10-1.オラデア・カルパティエ
子供の島の食堂では、いつものように子供達みんな夕食を済ませていた。ダン、ドル、オラデアの三人も食器の片づけを終え、食堂の外に出てきていた。
その三人は今は同じ十二歳くらいの少年の姿だが、それぞれダンが百七十センチメートル、オラデアが百六十センチメートル、ドルが百四十センチメートルと、段々に頭が連なった階段トリオになっている。
三人は一緒のコテージハウスに住んでいて、食事の席も同じテーブルに座っている。テーブルの位置は三列並んだ真ん中の座敷に近い席だ。隣のテーブルにはブルーにローリー、双子のサーシャ、キーシャといった女の子達が座っている。
まだ日の落ち切らない夏の空の下、家に帰ろうとしているオラデア達を、食堂から出てきたキーシャが慌てて呼び止めた。
「オ、オ、オ、オラデア……!」
「なんだよ、キーシャ」
オラデアはいつものようにぶっきらぼうな調子で返事する。キーシャは肩肘を張り、少し怒って見えるくらいに緊張した表情で、頬を紅潮させながら喋る。
「あの、あの、あの……さ、さっき……フ、フォーク、拾ってくれて、あり、ありがと……!」
「おう、いーぞ」
必死なキーシャの言葉に、オラデアはさらっと返事した。サーシャが食堂の入り口から顔を出す。
「キーシャ! どこ行ったのよ! わたしを置いていかないで!」
「ま、待てよ! 今、行く、から!」
キーシャはくるりと背を向けて、サーシャの元へ走っていく。オラデアもそのまま背を向けて歩き出そうとする。その様子を隣で見ていたドルは、サーシャとキーシャの様子を振り向いて見ながら言う。
「オラデアって意外に辛抱強いよね……」
「あ? おれが何を辛抱したんだよ?」
「だってキーシャの言葉って時間がかかるから、オラデアの性格上、途中でめんどくせーとか言いそうなのに」
「あーそれ、おれも最初思ったよ」
ダンも横から口を出す。
「オラデアが来た頃さ、キーシャがこいつにぶつかった事があるんだけど」
サーシャと小さな言い争いをしながら歩いていたキーシャは、前にいるオラデアに気づかず、どんっとぶつかってしまった。振り返ったオラデアの不愛想な視線に、キーシャは縮こまって震えた。
「あ……あ……あの、ご、ご」
キーシャは動揺しすぎて言葉にならない。まだ人と話す事に怯えていたサーシャも、キーシャの陰に隠れるように縮こまっていた。オラデアはぱくぱく口を動かしているキーシャをじっと見つめている。
「あー、ほら、大丈夫だから。おい、もう行こうぜ」
ダンは居たたまれなくなって、オラデアを急かす。しかしオラデアは動こうとしなかった。
「あ? なんでだよ。こいつ今なんか言おうとしてるだろ」
オラデアはそう言って、キーシャが喋るのを待つ。
「ご、ご、ごめん……なさい」
「おう、いーぞ」
キーシャが何とか絞り出した言葉にオラデアはあっさり答え、何事もなかったかのように歩いていった。
ドルはその話を聞いて、まじまじとオラデアを見つめた。
「なんかかっこいいね、おまえ」
「何がだよ。てか普通だろ。辛抱とか意味わかんねー」
オラデアにとって、キーシャの言葉は辛抱して聞くものではないらしい。ドルはそれだけでもオラデアを見直さざるを得ないと思えた。
「最初こいつを任された時は、どーしようかと思ったんだけど」
ダンがまたも最初の頃を思い出して喋りだす。
オラデアは太った重そうな体を揺らしながら、ダンと一緒にゴミの収集をしていた。
「なんだよ、なんでおれがこんな事しなくちゃいけねーんだよ。めんどくせー」
オラデアの文句の多さに、オラデアの面倒を任されていたダンはうんざりしかけていた。だがオラデアと過ごしている内に、少しずつその評価が変わってきた。
「文句たらたらの割に、絶対途中でやめようとしないのな。だるそうにはしてたけど、何か頼めば必ずやってくれたし、なんかおれこいつの事好きになっちまったよ?」
ダンはオラデアの涙もろい所や、人の過去にこだわらない所も思い出して言った。
「おい、おれそっちの趣味はねーぞ」
「おれもねーよ」
二人の間では定番になっている台詞を言いあう。
「人は見かけによらないね……」
ドルはなんでダンがいつもオラデアと一緒にいるのか、改めて分かった気がした。
「どーいう意味だよ」
オラデアはちょっと怒った振りをして言った。人の評価なんか気にしない。でも人の中で自分の株が上がると、ちょっと気恥ずかしいような気がした。
四月の半ば頃だった。その時も救世主と呼ばれるもう一人のリールは、聖地ホールランドという場所にいた。そしてリアル教の法王、バイロト・アンダマンと向かい合って話をしていた。
「麻薬の調査?」
もう一人のリールは無表情に聞き返す。
「ええ、今シルダラスという国を中心に、若者達の間で急速に新種の麻薬が広がっているという話があります。それで非公式ではありますが、簡単な事前調査をお願いできないかと、機関から要請がありました」
「……ぼくに?」
「はい。できればもう一人のあなたに」
「もう一人のぼくは、行方不明の有尾人の捜索中だ。それに君はぼくに人間社会の事に直接関わるなと、常々言っているだろう?」
「有尾人の誘拐事件の件で、機関は少し考え方を変えたようです。人道支援を行う上で、あなたの事前調査は有効だと。もちろんメサィアが関わっているという事は隠しながら、ですが」
もう一人のリールは視線を落としたまま、眉だけひそめた。
「少し……勝手じゃあないか? 君の言うように有尾人の事件にもう一人のぼくが関わったせいで、実際に無差別の犠牲者が出た」
「それはあなたが終息させました」
「君はアナイムディの連続殺人事件で、もう一人のぼくが関係者を連れ去ったのを怒ったばかりだ」
「それは機関の指示と無関係のものであったからです」
もう一人のリールは押し黙る。バイロトはそんなメサィアを見つめながら、ゆっくりと諭すように話しかける。
「勝手な事を言っているのは重々承知の上です。しかし、あなたのメサィアという力の有用性を、機関はもっと試したいと思っている。もう一人のあなたがいるからこそできる事です」
もう一人のリールはまだ何も言わない。すねた子供のように黙っていた。




