一杯目のコーヒーと話の始まり
多くの場合において人は物事の本質というものを見誤る。巧妙に作られた精緻な外見だけでなく、ときには取り繕ったような杜撰な外見にすら騙される。
いつしかそうした外見にほとんどの人が騙された時、物事の本質はなぜか変化してしまう。さらには紅茶に溶けていくジャムのように、その輪郭がなくなっていくことすらある。
もし、本質が改変され改ざんされた、、、否、隠されたものに出会ったとき、本当の本質を探すことはほぼ不可能であろう。それが人為的であるのならばなおさらに。
6月9日 午前10時
繁華街に新しくできたカフェ―と言っても最近の若者受けするそれではなくどちらかと言えばコーヒーハウスのような印象を受けるところだが―に来ている。
人と会う約束をしているのだ。
しかし、ただ人と会うだけなのにわたしはものすごく緊張している。
記者として10年ほど今の新聞社に居るが、これほど緊張するのはいつ以来だろうか。
初めての取材かそれとも、昨今巷で人気の脚本家(私も大好きだ。あれほどの大作を書けるのは現代のシェークスピアと言われるのも納得だ)にインタビューしたときか。
まあ、いずれにせよそんなことはこれから聞く話と比べればどうでもいい。
そろそろ約束の時間だ、ペンとインク、メモ帳に名刺を取り出して準備をする。
そして最後に深呼吸して気持ちを整える。
大丈夫だ、この日のためにあんなにも頑張って来たのだ。
何としても聞くのだ、あの時のことを。
6月9日 午前10時半
カフェに一人の男が入ってきた。
そこらへんによくいる冴えないというか、ぱっとしないというかまあそんな印象を受ける顔だ。
ただ、なぜか右腕が肩口から袖まで妙にフラフラしていることは気になるが。
、、、それはそれとして、そろそろ約束の時間なのであの男が例の男だろうとわたしは当りをつける。
事前にもらっていた顔写真と見比べるとそっくりだ。やはり思った通りだ。
いつも舞台俳優に取材する時のような感じの良い笑顔を浮かべ男に近づく。
「どうも、OC新聞社のものです。あなたに会いたかった。」
男は突然声をかけられたからか少々驚きながら、しかしこちらを見て口を開く。
「あなたがOC新聞の方ですか。今日は私の話が聞きたいと伺っていますが、お話しできるのはこの間の戦争のことぐらいですよ。」。
そう、私が知りたいのはその戦争のことだ。
わたしは記者をしているが、年の離れた姉の息子つまりは甥を戦争で亡くしている。
そしてその甥は実は終戦を決定づけた戦争終盤の包囲戦までは生き残っていたらしい。
しかしその最後の戦闘はほとんどすべてがなぜかわかってないのだ。
終戦間近の時で国がごたついていたようでそもそも軍の連絡網自体が正常に機能していなかったらしい。
相手さんも前線と本部との連絡にはこのご時世に伝書鳩だの伝令を使っていたというのだから、戦場そのものがひどいことになっていたのだろう。
そんな中で分かっているごく少ないことは、その戦いは今の国境近くにある城塞都市の包囲戦だったらしいということぐらいだ。
せめてその最後ぐらいはどんなものであるのか知りたいと言っていた日に日に痩せて2,3年前に死んでしまった姉のために、四方八方いろいろなところにとにかく生還者を探してくれるように頼んだ。
「はい、そのことについてお話を伺いたいと思い連絡させてもらいました。」
一先ず互いに飲み物とお菓子を頼み席に腰かけた。
それから男は怪訝な顔をして、しかし優しげな声色で
「暫定政府や戦死者家族会の発表で戦争に関することは、たいていラジオとか新聞とかに載っていますから、皆さん知っていると思います。わざわざ私のような一兵卒にインタビューなんてするということは、戦地での一卒兵の生活のような記事でしょうか。」
ふつうはそう思うだろう。しかし男の目は、言葉とは裏腹に厳しくなぜ自分でなければいけ無かったのかという疑問をわたしに問いている。
そんなことなら旧帝国兵の組合に取材すれば帝国だけでなく、なんなら連邦のことも知ることができるのだからわざわざ呼び出すなっといたところか。
まずは誤解を解かなければいけない。ここが1つ目の正念場だ。
わたしは男の目を力強く見て口を開けた。
「すこし長くなってしまうのですが、わたしには20才ほど年の離れた運動が得意で、人一倍愛国心にあふれた甥が居ました。
そんな青年ですからね、あの時代は軍に自ら志願して入隊していき、そして戦死しました。
ですがその戦地にいたのかすら分からず、彼の母親である私の姉に息子の最後の時ぐらいは知りたいといわれまして調べたところ、甥は終戦のすぐ直前まで生きていたらしいのです。
どうやらかなりの激戦区で戦死したらしく、ドックタグしか見つからなかったそうで。
軍の広報課に問い合わせてみるとどうやら“ロンデルン”に戦死したことがわかりました。
しかし肝心のロンデルンのことや、甥の最後ことは解らなかったのです。そこで公開されている当時の軍の名簿や、付き合いのある方に協力してもらいながら甥の所属などを調べていたところあなたの名前を見つけました。」
男は私の話を聞き、深く息を吸った後に
「確かに私は終戦間近のころそこで戦っていましたし、あなたとそっくりの若者が居ました。」
そう言って顔を緩めた。
どうやら、話してくれそうな感じだ。今までのコネクションをフルに使って探し出したのだ。探し始めてから5年、長い時間がかかったがやっと見つかった。
しかし肝心なのはそれを知った上で当時のことをしっかりと男が話してくれるかだ。
あの“ロンデルン包囲戦”の生存者は少ない。甥と同じ小隊にいた人など目の前の男以外にはもういないだろう。わたしはすがるような気持ちで男を見た。
「まさか買ったばかりの電話に初めてかかってきたのが、友人や遠くの知り合いではなくあの戦争のことを聞きたいだとは思いませんでした。しかも、最後のロンデルンのことだとは。」
男は苦笑してそれを言うと一口コーヒーを飲み優しくわたしに
「最後の包囲戦のことを、あなたのその努力と故人への思いに敬意を表して、語りましょう。」