10-4.オラデア・カルパティエ
リールは冷たくも見える表情でサーシャを見下ろす。
「言ったろ? 元の生活に戻る戻らないも自由。それなりの報酬も出るんだ。新しい生活を始めるのにも充分なはずだ。しょせん……かりそめの家族だ」
最後の台詞にはサーシャと、そしてラウスもカチンと来た。サーシャはいつもの暴言を吐く。
「なによ! この売女!」
「な! 君ね!」
無表情だったリールは表情が戻って怒った顔になるが、サーシャは背中を向けて逃げていってしまう。そのリール達の会話を聞いていたドルはぼそっと言う。
「おれは戻りたくない……な」
「ぼくはいったんは戻るけど、その後の予定はないな」
エドアルドも答える。
「ダンはどうするの?」
ドルはテーブルを拭いているダンに聞く。
「何が? 聞いてなかった。サーシャのオラデアなんかいーってのは聞こえたけど」
「あ、じゃあとりあえずいいや」
ドルは早々にダンの意向を聞くのを諦める。この島の生活が終わった後なんて、まだ考えたくない気持ちがドルにはあった。
ラウスはリールを睨む。
「かりそめの家族、なんて」
リールは横目でラウスを見る。
「違うのかい?」
ラウスはまたカチンと来たように顔をしかめる。しかし反論はできなかった。リール自身がみんなを家族と呼んだとはいえ、実際に家族と言えるものかどうかは分からなかったから。
それからリールはラウスに睨まれるように食事を終えた。そしてリールは自分の家でシャワーを浴びる。
リール達の住む少し大きめのコテージハウスにはシャワー室がついている。リールは風呂をシャワーだけで済ませる事が多いので、あまり共同風呂の方には行かない。その後はアラドもシャワーを浴びる。アラドは本当の兄ではないが、リールに兄ちゃんと呼ばれている子だ。アラドも共同風呂には行かない。
シャワーから上がったアラドは、イランの所に勉強しに行こうと思ったが、家の中にリールの姿が見えないのが気になった。少し家の周りを探すように歩き回る。隣のコテージハウスまで来た時、ちょうど家から出てきたラウスと鉢合わせた。
「ラウス、リールを見なかったか?」
「リール? リールならさっきドルと歩いているのを見たよ」
「ドル……ならいい」
「珍しく寛容だね?」
ラウスもアラドがリールの事を好きなのは知っている。そしてリールが男の子と仲良くしていると、アラドはあからさまに不機嫌になり、嫉妬の目を向ける事も知っていた。
「あいつはリールの好みじゃない」
「そうなの?」
リールに関する事には冴えてるなと、ラウスは半ば感心しながらアラドと別れた。
リールとドルは、みんなの住んでいる居住地から少し離れた廃屋内にいた。窓の開いた畳の部屋で、リールは片膝を立てて座っている。リールの表情はどこか沈んでいるように見える。
「本物の家族……なんて、このぼくに……」
「おれはいいと思うよ? 恋人……もいいと思う」
ドルはリールの前に静かな表情で座っていた。
「ドル、キットとはそういうのじゃ……」
言いかけるリールの言葉を遮るように、ドルは言葉を続ける。
「あと八か月……本物の家族や恋人と過ごしてみるのもいいんじゃない?」
「恋人……は無理だよ」
リールは少しうつむく。
「ん、アラドが邪魔だね」
「邪魔とか言わないで……」
「……ごめん。でもおれはアラドよりキットの方がいいかな」
そう言ってからドルは立ち上がる。そして手を伸ばしてリールの頭を抱きしめた。
「だって今はおれがリールのお兄ちゃんだもん」
リールはドルにされるままになっている。
「……君は温かいね」
「リールも温かいよ」
ドルは言いながら目を閉じた。
イランの家で勉強を終えてきたアラドを、いつも通りリールは家で出迎えた。
「さっきどこ行ってたんだ?」
「うん、ちょっと片付けるものがあってね」
リールは書類を整理しながら答える。
「ドルといたんだろう?」
「ああ、知ってたの。ドルに手伝い頼んだんだ」
リールの表情はいつもの感情が読みにくい顔だ。アラドはその表情に少しだけ違和感を覚えたが、相手がドルなら自分の心配しているような事にはならないはずだと考えて、そのままリールにおやすみの挨拶をした。
ドルもダン達と一緒に住む家に戻ってきていた。
「何してたんだ?」
「ん! リールの手伝い!」
ダンの問いに、ドルはにこにこ笑顔で答える。その笑顔を見たオラデアは不審そうな顔をする。
「なんか気持ちわりー」
「え!? 何が!?」
「おまえ?」
「ひどくない!?」
ドルは騒ぎながら、やりかけだったゲームのスイッチを切り、寝る準備をした。
寝る前になって個室に戻ってきたオラデアは自分の右手を見ていた。右手の指をゆっくり、ゆっくり動かす。実はオラデアはあまり右腕が自由に動かない。子供の頃の事故により、右手が不自由になってしまったのだ。その後リールに出会った事で、以前より少しは動くようになったのだが、それでもまだ動きが鈍い。
(動く……けど、すぐ取りこぼしちまう……)
オラデアはリールが自分の噂話をして、自分をかっこいいと言っていたのを聞いていた。だが実際はどうだろう。あの時はただ口を出しただけ。行方不明になっていたルテティアを見つけた時は、滑り落ちそうになったルテティアを支えきれず、結局一緒に落ちた。それに自分が入院したあの時、リールは目に涙をいっぱい溜めて自分を見ていた。
リールに救われた事で、何かリールの力になってやろうとこんな島まで来たのに、結局何もやれてない。
この島に来る前までのオラデアは、街の不良グループに属していた。年齢は二十四になっていたが、働いてはいなかった。父親が事業に成功し家が裕福だったので、いつも多くのお小遣いをもらい、それで遊び歩いていた。
不良グループに属するきっかけになったのは中学三年生の頃。動かなくなった右腕の事を人に知られるのが嫌で、人と交わる事を極端に嫌っていた。
そんなオラデアに不良グループの内の三人が絡んできた事があった。不良達はでっぷりとしたオラデアにからかい半分で声をかけてきただけだったのだが、いつも何かにイライラしていたオラデアはそれまでになかった凶暴な気持ちに駆られた。




