侵入③
「落ち着いて、落ち着いて……よし、ゆっくり考えよう。私は今麗の手がかりを探しに来てる……そう、だから今はゆっくりでもいいから麗の手がかりを探さなきゃ」
恵美が自らを落ち着かせる様に自分に言い聞かせていた。恵美がふぅ、と息を吐き前を向いたまさにその時、突然恵美のスマートフォンから電話のベルの音が鳴り響いた。
恵美は普段スマートフォンの着信音は軽快なリズムの電子音にしている。なのに何故か今、自分のスマートフォンからは電話のベルが鳴り響いている。恵美は思わず怯える様に自分のスマートフォンを床に投げ捨てた。
床に転がっても尚、電話のベルは鳴り続けている。恵美が床に落ちても鳴り止まない自らのスマートフォンを恐る恐る覗き込むと、画面には『着信 麗』の文字が表示されていた。
……どうする?
一瞬戸惑ってしまう。これが本当に麗からの着信ならいいのだが、どうしても違う気がする。だが出ない訳にもいかない。
恵美は怯えながら、震える指先で画面上の受話器マークをスライドさせて電話に出る。
「……も、もしもし。麗?……麗なの?」
恵美が呼び掛けるが相手からの返事は返って来なかった。代わりに何か雑音が聞こえて来るだけだ。
怪訝な表情で恵美がスマートフォンを見つめていると、次は雑音の中にくぐもった何か声の様な物が聞こえて来た。
暗闇の静まり返った中で、意味不明な物音を聞かされ、気味悪くなった恵美が通話を切ろうと画面に指先を伸ばしたその時、突然雑音や意味不明な声が消え静寂が訪れた。
「えっ?」
不気味だった物音が消えて静まり返り、逆に恵美が戸惑いの表情を見せた。しかし次の瞬間、スマートフォンからは雑音の無い澄んだ声が聞こえて来る。
「もういいかーい」
「ひっ…………」
明らかにこの場に似つかわしくない子供の澄んだ声に、恵美も思わず絶句する。
恵美は慌ててスマートフォンを拾い上げると、通話終了を必死で押した。再び懐中電灯で周りを照らすと暗闇の中、必死で走る。
「嫌、嫌、もう無理! もう無理だからお願い助けて」
もう既に強がる事も出来ずに恵美は涙を流しながら懇願していた。何処に逃げればいいのかも分からず、ただ闇雲に走り回る。だが暗闇のせいもあってつまづき転倒してしまった。転んだ衝撃で懐中電灯は恵美の手を離れ、数メートル先で転がっている。
体を起こし立ち上がろうとするが、転んだ拍子に足首を捻ったらしく右足に激痛が走った。顔を歪めて恵美が歯を食いしばる。よく見れば膝や手足も擦りむき血が出ており、身体のあちこちから痛みが湧いてくる。
恵美はそのまま膝を抱えると声を押し殺して涙を流した。
「……お願い、もう許して……助けて……麗」
肩を震わせ涙を流していた恵美だったが、突然顔を上げると目頭を拭い、前を向いた。
「そうよ。私は麗を探しに来たのよ。麗に助けを求めてる場合じゃない」
そう言って痛む足を引きずりながら落とした懐中電灯を拾い上げた。そうして懐中電灯で先を照らすと灰色の廊下が浮かび上がる。
恵美が再び一歩踏み出そうとした時、顔を強ばらせて恵美の動きが止まる。背筋が凍る様な感覚に、身体が硬直する。背後に何かの気配を感じたのだ。
絶対何かいる――。
そう思ったがすぐに振り返る事は出来なかった。懐中電灯を握る手は汗でびっしょりとなり、全身に悪寒が走った。震えもとまらず身動きが取れない。
まるで金縛りにあったかの様に全身が硬直していた恵美だったが、それでも意を決して一気に振り向く。
そこには――。
何もいなかった。
懐中電灯で周りを照らし確認するが暗闇の中に灰色の廊下が照らされるだけで何も見当たらない。恵美は大きなため息をつき、胸を撫で下ろす。
「絶対何かいると思ったんだけどな。気のせいか」
団地に来た理由を考えれば何もないのは残念な筈だが、今の恵美の心理状況を考えれば安心してしまうのも仕方なかった。
だが安心したのも束の間、突然恵美の耳元で囁く様に声がした。
「恵美ちゃんみーつけた」
「ひぃぃ……」
安堵していた所に突然囁かれ、恵美は声にならない悲鳴を上げてその場にへたり込んでしまう。
恵美が振り返り、顔を上げると、そこには十数年前と変わらぬ姿をした希ちゃんが立っていた。
「あはははは、恵美ちゃん驚き過ぎだって」
そう言って希ちゃんは笑っていた。恵美は脅えて言葉を失い、ただ笑う希ちゃんを座り込んだまま見上げていた。




