32-3.カール
日の高い時間、カールはキットが一人の所を呼び止めた。
「おい、キット。おれを殴ってくれ」
キットは当然のように怪訝な顔をした。
「いくらおれでも理由なしに人を殴ったりしないぞ」
「フーン、おまえはいい奴だなあ。殴るのに理由なんかいらねえだろ」
「何を言ってるんだ、おまえは」
キットに相手にされず残されたカールは、足元の小石を蹴る。
「なんだよ、つれーなあ」
カールはいつも通り食堂でキッチンの手伝いをする。リントウが席を外し、アンナとポテトだけになった時、カールは口を開いた。
「アンナ、おまえはいい女だなあ」
アンナはビクッと体を震わせる。
「こえーだろうによ。女達を守ってるのか」
アンナは答えない。ポテトは訝しげに首を傾げる。
「じいちゃん?」
カールはアンナに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい」
アンナは暗い表情を上げる。ポテトは泣きそうな表情でカールを見た。
「じいちゃん、何かしたのか!? アンナに……!」
少し間を置いて、カールはポテトに向かってニカッと笑った。
「ちょっとおっぱい触ろーとしてな」
「ななな、何してんだよ」
それ以上は何もなかったと言うと、ポテトは安堵した表情を見せる。そしてポテトもキッチンの外に出た時、カールはまたアンナに謝った。
「すまん。おれ、やっぱりポテトに見せれなかった。汚ねーなあ……」
「みんなが無事ならそれでいいわ」
アンナはカールの方は見ずに答える。カールは震えだした。
「なんで、なんでだよお。刺せよ、その包丁で刺せよ……! いてーよ、いてーよ、刺された方がマシだよ、いてえよおお……」
カールはぼろぼろと泣きだす。それを聞きつけて、ポテトがキッチンの入り口に入ってくる。
「じ、じいちゃん、どうした!?」
カールはとっさに隠れるようにキッチン台の後ろにしゃがみこんだ。
「なんでもないわ……すね、ぶつけたみたい」
アンナはポテトの目を遮るように、カールの横に立つ。
「い、いてえよおお」
「な、なんだよ、じいちゃん。おおげさ」
ポテトは半分呆れたようにしながらも、心配しすぎて片目には涙が浮かんでいる。アンナはカールを立たせてそっと背中を押した。
「……傷になってるみたいね。手当てしましょう。ポテト、少しお願いね」
アンナはカールを食堂裏の倉庫に連れていった。脚立にカールを座らせ、ポテトをごまかすために絆創膏を取り出す。カールはまだ号泣していた。アンナは静かに喋りだす。
「カール、わたしはあなたを許す」
カールは思わず脚立から飛び降り、アンナの前に膝をついて縋る。
「な、なんでだ!? なんでおれを許す!?」
アンナはゆっくりとカールを見下ろす。
「カール、本当の許しなんてないのよ……心の傷は決して消えない。わたしはあなたを許す。でもあなたは決して許されない」
あまりにも冷たいアンナの目を見て、カールの動きが止まる。
「あなたとグルジアね……」
「知ってた……のか」
「わたしはあなた達より先にリールに会ってる。あなた達があの子を壊した。あなた達のせいよ……! 許し、ですって? わたしにした事は許してあげる。でもあの子にした事に許しなんて来ない。幸せを願う振りをしないで! 虫唾が走る!」
アンナにとってレイリールは十八歳の女の子だ。五十に近いカールがレイリールに手を出そうとした事は、当然に許しがたい事だった。そしてそのせいでレイリールが狂った事が、なおさらアンナの憎悪を募らせていた。レイリールはそれらの事を悪意を持って話したわけではないが、アンナはそう解釈していたのだ。
喉が締め上げられるような罪悪感がカールを襲い、思わず「死んで詫びれば……」と呟く。しかしアンナはそれにすら冷たい視線を向けた。
「死が救いになるなんておかしいわ。わたし達はポテトを知っているのに」
カールはその言葉の意味がわからず、アンナの顔を凝視する。
「わからないかしらね? 平気でポテトを巻き込もうとしたあなたに。あなた達なんか知った事じゃない。でもポテトの人生は長いのよ。たった一人の肉親を失う苦しみ。その肉親が犯罪者だった事を知る苦しみ。何よりも純粋なポテトがそれを知れば、あなたを殺し、犯罪者としての人生を歩む事になったかもしれない痛み。そんなものを背負わせてやりたかったのなら……!」
アンナは縋っているカールから離れ、手を広げる。
「わたしがやってやるわよ! 刺さなかったと思ってる!? 待ってたのよ、ポテトが知る瞬間を! あなたの汚さを知って、絶望に生きる人生が始まる時を!」
「あ……?」
カールは目を泳がせる。
「刺すのくらいはわたしがやってあげるわ。死にたいならいつでも言ってちょうだい。その理由がポテトに知られる時を、わたしはずっと待ってる」
カールはアンナの言葉を理解しようと必死で考えている。
「あ……? あ、あ、ヒッ!」
カールは叫ぼうとした口をとっさに抑えた。食堂の方を覗くと、ポテトはアンナと話している。カールは口を押さえたまま、外に走った。
グルジアを見つけたカールは、グルジアに縋りついた。
「頼む、グルジア、死なないでくれ!」
「んあ?」
涙を流しながら服を引っ張るカールに、グルジアは眉をひそませる。
「頼む、頼む、頼むから死なないでくれえ!」
そのカールとグルジアの様子を、アクロスとドルがそれぞれの方向から見つけていた。
「なあ、どうしたんだ?」
「なんか死なないでくれとかなんとか……」
近づいてきた二人に、グルジアは首を振る。
「こっちの事だ。気にするな」
なおも心配そうに見ているアクロスとドルから離れるようにカールを歩かせ、グルジアはカールを叱咤する。
「カール、カール! 平気な振りをしろ! おまえの得意分野だろう! しんどい時ほど笑うんだよ!」
カールはその言葉にレイリールの笑顔を思い出した。戸惑っている事などわかっていた。本当に好きな奴がいる事はわかっていた。
「うっぐっああああ!」
「カール!」
カールは溢れ出る涙を拭う。何度も何度も拭う。
「すまねえ。笑う、笑う、笑うよ……笑ってやる。平気な振りをしてやる。だから……」
カールはまた空に向かって吠えた。
「ちくしょおお……! 忘れられるわけねーのによお……!」
すいません、カールがやたら追い詰められていますが、カールは基本的にいい人のはずなんです。ちょっと作者が暴走ぎみになってしまい、こんな展開に……
次回 第三十三話 混沌




