8-8.ダン・バハ
ラウスの隣に座っているアンナが見かねて立ち上がった。
「サーシャ! いい加減にしなさい!」
「なんでわたしなのよ! ……もういい!」
そう言ってテーブルにぶつかりながら、サーシャは出ていこうとする。ブラックが手を貸そうと立ち上がるが、サーシャは手を振り回して拒否する。アンナはそれを見て、ダンに声をかけた。
「ダン! あなた、サーシャを連れていきなさい!」
「お、おれぇ!?」
思わぬ指名に驚くが、泣きだしそうなサーシャの様子を見て、ダンはとりあえず側へ寄る。
「邪魔よ……! 余計なお世話よ……!」
サーシャは強気な発言を崩さない。
「いや、あのな。ほらあんまり触らないようにするから」
ダンはサーシャの指をつまむようにして、食堂から連れ出した。
「なんだったの……?」
ドルは困惑した表情で見送る。
「知らねー」
オラデアは大して興味もなさそうに言った。リールは自分の頭を抱えている。
「ヴ、ヴィルマ、ぼくって男好きだったの……?」
サーシャに言われた事がショックだったようで、深刻な表情で聞く。
「さあ、そうかも」
ヴィルマは適当な返事をする。
「ええー」
リールはますます落ち込んでがっくりと肩を落とした。
「て、低能……」
「うさんくさいって……」
アラド、ラウスもそれぞれ落ち込んでいる。
「このテーブル、ダメージでかいな」
自分に飛び火しなくてよかったと思いながら、イランはぼそっと言った。
ダンはサーシャの手をつまみながら、食堂の隣の広場まで来ていた。
「ちょっと、汚いものでも触るような持ち方やめてくれる?」
「いや、そういうつもりじゃ」
ダンは慌てて手を離す。
「いいわよ。どうせわかってるわよ。わたし達は汚いのよ。髪や肌にいくら気を使ってもムダ。体中汚れて醜くて、ぐちゃぐちゃのどろどろ」
「いや、そんな事は……」
ダンが言いかけている言葉など気にかけずに、サーシャは座り込み、小さな肩を震わせる。
「もう嫌! こんな所、出ていきたい!」
ダンはサーシャの隣にしゃがんだ。
「じゃ出ていくか? おれと……」
風がざっと二人の間を流れる。
「意味わからない。なんであなたと出ていくのよ」
「ハイ、そうですね……」
サーシャの辛辣な物言いに、ダンはすぐにヘタレ根性を見せる。サーシャは膝を抱えてスカートを抑えながら呟く。
「大体あなた、オラデアやドルの事、好きでしょう。アクロスとも仲いいし、ブラックともよく話すし、イランとも変な会話してるみたいだし」
「……よく知ってるな」
「知ってるわよ」
そう言いながら、サーシャはますます膝をぎゅっと抱える。
「いつも羨ましかったもの。みんなの事はなんでも見てる。お喋りしてるとこ、笑ってるとこ、怒ってるとこや泣いてる所でもいい。わたし達はずっと見ていただけだった」
サーシャとキーシャはいつも二人でくっつきながら同じものを見ていた。同じものを見ていたからこそ、二人の間にはケンカが絶えなかった。
いつもと違う髪型と化粧をして、誰かが気づいて話しかけてくれないかと期待した事もあった。精一杯の勇気を出して、大きな声で「おはよう!」と言ってみようとした事もあった。でもそうやって自分だけでも、と行こうとするともう一人が止める。二人はお互いをなじりあって、結局は二人とも同じ髪型をしたし、結局気づかれないほど小さな声で「おはよう」と言えただけだった。
ほとんど喋らない二人に、女の子達は時々話しかけてくれる。でもどっちか一人が話しかけられると、もう一人はそれに嫉妬心を起こす。男の子に話しかけられればなおさらだった。互いを男好き、淫売と罵りあう。
引っ込み思案で臆病なもう一人と違うと二人とも思っていて、それでも二人とも臆病だった。
「なんでわたし達だけこうなの? なんでわたし達だけわたし達のままなの? もっとみんなと話したい。もっとみんなと仲良くなりたいのに……」
「なればいんじゃないのか?」
ダンはあっさり答えるが、サーシャは膝に顔を埋める。
「もうムリよ! もうお終いよ! みんなの前で恥晒しちゃった。こんな汚いわたしなんか、もう誰にも受け入れてもらえないわ!」
ダンは叫ぶサーシャを見つめた。
「きれいだと思うけどな」
「……ハイ?」
「いや、だからぐしゃぐしゃに泣いてるあんたも、きれいだと思う、ぞ」
サーシャはよく見えない目を細めてダンを見る。
「……あなた何か変な趣味でもある?」
「いや、違くてだな」
「見たでしょ、わたし達の部屋を。あれがわたし達よ。いつだってぐしゃぐしゃのめちゃくちゃ。みんなだってきっと幻滅した」
「なんでだ?」
ダンは率直な疑問を浮かべる。ダンには本当に分からない。
「何がなんでだよ。わたし達はぐしゃぐしゃのめちゃくちゃなのよ」
「それがなんで幻滅するんだ?」
「……あなた、お話にならないわ」
「すいません……」
そこで会話が途切れた。
ダンはサーシャ達がこの島に来た頃を思い出した。サーシャはキーシャを探していた。
「キーシャ、キーシャ」
口を抑え、小声でキーシャを呼んでいるため、ほとんど周りに聞こえていない。サーシャは途端に至近距離に人の気配を感じて驚いた。
「おっと、サーシャ、キーシャ、どっちだ」
ダンはまだサーシャとキーシャの区別がついていなかった。サーシャはうろたえて返事せず、逃げてキーシャを探そうとする。
「キーシャ、キーシャ」
慌てるあまり、サーシャはふらつく。
「おい、大丈夫か。片割れ探してるのか」
サーシャは支えようとしたダンの手を拒むように身をよじり、バランスを崩して座り込む。
「おお? 大丈夫か? おまえ目が見えない方か。じゃあほら、一緒に探してやるから」
そう言ってダンは手を差し出す。サーシャは自分の手を庇うように身を縮こまらせる。
「手……汚い……」
拒まれたダンは、一瞬自分の手が血まみれの汚い手だという事を思い出した。
「ああ……すまん。洗ってはいるつもりだが」
「違う……わたし、手、汚い……」
ダンはそこでようやくサーシャの手が絆創膏だらけなのに気づいた。キーシャとの激しいケンカで、物が割れる事も多いので、サーシャはそれを触ってケガをしていたのだ。