3-1.レイリール
ピンポーン、とチャイムが誰もいないダイニングキッチンに響く。そこにいたはずの黄土色の髪の青年は、洗面所で顔を洗っていた。その間もピンポーンと音が鳴っている。青年はその音を気にせず、無精ひげを剃りだした。
土砂降りの雨の中、その女の子達は傘も差さずに車の走る通りにいた。男と見間違えそうな金色の髪の子は、手を上げてタクシーを拾おうとしている。けれど既に客の乗ったタクシーが通り過ぎるだけで、止まってくれる車はない。もう一人の三つ編みの子は下を向いて体を強張らせている。季節は四月の半ば頃だった。
傘を差して歩いていた黄土色の髪の青年は、その二人に近寄っていった。青年の名前はエドアルドだ。スーパーに行った帰りで、手にはビニール袋を提げていた。見て見ぬふりをする事もできたのだが、辺りには他に誰もいない。それにもうすぐ十九になる自分と同じくらいの年齢の子達が、寒そうに雨に降られているのを見過ごすのはさすがに気が引けた。
「あの……」
声をかけると金色の髪の子は驚いたような顔をしたが、すぐに「ありがとう」と笑顔になった。もう一人の三つ編みの子はほとんどうつむいていた。
家では姉のエラが出迎えてくれた。エラはびしょ濡れの客人を見ても嫌な顔一つせず、急いでタオルを持ってきてシャワーを勧めた。金色の髪のリールと言う子は、先に三つ編みのルテティアという子にシャワーを浴びるように言った。そして自分は家を濡らしたら悪いからと、エラが慌てて敷物にするタオルを持ってくるまで、玄関で立って待っていた。
リールはエドアルドより背が高く、ピンと背中を真っ直ぐに立っている姿は男装の格好も相まってかっこよかった。エラが最初リールを男の人だと間違えたのも無理はない。
リールがシャワーを浴びている間に、エラはルテティアをダイニングの椅子に座らせて、その長い髪をブラッシングしながらドライヤーを当てていた。エラは明るくルテティアに話しかけていたが、ルテティアの返事はどれも小さくてなかなか聞き取れなかった。ルテティアは何か悲しい事でもあったかのように塞ぎこんで見えた。
エラが驚いたのはリールがシャワーから上がってきた時だ。
「あ、あなた、女の子!? 背が高いからてっきり……!」
リールの胸には薄手のシャツではごまかしきれない膨らみがあった。土砂降りの雨に降られていたからか、下着もつけていなさそうだ。エドアルドは目のやり場に困って横を向く。
「わたしの上着じゃ小さいわよね。エド、あんたの上着持ってきて!」
「わ、わかったよ」
エドアルドが上着を持ってくると、リールは笑顔で「ありがとう」と言い、それを羽織った。そしてダイニングの椅子に腰かける。
「突然お邪魔してしまってごめんね。でも助かったよ。雨に降られてタクシーも捕まらなくて。ぼく一人ならまだよかったんだけど、彼女を連れていたから困っていた所だ」
「いいのよ。どうせわたし達二人だけなんだから気兼ねしないで」
エラはリールとルテティアに温かいお茶を淹れながら話す。
「ご両親は?」
「六年前に事故で亡くなったの」
エラは「もう昔の事なのよ」とでも言いたげに、笑顔のまま答える。リールとエラはお互いの事を話し合って談笑していた。エドアルドはそんな二人を思い出していた。
エドアルドは洗面所の鏡に暗い顔を映しながら呟く。
「姉さん、久々に普通に笑ってたな。家に閉じこもって笑う事もなくなってたのに」
ピンポーン、ピンポーン。
チャイムはずっと鳴り続けている。いったい誰だろう。しつこいセールスマンか、もしくは近所の人でも来ているんだろうか。エドアルドは仕方なしに玄関のドアを開けた。
そこにいたのはまさに今思い出していた二カ月前の客だった。その金色の髪の彼女は、鞄を下に置き、軽く両手を広げて立っている。
「やあ、この前はどうもありがとう! 改めて自己紹介するよ。ぼくはレイリール・ゲルゼンキルヘン。リールとそう呼んで。君をぼくらの島に招待したい!」
エドアルドの顔を見た瞬間、一気にそう言ったリールを、エドアルドは冷めた目で見つめた。
(怪しんだけど)
単純に思ったのがそれだ。宗教かなんかの勧誘のように見える。島に招待なんて何を言ってるんだろうこの人は。エドアルドは不信の目を向けたが、リールは気にせずにこにこと笑っている。
そのままドアを閉めてしまおうか。そう思って家の中に目をやった。そこには見慣れ過ぎたダイニングキッチンがある。ほんのさっきまで一人になって、寂しい食事をしてきたダイニングだ。それを見てエドアルドは考えを変えた。
(ま、いいか。どうせここにいても悲しいだけだ)
エドアルドはしばらく切らずに伸びた前髪をうざったく感じながら、リールに向き直った。
エドアルドは簡単な説明を聞くと、翌朝迎えに来たリールについて家を後にした。荷物は最低限の着替えを持ったくらいだ。それでいい、とリールが言ったからだ。
話の詳細は列車の中で聞く事になった。エドアルドの住んでいる町から海に出るには、列車でも乗り換えを含めて四時間くらいかかる。説明を聞くには充分すぎる時間だ。
ラッシュの時間からずれているせいか、列車の中の人はまばらだ。リールとエドアルドは向かい合った席に座る。リールはお世辞にもかわいいとは言えない黒い鞄の中から何やら書類を取り出して、エドアルドに渡した。
「これから向かう島で、とあるプロジェクトが進行しているって言ったよね? 君にもそのプロジェクトを支える一員になってもらいたい」
そう言ってから、リールは「お姉さんの事は残念だった」と寂しそうな顔で言った。エドアルドの唯一の家族だった姉は、家の前の通りで車に撥ねられた。
「買い物に行ってくるわ」
笑顔でそう言って家を出た直後だった。車のスピードはそれほど出ていなかったらしいが、打ち所が悪かったらしく、姉はそのまま目を覚まさなかった。
エドアルドは姉がいなくなった寂しい気持ちを思い出したが、それを顔には出さなかった。ほとんど知り合いのいない姉の死を悼んでくれる人が、ここに一人いる。それだけでいい。エドアルドは軽く頷いて書類に目を通した。