30-3.モンスター
キットの握っていたコップが、バリンと音を立てて割れた。
「怖いな、おまえ。大丈夫か」
手から血が流れてもキットは微動だにせず、アラドを見ている。アラドはにやっと笑った。
「ククッ、三回もした。めちゃくちゃ気持ちよかった」
その瞬間、キットの拳が飛んだ。アラドは勢い余って後ろの床に落ちる。一瞬の異変にオラデアが立ち上がり、アラドの腕を支えた。キットは怒りが治まらないと言うように、ぜえぜえと息をしている。
「いってえ……意識飛んだぞ、今」
アラドは殴られた頬をさする。倉庫の方にいたレイリールが、食堂の騒ぎに気付いて出てくる。そしてアラドが座り込んで口から血を流しているのに気づいた。
「に、兄ちゃん……!」
「ん、大丈夫。ごめん、怖がらせたな」
アラドは近寄ってきたレイリールの頬を撫ぜる。
「触るな……! おれの女に触るな……!」
キットはテーブルを超えて、レイリールの元へ行こうとするが、その前にオラデアが立ちはだかる。
「やめとけ。これ以上するならおれが相手になるぞ」
「邪魔だ……!」
「やっぱりおまえはわかんねーんだな。おまえは何を求めてんだよ、キット。おまえには失望したくなかったわ」
カットやアクロスも興奮しているキットを抑える。
「離せ! おまえらまでなんだ!? リール! やめろ! そいつから離れろ!」
レイリールは涙に濡れた目で震えながらも、ゆっくり立ち上がる。
「キット……ぼくの愛する男に触るな。ぼくが愛した男だ」
その言葉にキットの時が数秒止まる。そして困惑した表情を浮かべ、泣きそうな顔でアクロスとカットに外に連れていかれた。
レイリールは震えながら、アラドの殴られた頬に指先をそっと当てる。
「兄ちゃん、病院に……」
「ん、いいよ。大丈夫」
「でも……」
「大丈夫。あいつ無意識に加減してるみたいだ。あいつは連れてった方がいいかもな。左手でコップ握りつぶした。破片とか入ってたら危ない」
レイリールは心配そうにアラドを見ていたが、ドルが「おれが見ておくよ」と言ってくれたので、頷いてキットを追いかける。
「おれ、救急箱取ってくるよ」
ドルがそう言って倉庫に行っている間に、アラドは呟く。
「あいつ、バカだよなあ。それに気づいていれば、また結果は違っていたかもしれないのに」
オラデアはアラドの言葉が理解できたのか、横で頷いた。
アクロスとカットは、応急処置しただけのキットと、それに付き添うレイリールを船に乗せて大陸に向かう。港に着いた後、ぼーっとしているキットをコンテナの陰に連れていき、レイリールはキットの後ろに立つ。
「大人に戻すよ」
キットは返事しない。動こうともしない。レイリールはちょっといらっとしたように顔をしかめ、キットの服を無理やり脱がせる。
「変な事させるなよ、もう! ほら、脱げ!」
キットの服を脱がせ終わると、レイリールはキットを大人に戻す。百四十五センチメートルの子供の姿から、百九十二センチメートルの大人に戻ったキットは自分の手を見つめた。
「痛みがない……?」
振り向くと、レイリールが膝をついて痛みに顔を歪ませていた。レイリールが大人に戻る時の痛みを肩代わりしたのだとすぐ気づいた。
「なぜ……」
「やっぱり君、こんな痛みに耐えてたの……君らはちょっと変わりすぎだからな……」
「なぜ……」
「君をこれ以上苦しめる気はないよ、キット。君は苦しみすぎだ……いい加減それに気づけよ」
「なぜ……」
キットは言葉が出てこなかった。
それから病院に行き、治療を終えたキットとレイリールは船に戻るため、街中を歩いていく。キットはレイリールの後ろを歩き、その後姿をぼーっと見ていた。そして自分でもほとんど意識しないままに、レイリールを後ろから抱きしめた。
レイリールは驚いて振り返りかける。キットはレイリールを離さない。
「……行こう」
レイリールは身をよじってキットの腕から抜け出す。しかしキットは傷ついた方の左手をレイリールに差し出した。レイリールはそれを見て何も言えなくなり、恐る恐るその手に自分の手を重ねていた。キットはその手でレイリールを引いていく。
キットは街中のホテルに入っていく。レイリールの手を握ったままフロントに声をかける。
「二名。一番いい部屋を頼む」
「キット……!」
レイリールは逃げようとしたが、キットの手は傷ついていても力が強く、振りほどけない。カギを受け取ったキットはエレベーターに乗り、レイリールを後ろから抱きしめた。
「諦める……おまえを諦める……だから、一度抱かせてくれ……」
キットはそっとレイリールの目の横にキスした。レイリールは返事しなかったが、逆らう事もできない。部屋に入ると、そのまま入り口でキットはレイリールに触れるようなキスをした。
「嫌がらない。おまえは一度だって、おれのキスを嫌がった事はない」
レイリールはぼっと顔を赤く染める。
「いつだっておれを意識しているのがわかった。それがかわいくてたまらなくて……なのになぜだ。なぜ他の男に抱かれる? なぜいつもおれじゃない他の男なんだ……!」
キットはレイリールの腕を握りつぶしそうなほど強く掴んだ。
「痛いよ、キット……!」
キットは少し手を緩めながらも歯ぎしりした。
「それにおまえのウソもわかった。やはりおまえと子供を作った男が消えるというのはウソだ。本当にそうなら今おれの誘いに乗るものか……!」
「ち、違う、ぼくは……!」
レイリールは確かに以前レイリールと子供を作った男はもう二度と会う事がない、消えてしまうから、と答えた。だがそのウソは半分だった。会う事ができなくなると答えたのは、レイリール自身が消えてしまうつもりだったからだ。男の方が消えてしまうとキットに思わせたのは、キットのレイリールへの気持ちを諦めさせようとしたからだった。
キットは狼狽しているレイリールを抱え上げた。そしてベッドの所まで運んだ。
「ま、待って! ぼく、シャワーも浴びてない!」
「必要ない」
レイリールに逃げる隙など与えずに、キットは早々にレイリールの服を脱がし、自分も裸になった。




