15-1.キットゥス・ハウイ
カールがいつものとぼけた表情でキットに聞いた言葉。
「おまえ、インポなのか?」
その言葉にカットが切れて、乱闘騒ぎを起こした日の後の事。食事の済んだキットとカット、アクロスは食堂の横に並ぶ木の前に立っていた。食堂から女の子達が出てくる。ルテティアはおずおずと声をかける。
「あの……がんばってね」
「お気の毒様」
サーシャは嫌味な表情で言う。キーシャは気まずそうな顔をするだけで何も言わない。去っていった女の子達の後ろで、サーシャの言葉にはむかつきながらキットは眉間を押さえる。
「女の言葉は痛い……!」
カットとアクロスは何も言えないと言うように、肩を竦める。
「で? 何がしたかったんだ?」
カットはキットにインポと言ったカールに激昂したが、冷静に考えればキットが意味もなくカミングアウトした訳ではないと思いいたる。
「あいつの警戒が緩くなれば、と思ったが」
しばらくするとアラドが食堂から出てくる。泣いてでもいたかのような潤んだ目で、キットをきつく睨みつけていく。
「効果は薄かったな」
アクロスは分からないと言うようにキットに聞く。
「どういう事?」
「リールはあいつを気にしているから生きづらい。あいつが油断すれば、おれはリールを取れる」
「はあ、なるほど?」
話している間にブルーとローリーが食堂から出てくる。ブルーはじろっとキットを見る。
「一人ではできるの?」
無遠慮な問いにさすがのキットも面食らう。
「あ、ああ」
「じゃあ気持ちの問題かもね。身体的なものではないかも」
それだけ言ってブルーは食堂の手伝いに戻る。後に残ったローリーは、キットの前でもじもじしている。
「あの、あの……」
「待て。何も言わなくていいぞ」
「その……ずっと友達だからね!」
そう叫び、ローリーも食堂の後片付けの手伝いに走っていく。キットは顔をしかめて眉間を押さえる。
「女の言葉は痛い……!」
アクロスとカットはまた肩を竦めた。
キットとカットは、カプルカ島という有尾人の住む島に住んでいた。キット達は黄色の肌に赤茶けた髪、それから三十センチメートル程度の毛が生えた尻尾が特徴のハウイ族という種族だ。ハウイ族も数十年前までは、海から現れた尻尾のない人間達を海蛮人と呼び、侵略者と恐れ、攻撃を繰り返していた。だがとある人物の粘り強い説得により、やがて交友関係を結ぶようになった。
その人物というのが、リール・ゲルゼンキルヘンと名乗る男だった。
リール・ゲルゼンキルヘンという男は、当時は六十頃の大人に見えた。髪の毛は金色で、目も金色だった。男は警戒心の強かった有尾人に友愛の心で接し、その心に共鳴するように有尾人達は徐々に心を開いていった。三つだったキットはもじもじしながら、その男の前に立っていた。
「あの……ぼく、あなたが好き」
キットがそう言うと、男は嬉しそうに笑った。それからキットは八歳の時にもその男に会った。海蛮人との貿易により、ハウイ族は少しずつ裕福になってきていた。キットの家はハウイ族の頭領の家系だ。キット達の住む家は半分が土間で、半分が床の大きな小屋みたいな家だったが、その敷地を拡げ、ほとんどが板の間で、部屋がいくつもある大きな家を新しく作っていた。
「おれ、あなたの住んでいる街に行ってみたい」
キットは膝を抱えながら、男の側に座って言う。
「そうだねえ。君が大きくなる頃にはそんな時代が来ているといいけど」
「ダメなんだ。おれは大きくなったら頭領になるから、ハウイ族の村から出られない」
そしてキットが十三歳の時にもその男は来た。港に降りてくる海蛮人の船乗りは多くいれど、村の中まで入り込んでくるのはその男だけだ。男はベンチ代わりの太い丸太に座り、ハウイ族の変化を記録していた。
「海蛮人は、おれ達ハウイ族の者をバカにしてるのかな……」
「どうしてそう思うんだい?」
「海蛮人の言葉はわからないけど、時々彼らがせせら笑っているように見える時があるんだ。それに、女の人が乱暴されたって話も聞いた」
「それは本当かい?」
キットはこくんと頷く。
「親父は抗議はしたけど、みんな報復したがってる。でも親父は報復はしないって」
「この土地に訪れる国は徐々に増えている。それら全てが君達の事を対等に、友好的に見ているわけじゃない。ぼくにできる事はそう多くないが……ぼくも女の子達に乱暴を働かないように注意してみるよ」
男はそう言ったが、長い時間船に揺られてやってくる船乗り達は、有尾人の村に降り立ってうっぷんを晴らす事を当然としていた。それを狙った商売をしている者もいたが、それら以外の若い女の子が乱暴に会う事件も後を絶たなかった。
十八歳になり、身長がぐんと伸びたキットは、仕事の合間に海蛮人の入り込んでくる港周辺をいつも見回っていた。女の子が乱暴される以外にも、言葉が通じない事によるトラブルは常にあった。だが百九十センチメートルの身長と筋肉質な体を持つキットに腕を捻り上げられると、船乗り達も怯む事が多かった。
「海蛮人にも気のいい奴らがいる事は知っている。だがそれでもおれ達を下に見ている者は多い」
キットはすっかり頭が白髪っぽくなったリールという男に訴えるように言った。血の気が多いカットが出てくると乱闘騒ぎになり、銃を向けられる事もあった。実際にそれでケガをした事もあるし、有尾人の方から飲んだくれている船乗り達を襲って問題になった事もある。そんな一触即発の事態が日常的に起きているのがキットは不安だった。
「おれはおれ達ハウイ族は、もっと平和的に交渉できる一族だという事を示したい。そのためには海蛮人の世界に、行かなくては……」
キットは最後は消え入りそうな声で言った。次期頭領となるべきキットがハウイ族の村から出る事ができないのは、子供の頃に言った通りだ。男は視線を落として答える。
「確かに外の人間達の意識を変えるには、君のような子が必要なのかもしれない。でも君はここで頭領になる。その運命を変える事はぼくにもできない」
それがキットと男との最後の会話だった。




