第五話 追いかけて
午前一時十分前。
五味は部屋の明りを消し、ベッドの中に入った。放課後に購入したバットを持ちながら。窓が見えるように、体を横向きにして。
こんな時間なのに、目が冴えて眠れなかった。
今日も何かしてくるのか? いつ? どんなことを?
緊張と恐怖。それらと同じくらいの怒り。五味の心は、完全に臨戦態勢になっていた。部屋の中なので、着ているのはスウェットだ。だが、いつでも不審者を追いかけられるよう、購入したスパイク付きの靴を履いていた。
来るなら来い。迎え撃ってやる。
暖かい布団に包まれているのに、体はかすかに震えていた。バットを握る両手に、力が入る。
ベッドに入って、どれくらい時間が経っただろうか。静寂に包まれた、暗い部屋。ずっと窓を見続けているため、目は、すっかり暗闇に慣れていた。ぼんやりとだが、周囲が見渡せる。
異変は、突如起こった。
ガムテープで塞いだ窓が破られた。バリッ、というガムテープが剥がれた音。直後、冷たい風が部屋に吹き込んできた。
部屋に入ってきたのは、風だけではなかった。窓に張ったガムテープで見えなかったが、外は吹雪らしい。降り注ぐ雪も、風に煽られて部屋の中に入ってきた。
石が投げ込まれた瞬間に、五味は飛び起きた。目は暗闇に慣れている。窓の向こうにあるものを、はっきりと捕らえていた。
真っ白い吹雪の中でも目立つ、黒い人影。異様に際立つ、こちらを見る目。
「誰だテメェ!?」
ベッドから下り、五味は窓まで駆け出した。バットを手にして、勢いよく窓を開けた。
思った通り、石を投げ込んだ不審者は、玄関テラスの天井に登っていた。五味が窓を開け放つと、すぐにきびすを返し、玄関テラスの天井から飛び降りた。
「待てやコラァ!」
先ほどまで感じていた恐怖は、五味の心から消えていた。あるのは、怒りのみだった。自分の生活を脅かされた怒り。
部屋の窓から飛び出し、玄関テラスの天井に乗った。そのまま、逃走した不審者と同じように、玄関テラスから飛び降りた。
吹雪の道を、不審者は走って逃げていた。思っていたよりも強い吹雪。視界は最悪と言っていい。辺り一面真っ白で、周囲の建物さえはっきりと見えない。それなのに、なぜか、不審者の姿だけはしっかりと見えた。
五味は全力で走り、不審者を追いかけた。スパイクの付いた靴はかなり有能で、雪道でもほとんど滑らなかった。転倒することを気にせずに、全力で走れる。
全力で走っているせいか、真冬の吹雪の中でも、寒さを感じなかった。むしろ、暑いとさえ感じた。前方には、逃走する不審者の後ろ姿。
不審者の正体は、自分が妊娠させた女。五味は、そう確信していた。だからこそ、逃走されても簡単に捕まえられる思っていた。だが、全力で追いかけているのに、なかなか距離が縮まらない。
――あの女、何かスポーツでもやってたのか?
追いかけながら、そんな疑問を抱いた。女にしては足が速過ぎる。
どれくらい走り続けただろうか。かなり走った気がする。それなのに、なぜか疲れを感じなかった。息切れすらない。足の傷の痛みも感じない。アドレナリンでも出ているからだろうか。
吹雪は、さらに強くなってきた。視界がかなり悪い。ホワイトアウトになりそうなほどの吹雪。それでも、前方の不審者だけははっきと見える。とはいえ、黒い影状に、だが。
――絶対に捕まえてやる!
ここまできたら根比べだ。そう思いつつも、五味は、この根比べに勝つ自信があった。どんなに足が速くても所詮は女だ、と。総合的な体力では自分が上回っているはずだ。さらに、今の自分はまったく疲れを感じない。
猛吹雪の中で、五味は走り続けた。
意識が途切れ、目の前が真っ暗になるまで。
◆
十二月三日の午前七時半。
奇妙な死体が発見された。
道路の真ん中に倒れていた死体。気温は氷点下なのに、その死体はスウェット姿だった。右手に金属バット。足には、スパイクのついた靴を履いていた。
死体の身元はすぐに割れた。五味秀一。市内の豊平高校に通う三年生。
死因は凍死だった。