表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/63

59. 美晴と一緒

(美晴と一緒)


 東京に戻って、また彼氏もバイトもお金もない生活が始まった。

「美晴、お金なくなっちゃった……」

 私は哀れな声で電話した。

「何やってんのかねー、あたりまえでしょう。バイトもしないで絵ばっかり描いていれば、タダじゃ絵は描けないのよ!」

「分かっているわよ。それで相談なんだけど一緒に住まない?」

 私は家賃を浮かせるため、美晴のアパートにころがり込むことにした。

 美晴のアパートは、と言うよりも、もう立派なマンションだが、大学から電車を使うほど、少し離れているが、大きな部屋、四っつとキッチンとダイニング、バス、トイレが付いている。

 このまま結婚しても住めそうだ。


 美晴は大きなダブルベッドをダイニングの真ん中に据えて、ベッド中心にその他の家具が置かれていた。

 もともとここは美晴の母親の弟が住んでいた。

 でも去年の春、海外派遣になって、三年は帰ってこないと言う。

 それで美晴が留守番代りに住むことにしたのだった。

 だから家賃は払ってない。

「いいわよ。だから前に言ったでしょう。家賃いらないから、うちにおいでよって……」

 そう、あの時はまだ彼氏もいたし、バイトもしていた。お母さんも生きていた。

 東京に出てきて、初めての一人暮らし……

 生まれて初めて自由のお城を手に入れたのだった。

 そこで知ったのは、意外と一人は寂しくないということだ。

 毎日、裸になって部屋を走り回り、裸になって寝た。

 それでも、誰も文句はいわない。

 好きな音楽を聴いて、好きなビデオを見て、それで寝っ転がって、ポテチを食べる。

 これに勝る幸せはないと思った。

 きっと人生で一番大切なことは、束縛されないこと……

 この自由さえあれば一人暮らしでも幸せなんだ。

 だから、あの時は、美晴と暮らすことが重苦しいと思っていた。

 でも、今は自由よりも、ご飯だ。


 そして、天気の良い日曜日……

 引越しの荷物は、思ったよりも少なかった。

 家具はもともとアパートに付いていたものなので持ってはいけない。

 結局、私の物はというと、着るものと、絵の道具と炊事道具ぐらいなのだ。

 でも、その中に母が買ってくれた、高価な高性能の赤いスチームオーブンレンジがあった。

 これさえあれば、お菓子でもパンでも、蒸し物でも、これ一台でできる。

 そのうえ、この三機能を複合的に使って、より美味しく、より素早く調理することができる。

 いわゆるスチコン(スチームコンベンションオーブン)というやつだ。

「幸子なら、使いこなせるから高くても買っておきなさい」と、言ってくれた母の言葉が嬉しかった。


美晴の仕事場は、ダイニングとリビング兼用の部屋の隣。二間の洋風な襖で仕切られていた。

その奥にもう一つ部屋があるが、そこは前住んでいた伯父の家財道具が押し込められていた。

仕事場と言っても何もない。背の高い観葉植物の植木鉢が三つと机が二つ。その机にはパソコンのモニターが三枚並んでいた。

後は何もない。よく見ると部屋の隅に、イーゼルと絵具などを入れるキャビネットと、何枚かのキャンバスが重ねて置かれていた。

「美晴、絵描いているの?」

「もちろん描いているわよ。でも今はミニコミ誌の締め切りが近いから、そっちの方が大事なの。幸子の原稿料から、下宿代引いておくわー」

「下宿代取るの?」

「嘘よ。それより部屋どうする? 物置になっている部屋があるから、片付けて幸子の部屋にするか?」

「いらないわ。美晴と一緒でいいよ。この仕事部屋広いし、ここに置かせてもらって、一緒に製作しましょう」

「寝るところはどうするんだ?」

「もちろん、美晴と一緒でいいわ。ダブルベットだし。ベッド買うのも、もったいないから」

 美晴は嬉しそうに、私の背中にしがみ付いた。

「そうかそうか、やっと幸子もその気になったか!」

「いいわよ。愛し合って寝ましょう。このさいお金が掛らなかったら何でもするわ」と、言いながら、美晴を振り切ってキッチンに逃げた。

 でも、この言い回し、お金のためなら何でもする、と同意語だ。なんか私、みじめな感じ。

 でも、美晴と一緒に寝ると、子供を抱いて寝ている気分になる。

 温かいし背が低いので、それがまた、やっぱり子供のように可愛い。

 本当の気持ちを言うと、美晴は大好きだ。どの男よりも好きかもしれない。

 でも、それが癖になって、ちゃんとした恋愛ができなくなるのが怖い。

 だからいつも美晴を拒絶している。

 でも、たまには一緒に裸で愛し合って寝ましょう。


 一通り荷物が入ったところでお昼……

「幸子、引越しそばでも食べに行こうか?」

「食べに行かなくても、私、何か作ってあげるわよ!」

 さっそく冷蔵庫を開けると、何もない。

 目立つものは、ペットボトルの水と牛乳と卵。それに食パン、ハム、ヨーグルト。野菜室には、ネギ、もやし、えのきだけ、ほうれん草。

「美晴、自炊しているの?」

「失礼ねー、ちゃんとしてるわよ。まな板だって、包丁だってあるぞ。ミーハーな女子大生と一緒にしないでよねー」

「本当、他には何があるのよ?」

「ちゃんと、ご飯もあるぞ!」

 美晴は、キッチンまできて炊飯ジャーを開けて見せてくれた。

「他には……?」

「カレーだって、シチューだってあるぞ!」

「もしかして、レトルト物……?」

「レトルトも最近の物は作るよりも美味しいんだよ。だけど、カップラーメンなんかは買わないぞ。さすがに体が悪くなりそうだ。もちろん、生ラーメンだ。それにもやしや、ネギなんか入れて食べるんだ……」

「何か、どっかで聞いたような。昇さんと同じことを言っているのね。他には何を……?」

「他には、おにぎりなんか得意だぞ。旅館で散々握らされたからな!」

「それだけ……?」

「それだけって、人を料理もできない、ミーハーな女子大生だと思っているでしょう」

「そうじゃないの?」

「あのね、私は旅館の娘よー、私が作らなくても、まかないさんはたくさんいるのよ……」

「だから……?」

「だから、その、私がやらなくてもいいのよ……」

「そうなのー、できないの、嬉しいー、初めて美晴に勝てるものが見つかったわー」

「ちょっと、人を馬鹿にしてー」

「いいのよ、いいのよ、美晴の分くらい私が作ってあげるから。でも嬉しいな。美晴、料理できないのー」

「ちょっと、私だって少しくらいできるわよ。ラーメンだって作れるぞ!」

「じゃ、ブロッコリーとカリフラワーの違いわかる?」

 これは、私がまだ小学生のとき、お母さんと買い物に行って、白いブロッコリーがあるよって言って、思いっきり笑われたことだった。

 あの時はお母さん、まだ若かったな。

「何それ、美味しいの?」

「いいのよ、いいのよ。カリフラワーを知らなくても生きていけるから……」

「幸子、私を絶対馬鹿にしているでしょう」

「じゃあ、さっそく買い出しに出かけましょう。今日は、美味しい肉じゃがでもしましょう。肉じゃがと言ってもね。牛肉を使わないのよ。豚肉で、ちゃんと下後しらえすると美味しくできるのよ。それにライ麦パンも焼いてあげるからー」


 美晴との生活は楽しい。

 バイトのない私は、学校が終わると真っ先に帰り、二人分の食事を作ってから絵を描く。

 それで、美晴が帰ってきてから一緒に食べる。

 まるで、新妻が旦那の帰りを待っている感じだ。

 美晴は先に食べていいって言うけど、片付けの二度手間をしたくなかった。

 それに空いた時間は絵が描ける。


 美晴は、遅い夕食を食べるとさっさと寝てしまう。

 そして、私が寝ようとする午前四時ごろ起きだして、作業を始めるという超早朝型だ。

 お休みのときも、必ず午後九時にはベッドに入って寝てしまう。

 これでは、愛し合う暇がないじゃないのよ、といいながら時々美晴を縫いぐるみ代りに抱いて寝ている。

 一人暮らしのときは、その解放感に、この上もない喜びを感じていた。

 今は二人でいるときの充実感と安心感に幸せを感じている。

 充実感というのは、私が作る料理を美味しい美味しいと言って食べてくれることだ。

 どちらが本当の幸せなのか?

 いえ、たぶんどちらも本当の幸せに違いない。

 私はどちらを選ぶのだろうかと考えれば、これは難しい問題だ。

 和食がいいのか、洋食がいいのか、その選択によく似ている。

 結婚して専業主婦になれば、こんな感じかなって思ってしまう。


  *

 結婚か、……

昇さん、どうしているのかな?

山でもまた、登っているのかな?

彼女いるのかな?

お伽の国のウサギさんっていった私の言葉に……

 すぐに『不思議の国のアリス』を思い出した人。

想像することを知っている人。

やっぱり彼のことが好きなのかな?

  *



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ