13-2.クレイラ・ルンプール
食堂から逃げたローリーはリールの所に来ていた。リールはローリーの話を聞き、静かに答える。
「……ぼくは出ていけなんて言えないよ。君が出ていってほしいって言うんなら、話はするけど」
「違うの! 出ていってほしいとかそんなんじゃない。ただ、なんか汚いよ。カールも嫌だけど、それよりもクレイラが嫌そうじゃないのが嫌! 子供の島なのに、汚いのなんか嫌だよ!」
ローリーは栗色の髪を振り、駄々をこねる子供のように叫んだ。
その日の夕方、ブルーが食堂にいるクレイラに声をかけた。
「クレイラ、あんたの携帯電話、部屋でずっと鳴ってたわよ」
「あら、わたしの? いったい誰かしら」
クレイラは手を拭きながら食堂を出て、自分の家に向かう。クレイラは携帯電話の着信を見た。
「娘からだわ」
一人でそう言って、着信履歴から電話をかけ直す。
「もしもし、ダルラ?」
「……母さん? なんか声がすごく若く聞こえるけど」
「や、やーねえ。距離が遠いせいよ。それよりどうしたの? 連絡してくるなんて珍しいじゃない」
クレイラは娘の近況報告を聞き、それからうんうんと頷いた。
「そう、うん、行くわ。もちろんよ。おめでとう、ダルラ」
夕食後になって、ラウスが帰ろうとするみんなを引き止めた。
「みんな、話があるからちょっと残っといて」
ラウスはリールと示し合わせたように頷きあうと、みんなの前に出て話し始める。
「さっきリールから話があったんだけど、クレイラが島を出る事になった」
「え? えええええ!?」
子供達……特にローリーとカールが驚く。
「なんで!? リール! わたし、わたし……!」
「な、なんでだ!?」
「ちょっとみんな落ち着いて」
ラウスがローリーやカールをなだめている間に、クレイラが立ち上がる。
「わたしがお願いしたのよ。実はね、娘に子供が生まれるの。だから娘を手伝うために戻りたいのよ」
今の十二歳くらいの姿で娘や子供と聞いても、みんなすぐにはピンと来ない。食堂内はしんと静まり返る。
「え、えーっと、失礼だけど年齢聞いても……?」
「五十三よ」
ラウスの問いにクレイラはあっけらかんと答える。
「そ、そっか。おめでとう!」
ドルがまず最初に声を上げる。するとみんなから軽く拍手が沸き起こった。クレイラはそれに笑顔で答える。
「ありがとう、みんな」
「も、もう戻ってこない……の?」
ローリーが不安そうな顔で聞く。
「そうねえ。忙しくなるもの」
「待て、待て、待て、おれも行く! いや、でもポテトとリンちゃんがあ!」
カールは一人狼狽している。
「もう終わり? ぼくさっさと帰りたいんだけど」
カイナルが遠くの席で不機嫌そうに声を上げる。
「あ、ああじゃあもう解散で」
ラウスが答え、それで解散になった。
翌日になって帰る準備を済ませたクレイラは、荷物を持って家の外に出る。カールが泣きそうな顔で出迎え、島の港までクレイラを送る。港ではリールとアラド、そして船を操縦するためにキット、カット、アクロスの三人が待っていた。
「クレイラぁ、やっぱりおれも」
カールは未練がましくクレイラに縋る。
「ダメよ、ダメダメ。あなたが来たらとんでもない事になっちゃうわ」
「でもよお」
「もう、今生の別れじゃないんだから。ほら、もし何かあったら電話してちょうだい」
「ああ、電話。離れた所でも話せるってやつ……よし、わかった。じゃあ毎日電話する!」
「いえ、毎日は……」
クレイラはなんとかカールとの話を終わらせ、船に乗り込んだ。
ほどなくして大陸の港に着いたクレイラは、ヤマシタという島外の唯一の関係者である中年の男の家を借りて、大人の姿に戻る。大人になったクレイラはその年齢通り、いや、それよりは若く見える五十代のおばさんだった。クレイラは精一杯のおしゃれをして、今度こそ帰る準備を済ませる。
クレイラは駅まで送っていくと言うリールと一緒に歩き出す。ついてこなくていいと言われたキットは、まるでリールまでどこかに行ってしまうんじゃないかという思いに駆られて、リールの名を呼ぶ。
「リール!」
リールは振り向き、にこっと笑った。
「じゃあちょっとクレイラを送ってくるね」
そう言ってクレイラと街中へ向かっていった。
クレイラは駅でリールに見送られ、電車に乗った。何時間もの長旅になる。クレイラは数カ月の間、暮らしていた子供の島の思い出に浸る。
(子供の島……なんて、今考えると異常な島よね。わたしなんで平気だったのかしら。でもまあそれなりに楽しかったからいいか)
難しい事は深く考えない。それがクレイラだった。そんなクレイラに出発前アラドが何か言いたそうに声をかけた。
「あんた……いや、なんでもない」
クレイラは窓の外を眺める。
(わたしをあの島に来させてくれたのって、やっぱりあの子なのかしら)
ガタンガタンと電車は走っていく。乗り換えて国境を越えると、海が見える。その遠くに半島の先が見えた。
「あ、聖地ホールランド」
クレイラは一度だけ訪れた事のあるその地の名を呟いた。
クレイラは思い出していた。子供の島に来る前までの普通の家庭を。息子は既に結婚して家庭を作っており、娘も少し前に結婚して家を出た。クレイラは旦那と二人になった家で暮らしていた。ケンカなんてない。でも会話は最小限。周りからは普通の夫婦に見えていただろうけど、その仲はとっくに冷めきっていた。
だからだった。クレイラは突然一人旅に出ようと心に決めた。一年くらい前の話だ。クレイラは電車に乗って、リアル教の聖地、ホールランドに来ていた。襟ぐりの開いた白いシャツにグリーンのパンツ、それにストールを合わせたおしゃれを決めて、意気揚々と観光に来た。
ホールランドに入ったら参拝所などを回りながら街をぶらついて、最後にメサィアの御所と言われる洞泉宮を見る。それがクレイラのプランだった。
「ノーラは聖地に居住を許されてる人。会える訳なんてないのは分かってるけど」
クレイラが旅行先にホールランドを選んだ理由がそれだ。ファンであるモデルのノーラ・レイが住んでいるという町に来てみたくなったのだ。
「一人旅なんて若い頃だってしなかったわ。観光場所もたくさんあるし、思い切り楽しまなくちゃ」
そう考えてクレイラは駅を降りた。




