20-8.ローリー・ニューバーン
絵描きの前にはほとんどが風景画だった以前と違い、人物画も増えた絵が並ぶ。
「買うの? 似顔絵?」
絵描きはやっぱりちょっと怒ったような声で聞く。
「あ、似顔絵で」
ローリーが絵描きの前の椅子に座ると、絵描きはさらさらと絵を描いていく。
「名前は?」
「えと、ローリー・ニューバーン」
名前を尋ねられた事に寂しさを覚えながらも、ローリーは答える。絵描きは「ローリーへ」と書いた紙をローリーに渡す。そこには以前より髪が長くなったローリーの絵が描かれている。
「すごい……上手」
「全然ダメ。ダメだから練習してるの」
「フフ、そんな事言ってたら、お客さん来ないよ。……あ、お金」
ローリーは財布を取り出してお金を絵描きに渡す。絵描きはそれを受け取りながら、じっとローリーを見つめる。
「あんた、悩みの多そうな顔してるね」
「え、う、うん、そうかな……いい加減に進路を決めなきゃいけないのに決められなくて、先生に心配されたりしてるから……」
「進路……働くの?」
「うん……進学は浪人する事になっちゃうし、お父さん達に迷惑かけちゃうかなって……」
そう言ってからローリーは慌てて立ち上がる。
「あ、ごめんなさい。いつまでも座ってたらお仕事の邪魔ですよね」
「いいから座ってなよ。時間あるならちょっとぼくのお喋りに付き合ってよ」
「あ、はい」
ローリーはまたちょこんと座り直す。
「ぼくさ、春になったら世界を回って絵を描こうかなと思ってるんだ」
「あ、それ夢だって言ってたよね……じゃなくて、夢だって事、かな」
「うん」
絵描きは相変わらずローリーをじっと見つめている。
「以前は親父から逃げ出したいっていうのが大きかったけど、今は違う。いつでも帰れる場所ができたから、ようやく行けるんだ」
「そうなんだ……」
「でもさ、ぼく絵を描いてると、ご飯食べたり、家事したりするのが面倒になってくるんだよね」
それはローリーも知っている。カイナルはご飯の時間になってもなかなか食堂に現れなくて、ブラックやリールがよく探しに行っていた。
「髪切るのも、ひげ剃るのも、風呂入ったりするのも本当は面倒」
いつものカイナルだ。ローリーはその懐かしさに少し目が潤みそうになる。カイナルは続ける。
「つまりさ、あんた、お手伝いさんしない?」
「お手伝いさん……?」
「長時間飛行機や船に乗ったり、何時間も歩いたりするのって平気?」
「わからないけど、多分」
「ぼくの旅についてきて、ぼくの世話してほしいの。今は君一人養うくらいの稼ぎならあるから」
ローリーはどぎまぎして、目を泳がせる。
「え、えと……これって、ナンパ……?」
「そうかもね。じゃあ卒業したらまたここに来てよ。待ってるから」
そう言ってカイナルは画材セットや絵などを片付けていく。ローリーは慌てて立ち上がりながら、そんなカイナルを戸惑ったように見る。
「え、え? もう決定?」
「嫌ならここに来なきゃいいだけでしょ。ほら、もう今日は店じまいだから」
折り畳み椅子に絵、画材セットなどの大荷物を持って去っていくカイナルの背を見て、ローリーは思わずカイナルの名を呼ぶ。
「カイナル……!」
カイナルは頷くようにほんの少しだけ振り返り、そのまま歩いていった。
それから約二カ月。ローリーは卒業式を迎えた。卒業式には両親が来てくれた。リールは電話をかけてきてくれた。
「行けなくてごめんね」
なんて事を言っていた。そんな事謝らなくていいのに、と思う。なぜならリールは、ローリーのよく分からない就職先を心配していた両親を、一緒に説得してくれたからだ。リールが電話で「カイナルは信用できる人間です」と言ってくれたおかげで、両親は納得してくれた。
両親が田舎に帰った後、ローリーはその足で街の公園へ向かった。カイナルはスケッチブックとにらめっこしながら、以前と同じ場所にいた。カイナルはローリーの姿を見つけると、ぼそっと呟く。
「よかった。来ないかと思った」
ローリーは走ってカイナルの前へ行く。
「カイナル……さん! わたし、来たよ……!」
「カイナルでいいよ。敬語なんかいらない。じゃ行こうか」
「え? も、もう?」
「ぼくは暇じゃないの。あんたの必要な物、準備できたらすぐ行くから」
カイナルは言った通り、ローリーの準備が終わった翌日にはすぐに電車で出発した。電車の止まった所でカイナルはスケッチをしたり、数日とどまって絵を描き上げたりしていた。ローリーはその日泊まる場所を探したり、食事を用意したり、風呂に入るよう促したりしていた。
「世界ってこんなに広いんだね」
ローリーは街が見下ろせる山の上で柵にもたれかかる。カイナルはきれいな景色のある所を探すのが上手だ。そこの景色を気に入ったのか、カイナルは本格的に画材を広げていた。
そうして旅していた二週間後、ローリーとカイナルは故郷の街へ着いた。
「どうしてここに?」
「ぼくの故郷。ちょっと用があったから。ついでに親父の顔も拝んでく」
カイナルは街の中にある古い木造の家にノックもなく入っていく。中では中年の男が驚いた風もなく振り返った。
「なんだ、帰って来たのか」
「ついでに寄っただけ。相変わらず酒食らってるの」
「フン、仕事はしてる。そこの子は?」
「ぼくの連れ。ぼくの世話してもらってるの」
ローリーはカイナルの後ろからおずおずと挨拶する。
「こ、こんにちは。ローリー・ニューバーンです」
「カイナルの父です。絵を描くしか能のない男の世話なんて大変でしょう。こんなので申し訳ないがよろしくお願いします」
「い、いえ、こちらこそいつもお世話になって……」
ローリーが挨拶を続けている間に、カイナルはまた家の玄関に向かう。
「あんたの家どこ?」
「え? わたしの家はここからバスに乗って四十分くらい」
「そ、じゃ行こう」
カイナルは少し困惑気味なローリーを連れて、ローリーの家に到着した。カイナルはローリーの両親と握手を交わす。
「カイナル・マイスコエです。お嬢さんにはいつもお世話になってます」
「ひゃっ、カイナルってそんな言葉使えたんだ」
「あんたすごい失礼な事言ってない?」
両親はそんな事を言いあえる二人を微笑んで見ながら、家の中へ案内した。




