19-4.レイリールとアラド
それから二度、三度と、リールは外へ出た。回数を重ねるごとに自由に外を歩ける時間が増えていく。リールは街をぶらぶら歩いてみる時もあれば、公園でぼーっとしている時もあった。アラドが一緒の時もあったが、リール一人の時もあった。
リールが一人で公園の人気のない所まで来た時、後ろから黒ずくめの男が近づいてきて、突然リールに発砲した。リールは腹部を押さえよろめくが、倒れはしなかった。また数発撃たれる。リールは体を曲げて男を睨んだ。男は怯む。
「な、なぜ倒れない……!?」
リールの金色の目が光る。人の心に忍び込む力が男を苛み、男は膝をつき震える。
「心が重い……! 潰されそうだ……た、助けてくれ……!」
男は前のめりになりながら逃げていく。男がいなくなった後、リールはどさっと倒れた。監視の研究員が近寄ってきて、リールを抱き起こす。
「リール様……!」
研究員は涙を流しながら、リールを負ぶっていった。
体中が血に染まって帰ってきたリールを見て、ベレチネは忌々しそうに怒りを口にした。
「あっさり外出許可が下りたと思ったが、外での方がリールを簡単に殺せると考えたのか! リールは殺せないと何度も言っているのに!」
横に寝かせられたリールは少し目を開く。
「ぼくは……外に出ない方がいいのかな」
研究員は涙を流してリールの手を握る。
「違います、リール様。あなたは自由になるべきなんです。私はもう限界です。ホールランドに報告して、リール様を保護してもらうべきです」
「……ホールランドには、メサィアの生まれ変わりなど取り合ってもらえなかった。それに上層部はリールが管理下から離れる事を恐れている」
ベレチネは回復するために眠りに落ちたリールを見つめた。
(この子を心から愛し、そして共に生きようと逃げてくれる子がいれば、それでわたし達もようやく解放される)
ベレチネは少し潤みそうになった目を抑えた。
(この子を愛するな、だって? そんな事できるわけないでしょう)
ベレチネは思い出す。十二、三年ほど前、リールにまだ攻撃実験が行われていた時の事。
不思議な力の検証と称して行われていた非道な行いは、リールをいつも生傷だらけにしていた。リールはろくな処置も施されず、包帯を体中に巻かれていただけだった。当時、看護師としてリールの様子をただ見ておくようにと言われていたベレチネは、心を動かさないように表情を凍てつかせてリールの世話をしていた。
リールに感情を移すと、心が壊れる。みなそれを恐れてリールに必要以上に近づかないし、愛そうともしない。そんな時、リールは言った。
「ベレチネ、どうしたの? 何か辛い事があったの?」
その時のベレチネは家庭内でいざこざがあり、疲弊していた。ただもちろんそれを仕事の場へ持ち込む事はしない。いつものように冷静に仕事をしていたはずなのに、リールはベレチネの辛さに気づいた。
ベレチネは気づかぬ内に泣き崩れていた。辛い状況の自分に対してではない。誰よりも痛々しい姿をしているリールが、誰よりも人を憎んでいいはずのリールが、まだ誰かを思いやる心がある事に、嗚咽を漏らさざるを得なかった。
この子を愛するな。その後、研究室長となったベレチネは、前の所長がそう言っていたように、その言葉を口にするようになったが、心ではまったく逆の感情を抱えていた。そしてその感情は十数年たった今でも変わらなかった。
リールが回復した後のセラピーの時、突然地震が起こった。大きく長く揺れる地震だった。アラドはとっさにリールの頭を押さえ、姿勢を低くして地震が治まるのを待つ。幸い、建物などに被害はない程度の地震だった。
ただリールはアラドに守られるように頭に触れられた事に驚き、そしてぼそっと呟いた。
「お父さん……」
セラピーが終わり、アラドとベレチネの三人になった時、リールは楽しそうに言った。
「ねえアラド、君さ、ぼくの兄ちゃんになってよ」
「兄ちゃん?」
「ぼくのお父さんはよくぼくの頭を抱きしめてくれた。君にも頭を撫ぜてもらって嬉しかったんだ。君、お父さんて言うよりはお兄ちゃんって感じだろ?」
アラドは渋い顔をしてその言葉を否定する。
「な、撫ぜたわけじゃねえ。それにあんたの方が年上じゃないのか」
「ぼくは兄ちゃんが欲しいんだよ」
「お父さんとは誰の事だ?」
アラドとリールの会話を遮って、ベレチネが口を挟んでくる。リールは笑顔を失くして答える。
「ぼくを作った人……いや、違う。多分、本当のぼくを作った人」
「本当のぼく? まさか、メサィアの事か? どうやって作った!? 何の目的で作ったんだ!?」
ベレチネは興奮してリールの肩を掴むが、リールは「そんな事わからないよ」と肩を竦める。
「んー、でもそうだな。アラド、ちょっとぼくの頭を抱きしめてみてくれないか?」
「な、なんだと?」
「少しでいいから」
ベレチネにも促され、アラドは渋々リールの頭を抱きしめる。リールはアラドの胸に頭を預け、呟いた。
「ああ、やっぱりだ。こうしているとお父さんの事を思い出す」
リールはふっと遠くを見るような目になった。
「……お父さん、ぼくはあなたを恨みます。どうしてぼくを生まれさせたんだ」
「……ール……リール……!」
ベレチネはパチンとリールの目の前で手を鳴らす。リールはハッとしたように目を開いた。リールが思った以上に時間は経っていたようだ。
「リール、自分が今言った事を覚えているかい?」
「ぼく、なんか言ってた? 彼に抱きしめられるのが気持ちよくて、少し眠ってたようだ」
アラドは恥ずかしかったのか、頬を紅潮させて顔をしかめている。ベレチネはリールの頭を撫ぜる。
「わたしが撫ぜて何か感じるかい?」
「いや、気持ちいいではあるけど」
ベレチネはゆっくり話し出す。
「おまえがお父さんと呼ぶ者は、おまえより背が高い者だった。よくおまえの頭を撫ぜていたようだ。そして四、五百年前にそんな技術力があったとは信じがたいが、おまえは試験管の中で育てられ、完全体となって初めて目を覚ました。いや、おまえがではないな。メサィアと呼ばれる者がだ」
「ふーん」
リールはメサィアの誕生の秘密にそれほど興味がないのか、適当な返事をした。




