18-2.ラウス・イプスウィッチ
「このくそバカビッチ。ぼくと友達になろう?」
その時のリールは無邪気な笑顔だった。ブルーは突然の挨拶に言葉を失ったのを思い出す。
「あたしは当然むかついたわよ。引っ叩いてやろうかと思ったんだけど……」
「あー、それ、それね」
ラウスはますます眉間のしわを濃くしながら、眉間を押さえている。
「何よ?」
「それ……実はぼくが教えたんだよ。仲良くなりたい子がいたらそう言えって」
「は? 意味分かんない」
「いや、それがね。あの頃のリールは本当に物を知らなくてね、面白半分で滅茶苦茶な事教えまくってたんだよね。特にあの頃のぼくはリールを独り占めしたくて、他の子と仲良くならないように色々と……」
「最悪」
「最低」
イランとブルーは思いっきり軽蔑した視線を送る。
「いや、ほら、ぼくも若かったと言うか」
下手な言い訳をするラウスを、ブルーは特にきつい目で見る。
「あんただったのか、あのバカに無茶苦茶な事教えてたのは。あたしがそれを直させるのにどれだけ苦労した事か……!」
「いや、ハハハ、面目ない」
ラウスは笑ってごまかす。実際それで多少の混乱はあったものの、セラピーはその後もそのまま何年も続いた。
ラウスは気を取り直すと、ブルーに向き直る。
「それで、どうだい? 女の子達からこの島に来た経緯は聞けた?」
ラウスがブルーに頼んだ仕事がそれだ。イランやラウスが女の子に深い話を聞くのは難しそうだったので、ブルーに頼んだのだ。
「聞いたわよ。詳細は言わないけど、みんなそれぞれ辛い状況から助けてもらったみたい」
「君も?」
「……そうよ」
「何か辛い事があったんなら、ぼくに相談してくれればよかったのに」
ブルーは返事しない。代わりにイランが口を出す。
「ラウスとブルーって、この島に来る前からの知り合いなのか?」
「ああ、ぼくら同じ会社に勤めててね。その時付き合ってたんだよ」
ブルーはラウスの言葉を聞いて顔をしかめる。
「付き合ってた、だって?」
ブルーの小さな呟きはラウスにもイランにも聞こえていない。いや、付き合っていたのは事実だ。だがそれは必ずしもブルーが望んだものではなかった。
ブルーは幼い頃から男性に性の対象に見られる事が多かった。九歳の時には学校の教師に体を撫でまわされた事を覚えている。同年代の男の子達からは、体の発達や生理などをよくからかわれていた。中学では年上の高校生の子からアプローチを受けて、女の子達から嫉妬とも軽蔑とも取れる視線を送られていた。高校生になると、叔父から嫌らしい目つきでなめ回されるように見られた。
大学に入り、女子プロレス部に所属していたガタイのいい子と友達になってからは、精神的に安定し、男性から送られてくる視線も気にならなくなっていたが、卒業するとその子は慈善団体グループに所属し、海外へと行ってしまった。
そうなるとブルーはまた男性のアプローチに怯えるようになる。セラピーが行われていた製薬会社に就職する事になり、そこで働いていたが、そこでの上司のセクハラ、パワハラは露骨なものだった。上司は気軽にブルーにボディタッチし、そして下心のある誘いをしてくる。それを断ると上司は怒り、ブルーに余計な仕事を押しつけるという嫌がらせをした。
ブルーの精神はボロボロだった。余計な仕事を押しつけられるがゆえに残業は増え、そのストレスを発散するために稼いだお金のほとんどを服やアクセサリーの購入に使うという日々が続いていた。
ラウスの事は部署が違っていたが知っていた。長身でハンサム、そして高学歴のラウスは入社当時から、女性社員の噂の的だった。ブルーも少しは憧れる気持ちがあったが、でも自分には関係のない人だと極力見ないようにしていた。
残業が続いていたある日の事だった。他の社員がとっくに帰った中、ブルーはやっと仕事を終え、一息つこうと社内のドリンクコーナーへ行く。自販機でコーヒーを買い、それを握ってぼーっとしていた所にラウスが声をかけてきた。
「や! 君、いつも残ってる子だよね? 前から見かけててね、気になってたんだ。名前なんて言うの?」
ラウスは親しげな笑みで話してくる。ブルーは少しドキドキして返事していた。そしてしばらく雑談した後、ラウスはにこっと笑う。
「ブルー、君、美人だよね。ぼくと付き合わない?」
ブルーの気持ちは急速にしぼんだ。結局このラウスも他の男と同じ、体目当ての関係を望んでいるんだと思えたから。疲れていたブルーは、嫌だとは言えなかった。上司のセクハラに耐えるよりは、なんていう打算も少しあった。だがラウスは付き合う事を公言するつもりはないらしかった。人差し指を口に当てて、ウィンクしながら「これは秘密だよ」と言った。
ラウスとブルーは他の社員が帰った夜の会社の中でいつも会っていた。ブルーが望んでいなかったからでもあるのだが、外で会う事は全くと言っていいほどなかった。ラウスは人目がない事をいい事に、社内でも体の関係を望み、ブルーは冷めた気持ちでそれに応じていた。男性からの誘いが多かったブルーにとって、もはや体の関係を持つ事に多くの抵抗はなかったが、それでも惨めな気持ちが続いていた。
それから今年の五月、グループセラピーに参加していた時の奇妙な友人、リールが、残業していたブルーの前に現れた。リールはかつてグループセラピーが行われていたこの会社に、たまたま現れたようだった。ブルーは久々にリールとゆっくり話したくなり、リールを家に招いた。
話が弾む中で、会社での辛い思いをリールに吐露すると、リールは自分と一緒に来ないかと誘ってきた。話した時に涙を流すほど、自分の気持ちが追い詰められている事に自分自身が気づき、ブルーは思い切って会社を辞めた。
そして子供の島へ来た。その時リールは軽い調子でこう言った。
「ここで恋人でも見つけるといいよ」
「いや、それでなんで子供の姿なのよ」
思わず突っ込んだが、ブルーは安心していた。こんな子供しかいないような場所なら、男に振り回される事はないだろうと。本当に恋人を見つけるかどうかはともかく、疲れた心と体にはいい休息になるだろうと思えた。




