13-6.クレイラ・ルンプール
ミハイルの髪の毛を片付け終えたクレイラは、「さて」と腰に手を当てた。
「夕食の買い物行くか。若い子がいると、食材の減りが早いわ」
「おれも行く」
「あ、そう?」
クレイラはミハイルを連れてスーパーに行った。ミハイルはその容姿の端麗さから、じろじろ人に見られている。
(すっごい見られてるわ。遠くのスーパーにしてよかった。知り合いに見られたらなんて言われたか……)
クレイラは荷物を車に乗せる。
「わー、いっぱい買っちゃった。男手があると楽ねえ」
言いながらクレイラは車の運転席に座る。ミハイルも助手席に入りながら不思議そうな顔をする。
「旦那は一緒に行かないのか?」
「行かないわよ。頼めば行ってくれる……くれてたけど、いちいち面倒くさそうな顔されてちゃ頼む気もなくなるわよ」
クレイラはエンジンをかける。
「悪い人ではない、んだけど、基本的に人に無関心なのよね。子供の世話だってろくにしなかった。わたしが忙しくても体調悪くても、大して気にも止めなかったわ」
クレイラは車を発進させる。
「……ってごめん。ついグチっちゃったわ」
ミハイルはクレイラから視線を外してうつむく。
「父親ってみんなそうなのかな。おれの父親も、おれにもママにも会いに来なかった。ママはいつも泣いてたのに……」
「その点あなたはいい旦那さんになりそうよね。そんなに恋人を想えるんだもの」
「そ、そうかな」
ミハイルは照れたように頬を染める。それから家についたクレイラとミハイルは夕飯の準備を始めた。ミハイルは買ってきた物を片付け、テーブルを拭く。
「遅くなっちゃうかと思ったけど、手伝ってくれたからなんとか間に合ったわ。ありがとう」
「いや、特に何もしてないけど」
「何言ってんの、充分よ」
その時クレイラの携帯電話がチリンとなる。見ると携帯電話にメッセージが入っていた。
「友人と飲んでくる。飯はいらない」
旦那からのメッセージだった。クレイラはそれを見ていらっとする。
(今頃連絡してきてんじゃないわよ。この時間には夕食作ってるの知ってるでしょうに)
クレイラは目を閉じて携帯電話を額に当てる。
(いやいや、いつもの事。こんな事でイラついてたら、美容の大敵よ)
クレイラは気を取り直してダイニングのテーブルにつく。
「よし、じゃあ食べましょうか」
「え、旦那さんは?」
「今日はいらないんですってよ。飲んでくるって」
ミハイルは悲しそうにうつむく。
「せっかくあんた、作ってたのに……」
「いつもの事なんだからいいのよ。明日の朝にでも食べるでしょ。それに半分はあなたの分なんだから、遠慮しないで食べてちょうだい」
「……いただきます」
ミハイルは明らかに気落ちした様子で食べ始める。
「……言ったでしょ。悪い人じゃないのよ。いつもこんな時間まで頑張って仕事してくれてるし、暴力振るったり怒鳴り散らしたりとか、そんな事もない人なのよ。ただ……」
クレイラはどう言うべきかというように言葉を探す。そして困ったように笑った。
「きっと不器用なだけなのよ」
ミハイルはうつむいたまま、返事しなかった。
そして三日目の朝になった。朝食後、クレイラが洗濯物を干している間にミハイルは皿を洗っている。クレイラはベランダから出てくると、ふとミハイルの年齢の事が気になった。
「そういえばあなたっていくつなの? 学校は?」
皿を洗い終わったミハイルは、手を拭いてダイニングの椅子に座る。そして視線を落としたまま話す。
「学校は行ってない。中学校の頃からあんまり行かなかった」
「え、何で?」
「面白くなかったから。みんなおれを見てひそひそ話したり、ケンカ売ってきたり。女はなんか気持ち悪かったし、友達いなかった。学校行きたくないって言ったら、ママは行かなくていいって言った」
(ええー? 義務教育はどうなってんのよ)
クレイラはいつものように心の中で突っ込みを入れて、さらに聞いてみる。
「じゃ勉強はどうしてたのよ?」
「一応勉強しろって言われて、計算ドリルとか渡されたけど、あんまやんなかったかな。ママは他人が家に入るの嫌がってたから、家庭教師も取りたくないって言ってた。昔は家政婦さんも何人かいたけど、ママはどんどん人嫌いになって、今ではおばあちゃんの家政婦さんが週に二回だけ来る」
(この子やっぱりいいとこのお坊ちゃんなのかしら)
ミハイルはだいぶ気を許してきたのか、よく喋るようになった。
「若い子が学校も行かず、勉強もしないなんて他に何してたのよ」
「ママの仕事場に連れていかされてた。ママの仕事してる所を見るのも勉強だって。それ以外だと、そうだな、家にトレーニングルームがあったから、そこで遊んでたりしてたかな」
「あとは……」とミハイルはさらに続ける。
「変なグループセラピーにも参加してた……そこで、あいつに会ったんだ」
あいつ、というのがミハイルの探している恋人の事だという事は、クレイラもなんとなく察した。ミハイルはそこで口を閉ざした。
クレイラは午前中のお客さんの散髪が終わって、お店から家の中に戻ってくる。
(ああ、お昼ご飯作らなくちゃ。一人だと適当に済ませちゃうけど、若い子はお腹空くわよね)
そう思いながら家のキッチンに入ると、クレイラはいい匂いがするのに気づく。見るとミハイルがキッチンに立って料理をしている。ミハイルは作ったパスタ料理を乗せて、クレイラの前に置いた。
「こ、これあなたが作ったの!?」
麺がどこかのレストランのパスタのようにきれいに巻かれていて、クレイラの家の何でもない皿が高級な皿に見える。
「ん、簡単なものしかできないけど」
謙遜しているのかと思ったが、本気でこんなものしかできないけどという顔をしている。そしてクレイラの皿の横にフォークも置いてくれる。
「お、美味しい……! あなた、できる事があったのね!?」
「あ?」
ちょっと暴言じみたクレイラの言葉に思わずミハイルも素が出たようで、眉間にしわを作る。だが怒るわけではなく、クレイラが美味しそうに食べるのを満足そうに見ながら、自分も「いただきます」と食べ始めた。




