9-4.六?
キットははっきりと答えた。
「そうだ。愛してる。だから、おれのものにする」
言った直後にキットは少しだけ顔を火照らせたが、それ以上には照れる素振りも見せず、そのまま去っていった。イランは棚に手を当て落ち込んだ。
(何聞いてんだ、おれ……)
なぜかキットの台詞にはショックを受けた。
それから夕食の時間になって、イランは食事をぼーっとしながら食べていた。
(おれのものにする……って事は、まだなってないって事だよな。じゃああの時リールと抱き合ってた影はキットではない……んだよな)
イランはヴィルマと談笑しているリールを見た。ヴィルマはあまり笑わない女の子だが、それでもリールは楽しそうに喋っている。
「イラン、何かぼーっとしてるね?」
隣のラウスが声をかけてくる。
「ああ、いや」
ラウスに心配されるほど放心している自分に呆れて、イランはため息をつく。
(ホントになんでこんなに気にしてんだ、おれ。リールに恋人がいたって別に……)
ふとイランはリールと視線が合う。リールはにこっと笑うが、イランは思わず視線を泳がせた。
「イラン、月末が近づいてきたから、また報酬計算手伝ってくれるかな?」
「あ、ああ、もちろん」
イランがリールに頼まれている仕事の一つがそれだった。イランは焦りながらも頷いた。
夕食後、風呂を済ませた後にアラドは勉強していた。ラウスに何もできないガキだと言われ、他の子達よりもずっと勉強が遅れている事を知ったアラドの勉強ぶりは凄まじいものだった。一人では分からない事も多いので、イランの家に入り浸って勉強している。イランはアラドのためにリビングテーブルを寄せて、個室に元々設置されていた机をリビングに持ってきていた。
イランはアラドに出した小テストの採点をして、点数を確認する。
「ん、おまえ割とまじめに勉強してるよな」
「当たり前だろ。勉強しなきゃ守れねえって言うんなら、勉強するよ」
アラドは長い腕を背もたれに乗せて答える。
イランはラウスがアラドに言っていた言葉を思い出す。詳しい事は分からないが、アラドはどうやら過去にリールを守れなかった事があるらしい。そしてその話をした時も、ラウスという敵かもしれない男に何の反論もできなかった。空っぽの頭をどうにかしろなんて言われる始末だ。だからアラドは勉強を始めたのだ。
ただ学校の勉強をする事が、リールを守る事に繋がるのかというと、イランは|(ちょっと違うような……)と思ったが、それは口に出さないでおいた。
アラドが間違った所を解き直している間、イランはぼーっとアラドを見ていた。そしてアラドに聞こえるかどうかくらいの声で呟いた。
「おまえ……もさ、リールを自分のものにする、とか思ってんの……?」
イランはアラドとリールが本当の兄妹でない事を以前知った。それなら当然アラドのリールに対する執着は、恋愛感情から来ているものなんだろうと思えた。
アラドは睨むようにイランを見る。
「何言ってるんだ、おまえ」
「あ、いや」
イランは我を取り戻し、慌てて取り繕おうとしたが、その前にアラドが口を開いた。
「おれのものにするんじゃねえ。おれのものなんだよ」
アラドも照れる素振りもなく言い放つ。
「そ、そうか」
イランはまた落ち込んだ。
(ホントに何聞いてんだ、おれ……)
アラドに背を向け、机に両腕を乗せて下を向く。
(と、とりあえず、すげえ三角関係が成立してんのはわかった。いや、違うか。あの時間、アラドは寝てたはずだから、あの影は絶対アラドではない。て事は四角関係……?)
イランはそこまで考えてから、ラウスが注意しろと言っていたリールの共感能力の事を思い出す。
「強制的に彼女を愛させる力」
「それって誰とでもメイクラブ的な」
そんな話をした。
(いや、でもそうなら子供の姿になんかしないで、ハーレムでも作ればいいって話だし、第一リールがそんな事……)
悶々と考え込んでいるイランの背中を見つめていたアラドは、問題を解き終わって鉛筆を置く。
「おれはもう眠い。帰る」
「あ、ああ、おやすみ」
アラドが出ていった所で、イランは頭を振った。
(ダメだ……考えないようにしよう)
アラドは眠そうな目をしながら、リールの待つ家に戻った。書類を見ながらソファに座っていたリールが立ち上がって、アラドを出迎える。
「おかえり、兄ちゃん。勉強ははかどった?」
「ん」
アラドはリールの前に行き、大きく手を広げた。
「な、何、兄ちゃん」
「来いよ」
「え、えと……」
リールが戸惑っていると、アラドは眠い目を精一杯開けてリールを見る。
「いつからだ? おまえがおれに抱きしめられるのをためらうようになったのは」
「あの……」
「覚えておけ。おまえはおれの、もの……」
アラドは眠気に耐えられなくなり、ふらつき倒れかけた。リールは慌ててそれを支える。リールはアラドをなんとか抱き上げて部屋に連れていき、ベッドに寝かせた。そしてアラドがそのまま寝たのを確認して、部屋を出た。そっとドアを閉めたリールは辛そうに顔を歪めて呟いた。
「兄ちゃん、ごめん……」
それから木曜日の午前中、イランはカイナルとブラックの住む家に向かった。カイナルは赤毛でそばかすのいつも怒ったような顔をした少年だ。そしてブラックは刈り上げられた焦げ茶色の髪に、少し遠くを見るような目をした寡黙な少年だ。カイナルとブラックの家のドアを叩くと、カイナルが出迎えた。
「何あんた。何しに来たの」
不機嫌さを隠そうともしないその物言いは、普通の人ならそのまま帰ってしまいそうだ。イランはあまり気にしないようにして、用件を切り出す。
「ブラックって今日休みだろ? ちょっと話できないかと思って」
「ブラックならぼくの部屋の掃除してるよ」
「休みじゃないのか?」
「各家の管理は自分達で、だろ。休みだから掃除してるんだよ」
「いや、なんでおまえの部屋……まあいいや。おまえも今日は休み?」
イランが聞くと、カイナルは眉をひそめる。
「ぼくはリールの仕事なんかしてない」
「そうなのか?」
「報酬なしなんだ。当然だろ」
「……なんで?」
カイナルは顎を上げ、イランを睨みつけた。




