20-9.ローリー・ニューバーン
ローリーの両親は、カイナルをリビングのソファに座らせて話し出す。
「君の事は知ってるよ。マイスコエさんとこの息子さんだろう?」
「父の事を知ってるんですか?」
「ああ、君達が特別なプロジェクトに参加した時に、彼にもちゃんと連絡が行ったようだよ」
それは初耳だとカイナルは驚く。
「定期的に連絡が来ていた。だから最初は心配だったが、今では信用している。君の父だってそうなはずだ」
カイナルは突然故郷を飛び出した自分を、父親が何の説明も求めずまた送り出してくれた理由が分かった。ローリーは卒業式に「おめでとう」と電話をくれたリールの優しい声を思い出す。
(リール、わたし達が知らない所で、ずっとわたし達のために動いてくれてたんだ)
そう思うと胸が熱くなった。
「今日は泊っていけるのかい?」
「はい、三日後に立つつもりです」
カイナルとローリーの両親は思いのほか穏やかに話していた。さすがのカイナルもローリーの両親相手にいつもの強い語調では喋らない。そして夕食になる頃にはローリーの両親をパパ、ママ呼びするほど馴染んでしまった。
「ママ、おかわりちょうだい」
「はいはい」
ローリーの母親は嬉しそうにおかわりを用意する。
「パパって仕事は何してるの?」
「ああ、うちは農家でね」
ローリーは馴染みすぎるくらい馴染んでいるカイナルを、呆れたような感心したような気持ちで見つめていた。
翌日には別に住んでいるローリーの兄とも意気投合し、ローリーの家の手伝いをしていた。そしてさらにその翌日は明日の早い飛行機に乗るため、空港のある町まで移動し、そこでそこそこよさげなホテルを取った。
夕食もシャワーも終わったローリーは、ツインルームの片方のベッドへ倒れこむ。
「疲れたあ、ねむーい」
ローリーは街を移動してきた事以上に何かしていた訳ではなかったけれど、カイナルが家族と会っているのをなんとなく緊張して見ていたので気疲れした気になっていた。
カイナルも部屋についている風呂でシャワーを済ませ、タオルを腰に巻いただけの姿で出てきてドリンクを飲んでいる。ローリーはそんなカイナルをベッドに倒れたまま見ていた。
最初こそ戸惑ったが、半裸でも平気な顔でいるカイナルにはもう慣れていた。
(カイナルと二人で泊りってのも慣れちゃったなあ。どうせカイナル何もしてこないし。本当に絵以外興味がないみたい。明日は朝から空港向かうって言ってたし、さっさと寝ちゃおう)
ローリーはもぞもぞと動き、掛布団をめくる。そして布団の中に体を滑り込ませようとした時、カイナルが声をかけてきた。
「ローリー」
「何?」
「セックスしていい?」
「…………へ?」
カイナルの言葉はローリーの頭に届くまでに時間を要した。ローリーはその言葉を理解した途端、思わず布団で自分の体を隠す。
「え? え? え? 何で?」
「したいから!」
カイナルはいつもの怒ったような顔でローリーを見つめている。
「え? でも、え? え?」
なおも狼狽しているローリーにカイナルは詰め寄ってくる。
「いいの!? ダメなの!?」
ローリーは赤くなりながらカイナルを見つめた。カイナルの表情は真剣そのものだ。冗談などでない事は、これまでのカイナルを見ていて理解できた。
いいか悪いかなんて分からない。いつならいいのかなんてのも分からない。分からなかったがローリーは答えた。たっぷりの沈黙を置いて。
「……いいよ」
カイナルはローリーに近づき、キスをした。ローリーは目をぎゅっと閉じる。カイナルはゆっくりローリーをベッドに倒した。ローリーは恥ずかしさで顔を真っ赤にし、両手で顔を覆って縮こまっている。
カイナルはローリーの服の下に手を入れるが、あまりにローリーが縮こまっているので手を止める。
「ちょっと、それじゃできないでしょ」
「だ、だってえ……わたし、初めてなんだよぉ」
カイナルはローリーの胸まで手を伸ばすが、ローリーのガードが固くてブラジャーを外す事もできない。カイナルはぼそっと言う。
「ぼくだって初めてだよ」
「嘘だよぉ、なんか慣れてるもんー」
カイナルはそれを聞いて手を止めた。そしてうつむきながら答える。
「本当に、女の子を大切に抱くなんて、初めて……なんだ」
ローリーは顔を覆う両手を少し下げて、声を震わせているカイナルを見る。
「あの頃はいつもむしゃくしゃしてて、憂さ晴らしのように抱いてた。手を……上げる事もあった。優しくしてあげた事なんて、一度もなかった」
ローリーは縮こまらせていた体を少し緩めていく。
「本当はここには彼女に会いに来たんだ。謝りたかった、から。彼女、他の男と幸せそうに笑いながら歩いてた。ぼくはそれでようやく安心、した。勝手だけど、ようやく君に触ってもいいんじゃないかって……」
カイナルはローリーに触れていた手を握りしめる。そして辛そうに顔をしかめながらローリーを見る。
「本当に、いいか……!? こんなぼくが、君に触っても……!」
ローリーは両手を首の下まで下ろしてカイナルを見つめる。
「た、叩かない?」
「叩きたいわけないだろ……!」
「優しくしてくれる……?」
「自信はない……けど、優しくしたい……」
「……じゃ、いいよ」
カイナルとローリーの一夜が過ぎた。朝、ローリーはカイナルの語調の強い声で目が覚める。カイナルは電話していた。
「準備しといてって言ってるの! 今日帰るから! 名前はローリー・ニューバーン!」
ローリーは携帯に手を伸ばして時間を確かめようとする。しかしその手は次のカイナルの言葉を聞いて止まった。
「だからあ! 結婚するの! 式場とか色々あるでしょ! じゃ、頼んだからね!」
「おい、こら、待……」
携帯電話の向こうからはイランの声らしきものが聞こえていたが、カイナルはさっさと電話を切ってしまう。ローリーは手を伸ばしかけた姿勢のまま止まっていた。
「え? え? 結婚?」
カイナルはローリーが起きた事に気づくと、鞄の中を漁って小さな箱を取り出し、無造作にローリーに渡した。
「はいこれ」
「え? え?」
明らかにそれらしきケースの中身はやはり指輪だった。カイナルはいつもの怒ったような表情で言った。
「ほら、早く準備してよ。飛行機間に合わなくなっちゃうでしょ」
第二十一話 夢の代償




