28-4.ブラック
ブラックの研修に付き添いで行くというリールに、キットは自分も行けないかと尋ねた。
「予約しているのはブラックだけだ。次の機会にしてもらえる?」
「ついていくだけでもいい」
「いや、帰りは遅くなる。キット達は先に帰ってて」
キットはあまり元気がないようにも思えるリールに不信感を覚えて、その顔を凝視している。キットの様子を見て、ブラックも話を合わせた。
「おれは研修を受けに行くだけだ」
「……そうか」
キットはようやく引き下がるが、街の方へ歩いていくリールとブラックの背中を悔しそうに見送る。アクロスはそんなキットに声をかける。
「そんなに心配しなくても大丈夫じゃね? あいつもリールの事好きっぽいけど……」
「ああ、手を出す奴ではない……と思う」
「じゃあ」
「わかっている……が、くそっ、あいつの隣を男が歩いていると思うだけで、狂いそうだ!」
キットは手に力をこめてこめかみを抑えている。
「おまえ、ほんとに熱いよな。こっちが照れるぞ」
「茶化してる気か」
「そうじゃねーけど」
「だからさっさとモノにすればいいんだよ!」
カットが後ろから声を上げる。それには答えず、キットはただ街中へ消えていったリール達を見ていた。
リール達が大陸に行った後の子供の島では、ルテティアやブルーが洗濯し終わった洗濯物を洗濯機から取り出していた。ルテティアは女の子の洗濯物から男物のトランクスが出てきたのに驚いて、それを握ったまま思考が止まる。
「それ、リールの洗濯物、よね?」
ブルーに声をかけられてルテティアははっと我に返る。ルテティアは急いでトランクスを他の子に見られないように丸める。ブルーはぽんぽんとルテティアの背中を叩いた。
「とりあえず見なかった方向で」
「う、うん」
港から充分離れ、街中に入ったリールはブラックの方にくるっと振り向いて、にこっと笑った。
「今日は時間ができた。一日デートしようか」
「……研修はいいのか」
「わかってるだろ。そんなの嘘だよ」
真面目なブラックの言葉に、リールは少しそっぽを向いて答える。研修を受ける事があるのは本当だが、少なくとも今日はそうではない。
リールがブラックに「どこに行きたい?」と尋ねると、ブラックは「おまえと一緒ならどこでもいい」と答えた。リールは少し考えて、街中に美術館があるのを思い出してそこへ向かった。その後は喫茶店で昼食を食べ、映画を見て、街中をぶらぶらする。夕食も済ませると、公園を散歩した。
「楽しい時間はあっという間だな」
すっかり日が沈みかけた公園の中、笑顔でそう言うリールをブラックは優しい目で見つめる。朝はリールが暗い雰囲気なのを心配していたが、デート中は終始楽しそうにしているのを見て、ブラックは安心していた。
「そろそろ帰ろうか」
夏の空に星が見え始めたのを見ていたリールが振り返ってそう言うと、ブラックは軽く頷きながらそっとリールの手を取った。そしてその手を自分の唇に触れそうになるくらいまで近づける。
「楽しかった……」
ブラックは微笑んでいた。
「う……うん」
リールはそんなブラックをどぎまぎして見つめた。ブラックの目はどこまでも優しかった。
子供の島に帰ってきたリールとブラックを、アラドが出迎える。ブラックはアラドと対峙する。
「手、出してないな?」
アラドは確認するように聞く。
「……うん」
ブラックはこくんと頷く。ブラックの表情から、リールと何かあったかの様子は読み取れない。だがブラックは無口でも素直な性格なのは、数カ月一緒に暮らしてきたアラドも分かっている。
「……ならいい」
アラドは少し眉間にしわを寄せながらも、ブラックを子供の姿に戻した。
ブラックとは道の途中で別れ、アラドとリールは自分達の家に戻ろうと道を歩いていく。家に入ろうとした所で、待っていたらしいブルーと鉢合わせた。ブルーは「話があるんだけど」と、リール一人を道の端まで連れてきた。
「どうしたの、ブルー」
ブルーはじっとリールを見る。
「……下着」
リールはすぐに、朝ブラックのトランクスを脱いで洗濯物の中に入れた事を思い出した。
「別にあたしはいいわよ? でも一応この島では、みんなこの姿じゃない? せめてばれないようにしなさいよ」
「ご、ごめん」
リールは思わず下を向いて謝った。
「あたしはいいのよ。他の子に見つからないようにね」
それだけ言ってブルーは去っていく。リールは自分の迂闊さを、ただただ恥じていた。
翌日、食事が終わって片付けの子達が食堂から去った後、ルテティアは空いた座敷の席の段差にリールを座らせる。そして自分もリールの腕を抱くようにしながら横に座った。
「どうしたの、ルテティア」
ルテティアはリールの肩に頭をすり寄せる。
「もうちょっと幸せそうな顔してるかと思ったんだけど」
「?」
「あたしは経験ないからわかんない……けど、幸せじゃない?」
「な、何言ってるの、ルテティア」
ルテティアは目を閉じて、リールの手をぎゅっと抱く。リールに思い当たる事は一つしかなかった。
「ほ、他の子も知ってる……の?」
「んーん、あたしとブルーだけ」
「そ、そう」
ルテティアは立ち上がり、背中を向けたまま少しだけ振り返る。
「泣くような事だけはしないでね?」
「う……う、ん」
リールは歯切れの悪い返事しかできない。ルテティアは勉強会の準備のために一度食堂を出ていく。ルテティアと話をしていたリールを見て、ローリーが近寄ってきた。
「リール、どうしたの?」
「い、いや、ルテティアがちょっとぼくの事を心配してくれて……」
「なんで?」
「えと……ぼくが元気ないように見えたみたいで……」
ローリーは少し狼狽しているリールの顔を覗き込む。
「元気ない?」
「い、いや、そんな事はないと思う……んだけど」
ローリーの純真な視線に耐えられずに、リールは視線を逸らした。
リールの頭の中にメサィアと呼ばれる少年の声が響く。
「ぼくの最後の望みを叶えるんだ。ぼくの血を継ぐ子供を作る。ぼくの血を分けたおまえでなければできない事だ」
「わかってる……! これは主の命令でもあるんだから……!」
リールは拳を握って掠れた声で言った。




