8-9.ダン・バハ
ダンはサーシャの傷だらけの手に、自分の血だらけの手の影をそっと重ねた。
「ほら、あんまり触らないようにしてやるから」
ダンは指の先をひっかけるようにして、サーシャの手を引いていく。サーシャは黙ってついてきてくれた。それがなんだか嬉しかった。
やがてキーシャを見つけ、サーシャはそそくさとダンから離れていく。
「……う」
サーシャのお礼の声は小さすぎて、最後の一字を聞き取るのがやっとだった。でもそれはダンの心を温かくした。手の血の色が、薄くなってくれたような気がした。
ダンはまだ明るい夏の夜空に浮かぶ雲を見つめた。
「あんたはすげー柔らかいのにな」
「何よそれ」
サーシャは上を見ているダンに視線を向ける。
「汚れきってるおれなんかと違って、あんたは……ここにいる奴らはみんな柔らかいんだよな。時々どうしようもなく逃げ出したくなるよ。でも逃げられねえ。人の柔らかさを知って、自分もそこにいたいと思ってしまう。おれなんかこんな所にはふさわしくないのにな」
「……意味が分からないわ」
「ハハ、そーか」
ダンは笑う。臆病なのに媚びないその言い方も、ダンは割と好きだった。
「でも……そう……」
サーシャは考えるように少し遠くを見る目をした。
しばしの沈黙の後、ダンは質問した。
「サーシャは、いくつなんだ?」
「女性に年齢を聞くなんて失礼じゃないの?」
「すいません……」
ダンは簡単にへこたれたが、サーシャは少し間を置いて答える。
「ニ十一よ」
(ぎりぎり……いや、犯罪的か!?)
「何よ、その割には子供っぽいとか思ってるの」
「いや、そんな事は」
ダンは慌てて首を振る。
「あなたはいくつなのよ」
「三十二……」
「そう」
(……やっぱりダメか)
反応の薄さにダンは少しがっくりするが、でもサーシャはぼそっと呟いた。
「大人の男の人って優しいのね」
サーシャにとって、ダンは好印象に映ったようだ。ダンは思わずガッツポーズをする。
「みんなはどうなのかしら。こんなわたし達でも幻滅しないでいてくれるのかしら」
「なんかよくわからんが、とりあえず謝っとくとか」
「なんでよくわからないのに謝るのよ」
「そうですね……」
相変わらずの辛辣な物言いだったが、サーシャは立ち上がった。
「でも、わかった。キーシャと二人で謝る。もしダメだったら島を出ましょう!」
「……おれも!?」
「何よ! あなたさっき言ってたでしょう! 島の外でわたし達二人だけで生きていけると思ってるの!?」
「あ、ああ、キーシャも」
「当たり前よ!」
サーシャは自分の体を抱くように、自分の腕を体に回した。そして少し顔を歪ませる。
「もう嫌だもの。男に凌辱されて生きるなんて、絶対に嫌……!」
(……なんかおれずいぶん信用されたっぽいな)
それからサーシャは戻ってきたキーシャと共に、みんなに謝りに行った。今までの引っ込み思案な話し方はどこへやら、一度みんなの前で自分をぶちまけたサーシャの言葉は、はっきりとしていて語気が強かった。みんなはその変化に驚きながらも、サーシャの詫びの言葉を受け入れた。
再び月日が巡り、ダンの休息日になった。ダンは前と同じようにリールやキット達とボートに乗り、大陸の港へ向かう。そして港に着くと、大人に戻してもらうために物陰で服を脱ぐ。裸になったダンはリールに背中を向けながら言った。
「ああ、リール。大人に戻る時の痛みとやらは肩代わりしなくていいぜ」
リールはダンの言葉に驚いて、キットを睨む。
「キット……!」
「いや、おれじゃ」
「おれが言った!」
キットの言葉を遮って、カットが腕を組みながら言う。
「おれは口止めされてないしな!」
リールはぐうと言葉に詰まるが、それでもなんとか口を開く。
「カット! 君もホントにどうしてぼくの仕事の邪魔をするかな!?」
「諦めろって。カットが言わなきゃおれが言ってたよ?」
アクロスも口を挟んでくる。
「女に痛み押しつけるなんて、男のする事じゃねえんだよ! おまえはちょっとおれ達を舐めすぎだ!」
「そ、そういう問題じゃないだろ!?」
リールはカットに抗議しようとするが、ダンが制する。
「カットの言う通りだろ」
「でも……!」
「いいから早くしてくれ。いつまでもすっぽんぽんでいるのも恥ずかしいぞ」
リールは渋々「わかった」と頷いた。
「結構痛いからね……」
リールはダンの背中に触れて力を送り込み、ダンを大人の姿に戻す。急激に二十七センチメートルも変わった肉体は悲鳴を上げる。
「うがああああ! 痛ってえ!」
あまりの痛みにダンは思わず叫ぶ。
「おまえ、今までこんな痛みを感じてたのか!?」
「いや、あの、ぼくはある程度は軽減する事ができるから……」
ダンはトランクスを履き、ズボンにも足を通す。
「おー痛って……」
ダンはその瞬間、故郷の教会でリールが死んでいたのを思い出した。
「あー、そうだよな。あの時も痛かったよな」
ダンは着替え終わると、申し訳なさそうにしているリールの頭をわしゃわしゃと撫ぜた。
「バカだなあ、おまえ。痛くない振りなんてしなくていいのによ」
ダンは優しく笑う。リールは少し目を潤ませた。
「ダン、ぼくは……」
側にいたキットが、リールの手を取る。リールは慌ててそれを振り払う。そしてダンに笑顔を作ってみせる。
「ハハ、ぼくは大丈夫なんだよ。そうできてる」
ダンは再びリールの頭を撫ぜた。
「バーカ。まあいい。後は頼むわ、キット」
「ああ……」
ダンはいつものようにタバコに火をつける。アクロスがダンに声をかけた。
「また今日もいつものとこか?」
「ん……今日はメイド喫茶にしとくかな」
「お、まじで! じゃおれも行く行く」
「おまえ今日休みじゃないだろ」
「大丈夫、大丈夫。今日は夕方までに戻ればいいんだから。リール、いいだろ?」
「いいけど、次の休み減らすよ?」
リールの容赦ない言葉にアクロスはガクッと肩を落とすが、行く気は削がれないらしい。
「服あんのか?」
「ボートに置いてあるぜ」
「じゃ早くしろよ」
アクロスがボートの中に行っている間に、ダンはキットと話しているリールを見る。
「本当、おれはもらいすぎてるな」
ダンは笑顔で空を見上げた。
次回 第九話 六?




