26-6.イラン・パネヴェジス
子供の島で暮らしている内、再びリールに触れたいという思いに襲われた事があった。その時ようやくイランはその感情がどこから来るのかを理解した。話を聞いたラウスは呆れたように言った。
「君、わざわざ国境まで超えてリールを追いかけてきたのに、自分がリールを好きだって気づかなかったの? 鈍感にも程があるね」
イランはぐうの音も出ない。ただ顔を赤くして、しかめ面しながら頭を掻いた。
イランはリールに想いを寄せながらも、真っ直ぐリールを好きだと言えるアラドやキットには敵わないと思った。だから見守る立場に徹する事にした。
イランの家にアラドとリールが来た後、イランと同じように朝食を取らず、家にこもっていたローリーがイランの家に走ってくる。
「イラン! いいんだって! もういいって!」
「ん? 何が?」
興奮して言葉足らずになっているローリーを落ち着かせて、イランは話を聞く。ローリーはまだ少し興奮が落ち着かないように喋る。
「もうリールを消すとか、死なせるとか、そんな怖い事しなくていいって!」
「え? 本当か? あいつこんな簡単に考え直してくれたのか……?」
「簡単じゃないよ! わたしリールにすっごく頼んだもん。怖い事考えるのやめてって! そしたらね、リールはぼくからメサィアの力が消える事を祈ってと言ったの。それだけでいいって!」
「そ、そうか」
祈り、そんなものでリールの力が消えるのかどうかは疑問だが、イランはとりあえず気を抜いた。そしてその後、道を歩いていたリールを呼び止めて確認した。
日差しの照りつける中、リールを木陰に誘う。
「リール、もう死ぬとか、消えるとかいう事を考え直してくれたって本当か?」
リールはそう質問されるのが分かっていたかのように、にこっと笑う。
「ぼくはね、要はメサィアの力さえ消えればいいんだ。そうすれば人として生きられる」
イランはリールが五十年余り、十八歳くらいの姿で生きている超人だという事を思い出す。
若い姿のまま生きられるというのは羨ましい事のような気がするが、メサィアのように数百年も生き続けなければならないというのなら、それはリールにとって苦痛なのかもしれない。この大人を子供の姿にするような魔法だって、本当はあっちゃならないものなのかもしれない。
「どうやってメサィアの力を消すんだ?」
「……いくつか方法を考えてある。例えば、みんなを長期間子供の姿にする事でメサィアの力を使い続け、メサィアの力を空っぽにする。またみんなと繋がり続ける事で、メサィアの愛されたいと願う力、それを満足させる」
「愛されたいと願う力?」
リールは頷く。
「君は前、ラウスに聞いたと言ったね? ぼくの共感という力は強制的に愛させる力だと。それはメサィアの力の源だ。愛されたいと願うから、不思議な力が湧く。愛されたいと願ってしまうから、誰かに縋ってしまう」
「それって……悪い事か?」
イランは思わずそう口にした。子供の島には熱い日差しが照り付ける。リールだって汗をかく人間だ。リールには確かに不思議な力が多くあるのかもしれない。でも、リールだって人のはずだ。みんなに見せないようにしていても、苦しんだり悩んだりしている事はあるはずだ。
「愛されたいって……縋りたいって……悪い事か……!? おれはおまえに縋ったのかもしれない。でも、それは迷惑だったか……!?」
リールは何も口を開かない。迷惑だという顔はしていないと思える。ただイランが全ての言葉を吐きだすのを待っている気がした。
真夏の空から照りつける太陽の光が眩しくて、イランは少し目を細める。
「リール……おれ、おまえが好きだ」
「うん。ぼくも君が好きだよ」
イランは首を振った。汗がどんどん湧き出てくる。
「そうじゃない。友達としての好きじゃないんだ。あい……愛してる……んだよ」
イランは自分の口が自分が思っている以上の事を叫ぶのを聞く。
「おれじゃダメか……? おまえを愛してるのが、おれじゃダメか……!? おれ、おまえと、け……結婚とか、できたら……!」
イランは自分の顔が真っ赤になったのが分かった。自分で自分の言葉にびっくりしていた。でも嘘じゃない。本当にリールをこの手の中に抱けるのなら、今度こそ死んだ気になってどんな事でも頑張れる。リールを抱きしめながら寝たあの日に嗅いだリールの香りを、もう一度嗅ぎたかった。
リールはそっと胸に手をやった。
「これだからぼくはダメなんだ。愛されていると思うと、余計に愛されたくなる」
リールは口の中でそう呟く。それから微笑んで言った。
「ありがとう、イラン。君の気持ちに応える事は出来ないけれど、ぼくは君も幸せにしてあげたい。君の幸せが何なのか教えてくれないか」
リールに振られたと感じたイランは、胸を掻きむしる。生まれて初めてとも思えるような胸の絞めつけがある。
「幸せ、なんて……おれはみんなといられれば……」
イランはそう答えた。胸が苦しい。だが後悔はない。リールの顔だって真っ直ぐ見られる。ただいつもあまり動いているように感じられない顔の筋肉が、自分でもよく分からない複雑な表情を作っているのが分かる。
苦しさからいつも逃げていた。傷つく事がないように、いつも無難に過ごしてきた。でも違う。今やっと自分の気持ちに向き合えた。
人は誰かを愛するために生まれてくる。誰とも心通わせない人生も、それはそれで平穏ではあるけれども、でも誰かを愛せた時、幸せを感じる事ができる。
リールに言いたい。愛する事を恐れないでくれ、と。おまえがどんなに苦しんでいても、どんなに人生に絶望していても、おまえを大切にしたいと思う人がいる。おまえは愛されていていいんだ。
言葉が心の中に溢れている。でもそれが喉をいっぱいにしていて、イランは何も言えなかった。
「イラン、ぼく、君に出会えてよかった」
リールの笑顔は、まだ孤独を抱えている。それでも微笑んでくれたリールに、イランは涙が出そうな感情を覚えた。
リール、愛している。
もうその言葉は言えないけれど、この気持ちはずっと忘れない。イランはリールに微笑み返して見せた。
ここまでお読みくださった方、本当にありがとうございます! この後からですが、物語の暗部と言いますか、性的な表現やちょっと暴力的な表現が出てきますので、苦手な方はご注意ください
次回 第二十七話 スケッチブック




