34-4.終わらない悪夢
イランはアラドとオラデアが倒れている病院の前に来ていた。二人とも寝ているように動かない。イランは鼻血の痕が残るオラデアの手を取り起き上がらせようとするが、百八十二センチメートルもあり、太ってもいるオラデアを運ぶのは無理だと判断する。
「ダン、連れてくればよかった」
イランの呟きに、オラデアは目を覚ました。
イランは電話をかけだす。
「救急車は呼ぶなよ……」
オラデアは起き上がる気力もなく言う。
「うん、ダンにかけてる。くそっ、でねーな」
イランが電話をかけるのを諦めると、オラデアは手を繋いだままのアラドの手をゆする。
「アラドを起こせ。確かめたい」
「ああ、もう大丈夫だと思うけど」
オラデアはその言葉に「なぜ知ってる?」と問う。
「アラド、電話切ってなかった。大体状況は把握した。アラド、起きろ。じゃなくて起こせよ」
イランが誰に言っているのか分からない命令をすると、アラドの体がずるずると動いて、意識はないままに口も動く。
「しようがないなあ……」
アラドが座った姿勢になると、アラドも目を覚ました。得体の知れない何かを操ったイランに、オラデアは不信感を抱いた視線を送る。イランはそれに気づいて答える。
「大丈夫。おれ達はこいつを知ってる。怖がんなくていい。そうそう、怖がんなくていい、いややっぱり怖がって♪」
イランの口が不自然に陽気な声を発する。
「お、おまえの中にもいるのか」
アラドとオラデアは再び怯えた表情をする。イランはにたりとしていた口を戻すようにあごを押す。
「んー、やっぱ知らねえかも。たぶん暴走してんなこれ」
「どういうことだ……?」
イランはどう説明したものかと頭を捻らす。
「これはおれ達の記憶と感情が混ざったあいつ」
「ヤだー、言わないで♪」
「いや、もう実体なんてないのかも」
「あ、バレちゃった♪」
イランはまた顎を押してぼやく。
「ホントにうるせーな、これ」
オラデアは「いてて」と言いながら体を起こした。
「まだわかんねーぞ、イラン。なんでこんな事になった? 一体何のために、誰がした」
「この計画を考えたのはレイリールだよ」
イランの口がそう動いて、アラドもオラデアも顔をしかめ面にする。
「かき混ぜたのはおまえだろ」
「そうだけど。でも元々こういう予定だったんだ。子供の島にいたみんなの心を繋げる」
「レイリールは混ぜるつもりはなかったみたいだぞ」
「えー、そうなの?」
一人で受け答えしているイランに、アラドが口を出す。
「おまえ、誰と喋ってるんだ……?」
「ぼくは……」
その声が答える前に、ぐわんっと空間が歪んだ。
「さあ、来たぞ。惑わされるなよ、君達」
キャハハハハ、イヒヒヒヒ、アハハハハ
歪んでいる空間にけたたましい笑い声が響く。そして次の瞬間には、大きな機械がある場所に来ていた。その機械には人一人入れるカプセルが数十繋がれており、その中には子供の島の住人達が眠っていた。
オラデア、アラドもカプセルの中で横たわっている。イラン一人だけが起きていて、一つ一つカプセルの中を確認していた。
「これは……?」
「これは子供の島の真実」
空間内に響いたその声はラウスのようにもレイリールのようにも、全く別の誰かの声のようにも聞こえる。
「おかしいと思わなかったのか、イラン。大人が子供の姿になるなんて、そんな魔法が現実にある訳がない。君達はみんな、ここで夢を見させられていたんだ」
イランは少し顔が赤くなるのを感じた。そんな魔法を大した疑いもなく信じていた事に恥ずかしさを覚える。ふといつの間にかベレチネという女性が現れて、カプセルの一つを開く。イランはそこに近寄ろうとしたが、ベレチネが止めた。
「見ないでください。おむつを交換するんですから」
イランはショックを受けた。イラン達はここで下の世話をされてまで眠らされていたのだ。恥ずかしさと同時に怒りが湧いてくる。
「君達はね、ぼくの夢の犠牲になるために選ばれたんだ。ぼくの狂った夢を君達に押しつけて、ぼくは正常になって現実世界に戻る。ああ、ハハ、心配しないで。夢が終わればみんな目を覚ますよ。何十年後になるかわからないけどね」
レイリールの口調を真似た声が聞こえてくる。
「ふざけるな! みんなを起こせ!」
イランが叫ぶと、ロボットのように冷徹な顔をしたヤマシタが現れる。
「イラン・パネヴェジス。あなたが目を覚ました事は想定外だ。カプセルに戻れ」
「や、やめろ、アラド! オラデア! みんな! 起きろよ!」
イランは抵抗していたが、ベルトに繋がれ蓋を閉じられた。白い煙が中に充満してきて、眠くもないのに目を閉じていく。
再び目を開くと、そこは見覚えのある子供の島の中だった。体も十二歳くらいの少年の姿になっている。イランはぞわっとした。
「おれ達は、一生ここに閉じ込められるのか?」
子供の島に来る前までのイランならここで諦めてしまっていたかもしれない。あの頃のイランには何もなかったから。下手な抵抗を続けるより、幸せな夢を見る事を選んだかもしれない。
でも今は違う。アラドやキット、オラデア達と働く事に充足感を得ていた。自分が必要とされている喜びを知った。それが今さらになって夢の中で生きるなんて冗談じゃない。
「返せ! おれを現実世界へ返せ! 返せよ……」
イランは空に向かって吠えながら涙を浮かばせた。
「ねえ、それって現実だったのかな? そっちの方が夢だったんじゃないの?」
いつの間にかレイリールが横に立っていた。
「だってそうでしょ? 何者でもなかった君が、何も持っていなかった君が、どうして誰かが羨むような人生を手に入れられたの」
イランはその言葉に惑わされるよりも、心が怒りに支配された。
「おれが幸せになっちゃいけないのか?」
「ハハ、君達の幸せはこのぼくが与えてあげるよ。この子供の島でね」
「うるさい。おれはもうおまえなんかいらない。偽りの幸せなんていらない。おれはおまえを殺してでも……」
イランは自分で言った言葉にはっとする。イランが自分の中に湧いた殺意に怯えたその時、力強い声が聞こえた。
「イラン、思い出せ。子供の島は本当にあった」
それは目の前のレイリールが発した言葉ではない。だが確かにレイリールの声だった。
次回 第三十五話 リール・ゲルゼンキルヘン




