29-2.キット
人の視線の先を見るのが得意なアクロスも、ブラックはリールに手を出すタイプではないと思っていた。ブラックはリールを手に入れたい訳ではなく、ただ見守っているという感じがしていたからだ。
しかしカールはアクロスとポテトの認識など、平然と跳ねのける。
「だから思い余って抱いたんだろ?」
ポテトは「えー?」と声を上げる。アクロス達の会話を横で聞いていたカットは、じれったそうにキットに詰め寄った。
「んっな事、どうでもいいんだよ! 問題はおまえだ! リールがブラックに抱かれた! それが事実だったとして、おまえはそれだけでリールを諦めるのか!?」
「それだけっておまえ……」
アクロスは呆れたように言うが、カットは叫ぶ。
「奪われたんなら、奪い返せばいい!」
「それはそーだ」
カールが同意する。
「じいちゃんは奪われてばっかだけどな」
「ポテトォ……」
ポテトの辛辣な言葉に落ち込んでいるカールの横で、アクロスはたじろいでいた。
「なんなの、おまえらのその発想……」
キットはただ静かに飲んでいる。カットはちゃぶ台でも叩きたそうに拳を振り回す。
「おまえにとって、リールはそれだけの女だったのか!? そんな事で諦めるくらいなら、こんなとこまで追っかけてきてないだろ!?」
キットはぼーっとカットに視線を合わせず答える。
「ブラックが抱いたんじゃない。リールがブラックを抱いた……」
「何?」
「ブラックと子供を作ると」
それを聞くと、グルジアが「ふむ」と唸る。ポテトは意味が分からないというように眉を上げる。
「子供を作る? なんのために?」
「それがこの島の計画……メサィアという不思議な力から解放されるため、メサィアの力を継ぐ子供を作る……」
それを聞くとポテトは顔に疑問符を浮かべた。
「この島の計画ってリールを治すためにあるんじゃ……」
「ポテト」
言いかけたポテトをグルジアが首を振って止める。グルジアはリールが狂っているという事を、他の子に知られないようにしたいようだ。ポテトはぐっとこらえ、ごまかすように質問を変える。
「ていうかさ、そもそもブラックとリールが本当にそんな関係になったのか? 誘われたとしてもそんな簡単に乗る奴じゃないだろ」
「誘われたら乗るに決まってるだろ」
「じいちゃんは黙ってろよ!」
ポテトに怒鳴られてもカールは平然と飲んでいる。グルジアは帽子をかぶったままの下からじろっとキットを見た。
「ブラックはなんでケガしたんだ? アラドがそう言ってたと聞いたが」
グルジアの問いにカットが答える。
「それもよくわからない。自分の不注意だ、リールは悪くないと言っていた」
「リールがケガさせたって事か?」
「泣かせるつもりじゃなかった、とも言っていた。ブラックが思い余ってリールに手を出したのかと思ったけど……」
ポテトは「ないない」と首を振る。カットもブラックの過去を知ってそれはないともう思っていた。
「ケガした時の状況は?」
ポテトの質問に今度はアクロスが答える。
「おれ達はその場にいなかった。リールから出港準備をしろと電話があって、船で待っていたら、アラドとリールがケガしたブラックを連れてきた」
ポテトはジンジャエールのペットボトルを握りながら、思考を巡らす。
「考えられるとすれば……リールがブラックを誘っていて、そこにアラドが来た。誘われているのをごまかすために、自分で自分をケガさせた」
「意味わからんぞ」
またカールが口を挟む。
「ただの仮説。リールがブラックを誘ったっていう話なんだろ? その可能性もあるかなと思っただけ」
「おまえ、よくそんな頭が回るな。実は結構賢い?」
アクロスが感心したような顔でポテトを見る。
「知らね。でもなんでこんな島の中でブラックを誘ったんだ? 子供の姿だし、じいちゃんじゃあるまいし、やらないだろ」
「おまえ知らないのか? 島外でなら大人に戻してもらえるよ。この前、研修とかでブラックの奴、大人に戻ってたぞ」
「じゃ、その時したんだろ」
カールがあっけらかんと言う。
「それ結構前じゃないの……?」
「一回やっただけで、赤ん坊ができるとは限んないんだぞ?」
「だからブラックがするかって」
納得がいかないという風なポテトに、キットがぼそっと口を出す。
「カールが正しい。好きな女に誘われてしない男なんていない。他の男の方に行かれたらどうする」
話が脱線するのに焦れて、カットはまた叫ぶ。
「ブラックがするかしないかなんてどうでもいいんだよ! 問題はキット、おまえがリールを諦めるのかって事なんだよ!」
キットは視点をどこにも合わせず、ぼーっとしている。
「リールと結ばれた男は永遠にリールと一緒になれない……」
カットは訳が分からないというように眉をひそめる。
「リールと赤ん坊を作った男は、リールをメサィアの力から解放する代償に消える……」
ポテトは睨むようにキットを見る。
「なんだそれ? 意味わかんないんだけど?」
「おれもわからん。ただリールのために命を張れる男だけが、リールを選ぶ。だからおれはリールを選ばない。そう言ってた」
空を見たままのキットの目から、ぽろっと涙が零れる。
本当ならキットはリールのために命を張れると言いたい。だが実際に死ぬと言われると、そういう訳にはいかない。恐らくブラックはそれが言えるのだ。それを言えない事が悔しい、と言うよりも、そんな言葉に負けている自分が情けなかった。
アクロスはキットの涙を見て狼狽する。
「キ、キット、泣くなあ! おまえが泣くのなんて見たくねえよお!」
アクロスは畳に突っ伏しておいおい泣きだす。
「眠い……」
キットは倒れこむように寝てしまう。
「酒が入るとすぐ眠くなるからなあ」
カールがそう言っている間にアクロスも静かになった。子供の姿になっている負荷は、ゆっくり酒を飲む時間も与えてはくれない。
カットはまだ興奮が治まらない様子だったが、キットが寝てしまったのでふて寝するようにその場に横になる。そしてすぐいびきをかきだした。
「帰るか。おれらもすぐ眠くなるぞ」
立ち上がったカールとポテトを、グルジアは見送る。
「おれはこっちで寝てくよ。雑魚寝で充分だ」
「おう」
グルジアは残っていた酒をあおり、そして横になった。




