34-2.終わらない悪夢
キットがいつもの座敷の席に座ると、女の体に戻ったレイリールが前に立っているイランの紹介をした。
「彼はイラン・パネヴェジス。今日からこの子供の島の仲間になる!」
イランはその光景に既視感を覚えながら「よろしく」と挨拶した。みんなも「よろしく」と笑顔で言った。イランは自分の席に向かおうとしたが、ふと違和感に気づいて足を止める。
座敷の席に座っているポテトが、ひたすら紙に何か書いていた。
「じゃないじゃないじゃないじゃないじゃないじゃない」
「ポテっちゃん……何してるんだ……?」
イランはなんとかポテトの名前を思い出して、ポテトに尋ねる。ポテトは目を上げずに答える。
「悪魔の言葉を訂正してる。みんな悪魔に囚われた。脱出する方法を探してる」
「悪魔……?」
途端にイランは背中に寒気を感じて振り返った。いつの間にかみんなが椅子からずり落ちて倒れこんでいる。みんなぐったりしていて動かない。
「え……? なんでみんな……」
いつもの席に座っていたレイリールがゆっくりと立ちあがる。その目からは涙がぼろぼろ零れている。レイリールの背中からどす黒い血にまみれた翼が飛び出した。
「みんなを帰してあげないと……この世界から……!」
イランはそこでようやく気付いた。
「これは夢……全部夢だ……!」
「どこからどこまで……? 誰の……?」
テーブルと座敷の席の間で、椅子に座っている男のリールが呟く。
「みんなが混ぜられた。これはみんなの夢。その夢にレイリールは苛まれ、狂っている」
みんなの体から黒い煙が立ち込め、食堂内を黒く染めていく。イランは叫んだ。
「もうやめろ! おれを、いや、おれ達を現実世界に返せ!」
イランははっと目が覚めた。そこはレイリールが寝かせられている廃病院の中だった。いつの間にこんな所に来た……? いや、アラドから話を聞いてレイリールの様子を見に来たんだ。そう思い出す。レイリールは目を閉じていて起きない。
「今のは……レイリールの夢……?」
イランはその場から逃げるように病室を出ていった。その廊下の端にラウスが立っているのには気づかなかった。ラウスはにやりと笑う。
「これは子供の島の混沌。目を覚ませ、イラン。悪夢を断ち切れ」
オラデアはアラドを後ろに乗せて車を走らせていた。着いたのはレイリールのいる廃病院だ。建物内に入ろうとすると、入り口からどこかに出かける様子のブラックが出てきた。ブラックは二人を見ると、中に声をかける。するとグルジアも出てきた。
「グルジア、ブラック。おまえ達がリールの事を隠していた礼はしてもらうぞ」
オラデアは挨拶もそこそこに凄んで見せる。ブラックとグルジアは少し何か話したが、グルジアはブラックに「行きな」と言った。
「仕事はきちんとしろと、レイリールがいつも言っているだろう。ここはいいからおまえは行きな」
時間は夕方だが、ブラックは仕事に出かける所らしい。ブラックはグルジア、カール、ヤマシタと一緒に便利屋の仕事をしている。今はグルジアは残るようだ。
「レイリールの周りでうるさくするような事はしないでくれ」
ブラックはそう言って歩き去っていく。グルジアは帽子をかぶり直して、深い口髭の下から喋りだす。
「やれやれ、アラド。おまえがそんなお喋りだとは知らなかったな」
アラドは少し気まずそうに顔をしかめる。オラデアはアラドを庇うように一歩前に出た。
「おれが無理に聞き出しただけだ。最近のこいつの様子がおかしかったからな。そんな事よりもリールに会わせろ。ここにいると聞いたぞ」
「リールなら洞泉宮にいるだろ」
オラデアはいらっとしたように眉を吊り上げる。
「あいつじゃねえリールがいるはずだ。なぜ隠す」
「喋る理由があるか? おれはあいつの心の平穏のためなら何でもやるさ。だがまあ、今ではもう隠す理由もねえのも確かだ。アラドとキットにレイリールの存在を知られちまったからな」
「なんでおれ達から隠すんだ……?」
アラドが疑問を口にするが、グルジアは答えずにタバコに火をつける。そしてくいっと顎で中を差した。
「会いたいなら会っていきな。今日は落ち着いてるからな。もしかしたら目を覚ますかもしれねえ」
アラドとオラデアはレイリールの病室に来る。ベレチネは二人を見ると、席を外した。オラデアが中に入っていくのを見ながら、アラドは足を止める。いつもうなされているレイリールを見ると、涙が出そうになるからだ。心の準備をするために少し気持ちを落ち着かせていた。
オラデアが寝ているレイリールの横に来ると、レイリールはそれを待っていたかのように目を開けた。
「フフ、オラデア」
アラドはその気配に気づいて慌てて中を覗く。そしてレイリールが微笑んでいるのを見た。オラデアは優しい声色でレイリールに声をかけていた。
「そうだね、ぼく、みんなに会いたいなあ」
「落ち着いたら、みんなに会いに行こう」
「ダメなんだ、だってぼく……」
オラデアがそれを聞き取る前にレイリールはまた眠りに落ちた。オラデアが病室から出ると、アラドは口を押さえて涙をこらえていた。
「レイリールはおまえに会いたかったのか……!?」
アラドはまだ目を覚ましたレイリールには一度も会っていない。自分はレイリールに拒否されているのかとひどく打ちのめされた。
「そんなんじゃねえよ、アラド。リールは……いや、レイリールはおまえにだって会いたがってる。あいつはおまえを必要としているはずだ」
「でも、あいつブラックと結婚したって……」
オラデアはアラドの肩に手を置く。
「レイリールの幸せを願ってやるのに、立場は関係ねえだろう? 少なくとも今は側にいてやれ」
オラデアはレイリールの部屋に入るように促した。
「キットの奴はもう諦めたんだな。あいつ吹っ切れたのか、最近よく笑うようになってるじゃねえか。皮肉な事におかげで人気が上がってきてるけどな」
「あいつは……そんなんじゃないと思う」
アラドは呟きながらレイリールのベッドの横に座った。
「気が済むまでいとけ。おれは車で待っておいてやる」
オラデアはそう言って車に戻ろうとした。その時、一瞬だけ空間がぐわんっと歪んだようになった。




