」


「はぁぁ……どうしてまた王女様がわざわざ来ることになったんだ?」


「彼女は回復魔法の使い手で、昔から勇者パーティーへの憧れが強いですからね」


 レミーユは少し困ったように微笑むと、幼い頃にパーティーの場で出会ったセシリアの印象を思い出す。

 一国の王女にしては随分もお転婆でお気楽な性格で、あまり教育に良くないからと母親に引き離された記憶が蘇った。レミーユはその時にセシリアから聞いたのだ。いつか勇者パーティーの一員として魔王討伐に参加したいんだ、と。


「というわけで、私は彼女の案内を任されているので、もう行かないといけません。貴方は誰にも姿を見られないように、部屋で大人しくしていてください。」


「部屋にいる方が目立つと思うけどな。俺の部屋の場所なんて調べられたらすぐにわかるぞ? それなら外の森で鍛錬してた方が、よほど気づかれないはずだ」


「……貴方は剣を振りたいだけじゃないですか?」


 レミーユが呆れ気味に詰め寄ると、アーサーはわかりやすく目を逸らした。

 その視線の先には、やはり、壁に掛けられた長剣があった。


 レミーユは小さく溜め息をつき、結局は折れることにした。彼の言うことも一理あった。


「はぁぁぁぁ……では、夕方までには戻ってきてください。約束ですよ? 無理はしないでくださいね?」


「わかった」


 アーサーはあっさりと了承するが、その口角は少しだけ上がっていた。ここ二週間は悲劇の後処理が尾を引いて自由行動が制限されていたからだろう。

 背を向け、出ていこうとするその姿に、レミーユはそっと想いを込めた。


 ——あの時、助けられた私が、今度はあなたを守る番です。


 そう心に誓いながら、アーサーの背を見送った。


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