33-1.混沌
子供の島の住人だったみんなのレイリールの記憶は男のリールとすり替えられ、レイリールはみんなの前から姿を消した。
ただまだ記憶をすり替えられていない子達もいる。グルジア、カール、アンナ、ブラックがそうだ。彼らはレイリールが住んでいる屋敷に、使用人としての役割を兼ねて同居している。その他ではアクロスとドルも記憶をすり替えられていない。
そしてラウスもまた、記憶をすり替えられていなかった。ラウスは子供の島の計画を調べ、その計画はレイリールが完全なレイリールになるためのものだと知った。
記憶をすり替えられる前に子供の島を脱出したラウスは、ポテトに教育を受けさせる傍ら、部屋にこもってその研究に没頭していた。
ラウスは十年以上前にレイリールと交わした会話を思い出す。
「ラウス、君は気をつけろ。もう一人の君はぼくと混ざって妙な力を手に入れた」
ラウスは小さな折り畳みナイフを取り出し、自分の腕に刃を滑らせた。血が滴り落ちる腕をハンカチで拭う。するとそこにはもう傷はなかった。ラウスはにやっと歪んだ笑みを浮かべる。
「レイリール。ぼくがなんとかしてあげるよ。君のそのメサィアの力を」
アンナはレイリールの屋敷で主に料理を作る事を担当している。レイリールは全く料理ができないためだ。それ以外では家事手伝いをしながら、レイリールの話し相手になったりする。
ダイニングでアンナはレイリールと向かい合って座り、にこにこしながらレイリールと話していた。
「あの島での生活が終わってから、もう一年近くになるのね。あなたはこの一年の間も、陰ながらみんなのサポートをしていた。それももう一段落したんでしょ?」
「うん。今の所はみんな順調に暮らしているようだ。特にアクロスが頑張ってくれて、キット達の故郷との繋がりを作る事ができた。おかげでキット達も一度故郷へ戻る事ができたようだよ」
アクロスが指令を受けていた仕事がそれだ。嬉しそうに語るレイリールを、アンナはじっと見つめる。
「あなた……キットやアラドには会わなくていいの?」
そう言うアンナに、レイリールは問い返す。
「アンナ、君は幸せ?」
「ええ、幸せよ。あなたは約束を守ってくれたもの」
アンナと出会った時、アンナには赤ん坊がいた。それは捨てられていた子でアンナの子ではなかったけれど、その子が死んだ事をアンナはひどく悲しんでいた。
グルジアに子供を作れと命令されて、この子供の島の計画を考えた時、レイリールはアンナに言ったのだ。
「君に赤ちゃんをあげる……」
レイリールはアンナに頭を下げた。
「ごめん、アンナ。君に全てを押しつける事になる」
「何を謝るの? わたしは幸せって言ったでしょ。わたしはあなたが何を選んだって文句は言わないわ。わたしはあなたを信じているもの」
レイリールは寂しそうな顔をした。アンナはレイリールがもうすぐ消えてしまう事を知らない。レイリールは男のリールとは違う完全な自分になる事を望んでいるが、その先がない事も知っていた。
レイリールとアンナが話していると、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。アンナがパタパタと走って出ていくと、そこにはドルがいた。
「ドル、もう塾は終わったの?」
「終わった」
ドルは島での生活が終わった後、故郷にある叔父さんの家には戻らなかった。叔父さんの了承を得た上で、ホールランドの全寮制の高等学校に転入した。八月の今は学校は夏休みだが、ドルは大学を目指し塾にも通っていた。
「チビ達どこ?」
ドルは変な陽気さは見せず、素のままの顔でずかずか家の中へ入っていく。
どことは聞いたが、いる場所はわかっているようで、まっすぐ奥の部屋を目指す。ダイニングの前を通る途中でレイリールがにこにこしながら「やあ」と言ったが、ドルは「フン」と言いながら通り過ぎていった。
しばらく静かだったが、アンナが「お茶を淹れたわよ」と呼ぶと、ドルはダイニングに来てレイリールの前に座った。
レイリールが「今日はどうだった?」と聞くと、ドルは「いつも通り」と答える。
「いつも来てくれて嬉しいよ」
レイリールの他愛ない会話に答えながらも、ドルは笑顔を見せない。アンナが台所で何かやりだした頃に、ようやくレイリールに言いたかった事を話し出す。
「おれは、アラドの味方でもないし、キットの味方でもないから、正直あいつらの事はどうだっていい」
レイリールは黙って聞いている。
「でもチビ達には父親が必要だと思ってる。だからおれがなる」
ドルは真剣だった。レイリールも真剣な顔をしてドルを見つめる。
「ドル……君はまだ十八だ。大学に行くという目標もある。ここにはアンナもブラックもいるんだ。君が思いつめる必要は……」
「ブラックがアンナと結婚する訳ないじゃん」
ドルはレイリールの言葉を遮って言った。アンナが振り返って「え?」と言う。ドルは自分ならアンナと結婚すると言っている。
「わたし、あなたより四つも年上よ」
アンナは照れたように笑う。ドルは「だから何?」という顔をする。身長だって実はアンナの方が高い。でもドルはそれも気にならないようだ。
アンナは頬を染め、嬉しいのをごまかすように、ミルクを二つ持ってダイニングを出ていった。
レイリールはまた「君が思いつめる必要は」と言う。
「おまえが死ぬのを諦めるなら、おれもこんな事は言わないよ」
「ドル、ぼくは……」
レイリールはそれ以上言葉が続かなかった。死なないよ、なんて言っても、ドルにはそれが嘘だという事はすぐわかってしまうだろう。
二人分の赤ん坊の声が聞こえてきて、ドルは立ち上がった。レイリールに何も言わずにダイニングを出ていく。
「二人分なんて大変でしょ」
多分そんな事を言って、アンナを手伝いに行ったのだ。
レイリールはうつむいて考えていた。死にたくない気持ちは湧いている。だがリールと決めた。メサィアとしての人生を終わらそうと。そのチャンスはこれが最後かもしれないのだ。
「ぼくとあいつは、結局最後まで二人で一人って事か……」
レイリールは自嘲気味に笑った。




