15-12.キットゥス・ハウイ
まずい事に、イダリスミアの者達は有尾人を種族ごとに区別しておらず、一括りに見ている。ニメクキウヨラ族の起こした事件だとはいえ、ハウイ族やその他の種族に火の粉が降りかかってくる可能性は充分あった。
カットが戻った頃には日は落ちていたが、カットはすぐにでも帰ると言って聞かなかった。
「カット、君、ここ数日ほとんど寝てないんだろう? 今も戻ってきて間もないのに……」
「問題ねえ。今は一刻も早く親父達にこの事を知らせるのが先決だ」
「でも……!」
リールには止めきれないと見て、村長が出てくる。
「夜の山の中を歩き回るなど、愚か者のする事だ。急いては為すべき事も為せない」
カットはリールの通訳でそれを聞いて悔しそうに拳を握る。そして渋々広場の焚火の前に座った。
しばらくすると、ニメクキウヨラの少年が少し紅潮した顔で、カットにスープを差し出してきた。そして何か嬉しそうに話し出す。
「なんだ? 何を言ってる?」
ニメクキウヨラ語の分からないカットは首を傾げる。リールがそれを訳した。
「彼、君の事をキットだと思ってるみたいだ。この前、毒にやられそうだった自分を助けてくれたから、お礼を言いに来たって」
「キットが……」
カットは少年の方に向き直る。
「悪いな、それはおれの兄ちゃんだ。でも、ニメクキウヨラでも礼が言えるんだな。兄ちゃんに伝えといてやるよ」
少年は嬉しそうに笑って戻っていく。カットは差し出されたスープを少し見た後、ぐいっと飲んだ。
ニメクキウヨラの村からハウイ族の村に戻ってきたカットは、ゲンジ達にイダリスミアの者が磔にされていた件を話した。
「くそっ、次から次へと問題が起きやがる! 長老衆に早駆けは出してるな!?」
「ああ、早ければ明日の昼、いや、夕刻には全員集まるはずだ」
キットが答えると、ゲンジは苦々しそうに舌打ちをする。
「ちっ、テパヤのとこも足を悪くしてるからな」
「……戦争になるなあ。なんとか避けられねえか」
カラムが呟くが、ゲンジは頭を振る。
「さっきから考えてるが何も思いつかねえ。とっくに詰んでやがる……! イダリスミアの連中は元々この土地を狙ってる節があった。今回の事を口実に、おれ達を征服に乗り出してきたに違いねえ……!」
キットはどこを見るでもなく視線を落としていた。
「キット、キット! てめえ何考えてる……?」
「いや……辛い時代が来るな、と思っただけだ」
ゲンジは顔をしかめる。
「てめえ、もう休め! 女の所へ行け! リールのとこだ!」
キットは黙って立ち上がった。
リールは部屋の中で壁にもたれて目を閉じていた。精神世界の中に頬杖をついて椅子に座っているもう一人のリールが出てくる。
「ここ数日、まったくリンクできなかった。なぜこんなにも気持ちを荒立たせているんだ……? 女達の誘拐は本当にあった。助けたいのか? 政治や経済、国や他の団体、それらに直接関係するような事はしないようにって言われているだろう。ぼくがするのは情報収集だけ。バイロトだって直接は何もできないんだ。国際機関への報告はされるはずだ……MAを動かす? 気は進まないな。あとで怒られなきゃいいけど。とりあえずその忙しない感情をやめてくれ。こっちまで落ち着かない」
メサィアとの通信が終わったリールはこくんと眠った。そこへキットが入ってくる。キットはリールから少し離れた場所に何をするでもなく座った。すると急にリールが立ち上がった。その立ち姿には何か特別な雰囲気が漂う。
キットが声をかけると、リールは横目でキットを見る。そしてハウイ族の女性の衣装を着ている自分の体を見た。
「なんだ、この服は。ぼくの服はどこだ」
「リール? どうした」
「リール? それはぼくの名だ」
リールはキットに近づき、その額に手を当てた。
「君とは久しぶり……な気がするけど、ぼくが死ぬ前の事だからよく分からないな。なるほど、攫われた女達はもうこの土地にはいないのか。それに何か悪い事が起きるか? まあそれに関しては、ぼくは直接何かをしてやる事はできない」
「おまえは一体……」
リールは無表情のまま、不思議そうにしているキットを見下ろす。
「なんだろう? 何かおまえを見てると、そう、胸がむかつく。おまえ、ぼくに何かしたか?」
リールはここ数日の記憶を探る。そして数日前、この体の持ち主であるもう一人の自分が、キットに抱かれかけた事に気づく。
「ああ……ぼくに男色の趣味はないっていうのに。おまえは危険だな。ぼくとあいつを完全に分かれさせる」
リールの言葉に、キットは理解が及ばず、座ったまま黙ってリールを見ている。
「まあいい。ぼくはぼくの仕事をするとしよう」
リールは目を閉じた。そして再び開いた瞬間、目の前にキットがいるのに驚いたような表情を見せる。
「キ、キット」
キットはその表情を見て、少し安堵した。
「体、大丈夫か?」
「体? ああ、別にもう」
リールは言いかけて、何かに気づいたように自分の体を見る。
「あいつが来たのか。あいつは見てるだけだ。何もしない。ぼくは違うぞ。ぼくはぼくのできる事をする……!」
リールは独り言で言っただけなのだが、キットはそれを聞いていた。指でリールの頬に触れる。
「おまえにしてもらう事は何もない。もうおまえは帰るんだ。自分の国へ」
「キット……?」
リールはキットの穏やかすぎる表情を訝しんだが、キットはすっと立ち上がって部屋を出ていった。
それから次の日の朝食が済んだ頃、キットが口を開いた。
「親父、おれ頭領を継ぐよ」
「ほら見ろ、来やがった」
ゲンジはキットには聞こえない声で呟く。
「これからの事は親父にはもうムリだ。今日の長老衆の集まりで承認をもらおう」
「おめえ、承認をもらうったって頭領は嫁がいるのが前提だ」
カラムが口を出す。
「嫁はこんなおれでいいと言ってくれる人なら誰でもいい。できるだけ大切にする」
ゲンジは苦虫を噛み潰したような顔でキットを見る。
「その娘はどうすんだ」
ゲンジは特にリールの方を見るでもなく言った。
「親父、彼女は外の人間だろ。頭領の嫁なんて絶対にありえない」
キットもリールに視線を向けずに言った。




