15-3.キットゥス・ハウイ
ゲンジはリールが渡したレポート用紙を眺める。まだ数行しか書かれていないが、それはハウイ族の文字で書かれてある。
「おれ達の字が書けるのか?」
「ええ、ぼくは人と共感する事で相手の言語を理解、習得する能力がある。だからどんな言語でも話せるし、書ける」
ゲンジはよく分からなそうな顔をしたが、リールは構わず続ける。
「ぼくは調査員です。だからぼくにこの土地を歩き回る許可を頂きたい」
ゲンジはかつての年老いたリールもそうしていた事を思い出して頷く。
「いいぜ。ただし寝泊まりはうちにしな。案内にはキットをつけてやる。ハウイ族の中でもあんたの安全を完全に保証はできないからな」
「はい。お気遣いありがとうございます」
リールは軽く頭を下げた。そしてからリールはゲンジが足をさすっているのに気づく。
「足、痛いんですか? 病気ですか?」
「ああ、よく気づいたな。実を言うと立つのもしんどいくらいだ」
リールはゲンジに近寄っていく。
「ちょっと見せて。病気を治す事はできないけど、痛みを和らげる事なら」
リールはゲンジの足をさする。リールの手から熱のような力が流れ込む。
「痛みが引いた……! すげえじゃねえか! 足が動く!」
「二、三日は持つと思います」
「海蛮人の女はこんな事ができるのか」
ゲンジは興奮しながら、足を上下に動かす。
「ぼくのやり方は特殊です。けど、お医者さんなら病気自体を治す事ができるかも」
「医者か。ここの医者には治せねえ。だがそっちの国でおれの病気を治せる医者がいるんなら、治してほしい所だな」
「報告書に書いときます。約束はできませんが、うまくすればお医者さんを派遣してもらえるかも」
「おう。おまえの報告書とやら期待してるぜ」
ゲンジは機嫌よく言った。リールがキットに連れられて退室すると、祖父のカラムがしわがれた声を出す。
「いいのか? キットの奴」
「うん? ガキとはいえ監視は必要だろ?」
「そうじゃねえよ。キットは昔から海蛮人に興味があった。あの嬢ちゃんに心許しちまうかもしれねえ」
それを聞いてゲンジはくっと口を歪めた。
「ハハハ、おもしれえ考えだな、じいちゃん。いーじゃねえか。海蛮人とはいえ女に興味を持ってくれるんなら大歓迎だぜ。一度女を知れば、あいつは治る。あいつにはさっさと頭領の資格を持ってもらわなきゃ困るんだ」
「そう簡単に行くかねえ」
カラムはぼりぼりとあごひげを掻いた。
リールは客間に案内されながら、キットに聞いた。
「最近ハウイ族に何か変わった事はある?」
「変わった事?」
「例えば、人が消えている、とか」
リールは真剣な顔で尋ねている。
「確かにここ最近そういう話がある。この町ではないが、ハウイ族の他の村で、若い……特に女が行方知れずになっているという報告を聞いている。捜索隊を出してはいるが……」
そこまで言ってからキットは顔をしかめて言い淀む。
「何? 教えて」
「……実は、海蛮人に攫われたという噂もある。それが本当なら海蛮人との争いは避けられない……!」
「どこの国の者かわかる?」
「いや、わからない。それよりおまえはどうしてその事を知っている?」
リールは「まだ口外しないで」と前置きしてから答える。
「ぼくも君達有尾人が攫われているという噂を聞いたんだ。だから今回の調査は早められてきたんだ」
キットは眉根を寄せて歯ぎしりした。
「そうか。ならば海蛮人の関与は確定的という事になるな」
「行方不明になった状況を詳しく知りたい。明日はその話を聞きに行こう」
「いいだろう。おれも詳しく調べなければと思っていた所だ」
キットが頷くと、リールも「お願いします」と頷いた。
翌日になり、ハウイ族の町の中をキットとリールは歩いていく。リールは歩きながら、ハウイ族の人々に声をかけていく。
「やあ、おじいさん。腰が痛いの? さすってあげるよ。少し楽になる」
「やあ、坊や。手をケガしたの? 痛くなくなるようおまじないをかけてあげよう」
「すごい! 痛みがなくなった! ありがとう、お兄ちゃん!」
「フフ、傷が治ったわけじゃないから、乱暴にはしないでね」
リールはお兄ちゃんと呼ばれても、それを否定せず笑っている。腰をさすってあげたおじいさんもリールの手を握ってお礼を言った。キットは笑顔を向けられて、嬉しそうにしているリールを見る。
「おまえはすごいな。どんな病気やケガでも治せるのか」
「治しているわけじゃない。治すのは禁止されているんだ。ぼくはただ痛みを和らげているだけ。痛みをぼくが肩代わりしているだけさ」
「肩代わり?」
不思議そうにしているキットの横を、リールは大股で歩いていく。その顔は笑顔ではあるものの、何かに耐えているかのように見える。リールはその後もケガをしている人や病気の人を見つけて、その痛みを和らげていった。
「おまえはよく病気やケガをしている者を見つけるな」
「声がね、聞こえるんだよ。痛みや、苦しみを感じている人の声は特に聞こえる」
リールは笑顔を作るのが困難なほど、どこか辛いかのように体を震わせている。
「おい、どうした。本当に大丈夫か」
「大丈夫……これはメサィアの力。人の痛みを感じる力。ちょっと調子に乗りすぎて、痛みを受けすぎちゃったな」
キットにはメサィアという言葉の意味は分からない。それでもリールが不思議な力を持っているのは気づいた。
「痛みを肩代わりしていると言ったな。おまえが痛みをもらっているという事か」
「そういう事」
キットは道の端にリールを座らせた。そして自分も片膝を立てて座る。
「なぜおれ達のためにそこまでする?」
「こんなの何かしている内に入らないよ。どうせ数日したら痛みはまた戻る。ぼくのお付きの者はこう言ってた。痛みがなくなったと錯覚させるだけかわいそうだ、って」
「何言ってる。みんな喜んでる。だが本当はおまえが痛みを引き受けるなんてしなくていいんだ」
リールは少し消沈して顔をうつむかせる。
「ぼく、余計な事してるのかな」
「おまえがしている事はとても素晴らしい事だ。だがそのためにおまえが苦しむ必要はない」
「ぼくが苦しい……?」
リールは顔を上げる。
「違うのか?」
「わからない。ぼくが苦しいなんて考えた事もなかった」




