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50. 霧の中と彼

(霧の中と彼)

 

 九月に入り、夏休みも、山岳部の活動もひとまず終了する。

 冬山は、行かないので、季節的に夏山シーズンは短い。

 大学の後期は一秒の暇もなく忙しい。部活動もひとまず終了して、皆、勉学に励む。


 その前に、今期最後の山行に白馬縦走を選んだ。去年は千秋について立山三山を縦走した。

 今年は栂池から入り、白馬大池、白馬岳、帰らずの剣、唐松山荘、八方池巡って帰ってくる。

 去年、このコースは千秋と二人で歩いているから、少しは慣れている。


 今日もいい天気だ……


 バスの移動で栂池へ、車窓から見える稲穂の緑が、遥か彼方まで続いていて美しい。

 その向こうに大きな大きな、入道雲が青い空高くまで沸き立っている。


 栂池から白馬大池までは順調だった。

 しかし、向かう方向に大きな雲の壁が見えた。

 少し不安に思ったが、周りが晴れていたので、沸き立つ雲が昇ってきたくらいに思っていた。

 そのうち、真っ白な霧は私たち一行を一瞬にして飲み込んだ。

 あたりが、霧で見えない中、それでもすぐに晴れると思っていた。

 ところが、ちょうど山の峰から次の峰の吹きさらしの稜線に出たところで意気なり突風が私たちを襲った。

 きっと風速四〇メートルはあったと思う。体が風に持っていかれる感じがした。それに、霧と言っても雨粒の更に小さいものだから、それが風速四〇メートルの風に煽られると体にピシピシピシとはじいて、少し痛く感じるくらいだ。

 慌てて、小さな峰の山陰に入ったところで急いでカッパを着る。山の陰に入ると風はぴたりと収まる。風はどうやら東から吹いている様だ。でも、相変わらず濃霧であたりは何も見えない。

「どうしようー? これ以上進むのは危険だよねー」

 私は、すぐ後ろでかっぱを着ている皐に訊いた。

「そうだねー、これからまだ幅の狭い稜線を渡って行かなければならないしねー」


「今日は戻って、白馬大池で一泊しようか?」

 それを訊いていた名取匠は、笑いながら私たちのところにやって来た。

「これくらい全然大丈夫だよー、雷は鳴ってないし、ちょっと積乱雲の中に入っただけだよ。すぐに抜けると思うよ。それに台風の中よりましだから……」

「そう……、でも……」

「僕が、先頭を歩くから付いてきて……、ここは目をつぶっていても歩けるくらい慣れているから……」

「……、何回も来ているのねー、じゃー、お願い……」


 そして、皐に後ろを任して、私は彼の後ろに付いた。

 しばらくは山の陰で良かったが、また稜線に出ると、突風に襲われる。あたりはガスで何も見えない。

 吹きさらしの稜線を三〇分、足元だけを見て耐えに耐えて歩く。 

「……、みんな、大丈夫、……、付いてきているー?」

 私は、部員が後を付いてきているのか不安に思って声を掛ける。

「隊長ー、連隊、異常なしー」

 最後尾の皐が、名取匠の真似をして叫ぶ!

 その呼び方は、やめてー


 しかし、この何も見えないガスと暴風の中でも、反対側からくる何組かの人たちと行き交うけれど、みんな平気な顔をして挨拶して行く。このくらいの霧と風は、山では当たり前なのかと思い知らされる。

 でも、不思議だ。彼の後ろを歩いていると、とても安心する。

 霧で真っ白な世界でも……、彼の背中が大きく見える。彼の背中しか見えないせいか……


 白馬岳まで来て、強い風は収まったようだ。でも霧で何も見えない。

 記念撮影どころではないが、それでも真っ白い絶景の中、白馬岳頂上の書いてあるプレートを囲んで記念撮影……

「……、笑い顔が引きつっている」

 ここで小休止してゆっくり絶景を楽しみたいが、何も見えないので、そのまま白馬山荘まで下山して、山荘のテラスで小休止。


 その時、雲が切れて、ようやく青空が見えた。

 青空が嬉しかった。

 そう思って眺めていると回りの霧が、ほうきで掃くように消えていく……

 それで見えてきたのが、白馬の広大な天井の緑の丘また丘が連なる世界。

 その気象の変化の速さにも驚いたけれど、白く湧き立つような雲と緑の美しさ、それと眩しい青い空。

 みんな声も上げられずに黙ってその自然の変化を見ていた……

「……、凄い! きれいー」

 新人部員の女子が、ため息とともに叫んだ。

 それにつられるように、隣にいた女子も……

「霧の中で、ものすごい突風の中を進んできたけど、こんなご褒美が待っているとは思わなかったわ……」

 もう一人の女子も「……、来てよかったー!」って、言ってくれた。

 私もそう思っていたから、その時、ここに連れてきてくれた彼に感謝した。

 自分一人ではきっとこられなかった……

 彼となら、どんな人生の道も、二人して越えられると思った。この山のように……

 そう思ったとき、私の中の名取匠に対する、もやもやした気持ちが変わった。

 年下で、ただ可愛い自分の生徒のような存在から、たくましい、頼りになる男の存在に思えてきた。

 恋してしまったのかもしれない。

 キスして見せたのも、どこか引かれるところがあったのかも知れない。

 もともと山は玄人で、そこで養われたのか、集団の気の使い方も、目配りも、その行動力も、他の男を寄せ付けないほど抜きん出ている。

 それに加えて、宮沢賢治を語るような叙情性も持っている。

 よく考えてみれば、まったく非の打ち所がない男ではないかー

 今まで軽くあしらってしまったことを、今はちょっと後悔している。 

 でも、まだこの時は、結婚まで行くとは思いっていなかった…


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