49. 人生の歩き方と女は……
(人生の歩き方と女は……)
穂高から帰ってからも、名取匠は私から離れなかった。
学食でも、図書館でも、通りすがりでも、私を見つけると付いてくる。
無下に拒絶するのも、同じ山岳部として角が立つから、気にしないように接しているが、私の友達からは評判がいい。良く気がつくのだ。
下級生だからと言えば、そうなんだけど、男子のわりに良く動く。
学食では、誰よりも早くセルフの水を配り、注文の食事は、カウンターからテーブルまで運んでくれる。後片付けはもちろん、テーブルまで拭き上げて帰る。
それはそれで、可愛いのだけれど……、最近彼氏と思われているところが、……、気にかかる。
ほかの男が寄り付かないじゃないのよー
夏休み、最初の山行は、槍ヶ岳……
部の活動を装うためと、新人部員の精神力と体力の鍛錬のため、一泊二日のハードコースだ。
二泊三日にしたいのだが、夏休みで帰省する者、バイトが忙しい者と、長くなると参加人数が激減する。
とりあえず、新人部員に山歩きに慣れてもらうのが目的なので、槍ヶ岳は絶好のトレーニングコースだ。
奥穂高の時と同じように、上高地から入り、横尾山荘、槍沢ロッジに進む。
そして、その槍沢ロッジで小休止。
「隊長、夏休みは帰省しないんですか?」
「帰るわよー、でも、ついてこないでねー」
「いつ帰るんですか?」
「……、気が向いたらねー」
「隊長の下宿ってマンションなんでしょうー、いってもいいですか?」
「いいわけないでしょうー、セキュリティー万全の男子禁制のワンルームマンションよ!」
「夏休み、逢えないのが辛いです……」
「……、部活で逢えるじゃないー、頑張って来てねー、夏休みは参加人数少ないから……」
彼は、奥穂高の時と同じように、列の最後尾に付き、遅れがちな部員を励ましながら登ってくれた。
そして、小休止になると、私の横に来る。
「八重子、まだピアノ教室行っているの? 連絡つかないし……、なにやっているのよー」
皐が、余計なことを喋った。
「隊長、ピアノ教室行っているんですか?」
「教室と言っても、千秋のお母さんが家でやっている。個人的な教室よ……」
「僕も習いに行っていいですか?」
「それは駄目よー、ご迷惑になるわ……」
「どうして、迷惑なんですか?」
私が、迷惑なのよ……
でも彼は、出発前になると、整列、点呼及び部員の状態を聞き、忘れ物などを確認し……
「隊長! 準備完了異常なしですー」と最後尾から叫ぶ。
その呼び方は、やめて……
天狗原で、もう一度小休止……
ここまで来ると、ようやく槍ヶ岳の姿が見える。この素晴らしい景色を見ながら登れるのは嬉しいのだが、ここから二時間、気の遠くなるような険しい登りの行軍になる。
殺生デュフェについて、ここでテントを張る。
大きな荷物を置いて、身軽になったところで、槍ヶ岳を攻める。
夕方前に帰ってこられれば、大成功だ!
槍ヶ岳山頂で記念撮影……
ここは頂が狭く、ここに立つと、一歩も動かず三六〇度見渡せる。
エベレスの山頂をピラミッドの頂点に例えるが、多分こんな感じかもしれない。
無事、槍ヶ岳山行から帰って来ても、相変わらず名取匠は私の傍にいる。
「匠君、彼女いないの……? 私の傍にいなくてもいいんだよー」
「先輩、彼氏、……、いるんですか?」
「嫌なこと訊くのね……」
「僕のこと嫌いなんですか?」
「貴方ねー、好きだ、嫌いだ、何て言う人いないわよー」
「そうなんですか……?」
「まるで、子供ねー、お母さん、僕のこと嫌いなんだーって、駄々っ子している子供と同じよ」
「じゃー、どうすればいいんですか?」
「大人なら、空気で感じる物よー」
「じゃー僕のこと好きなんですねー」
「どうして、そうなるのかなー?」
「僕を抱き締めてくれました……」
「あれは、貴方があまりにも自分勝手だったから、周りの人の事も考えて欲しかったのよ。好きとか嫌いとか言うことではないわ」
「好きでもない人を、……、抱きしめられるんですか?」
「『注文の多い料理店』って、知っている?」
「……、……」
「道に迷った腹ペコの狩人が、料理を食べたい一心で店主の言うことばかりを訊いていて、最後は店主に化けた山猫に食べられそうになる話よ」
「……、だから?」
「……、女の人は魔物よ。抱かれたくらいで信じちゃー駄目よ。キスだってできるのよ……」
私は、彼を抱き寄せ素早く唇に唇を重ねた。
彼は、驚いた様子で目を開けて私を見ていた。
「八重子! 何やっているのよー」
しまった! ここは大学内の往来だー、皐に見られた……
「……、分かったでしょうー、軽々しく女の人を信じちゃ駄目よ!」
私の横に来た皐を横に向けて、彼女の肩を抱き寄せ、彼女の唇にもいキスをした。
「はーんー、……、……」
何か言おうとした皐の唇にもう一度キスをして、その言葉を塞いだ。今度は少し長く……
「分かったでしょうー、キスなんて、どこでも、誰とでもするのよー」
名取匠は、あっけに取られている様子だった。
「じゃー、また今度、部活でねー、山猫に食べられてもちゃんと来なさいよー」
私は、皐の腕を取って、並んで大学を出た。名取匠は、追ってはこなかった。
「八重子、あんたそう言う趣味があったのね……」
「違うわよー、名取匠に人生の歩き方を教えていたのよ……。このままだと「頂き女子」や「パパ活」の餌食になりそうだから、道を間違えないようにね……」
「それと、キスとどういう関係があるのよ。道を間違えているのは、八重子の方じゃないのー?」
「……、もー、そうかなー? あー、やっぱりまずかったかなー?」
成り行きとはいえ、なぜキスまでしたのか? 自分の軽さに自己嫌悪……
それとも、彼に引かれている、もう一人の自分がいるのか?
確かにきゃしゃで、小柄で可愛い存在なのかも知れない。ゴーシュで蠍の様な彼かもしれない。でも、年下だ。
いずれ私は、若い彼女と比べられ、捨てられる。
男なんて、いい加減な存在なのだ。
「皐、私の魅力って何……?」
「八重子の魅力……、胸が大きいことかなー」
「私は、ホルスタインかー」
「八重子、今日一緒に寝ようか……?」
「駄目! あんた、おっぱい揉んでしゃぶるから……」
「じゃー、今日は下の方をしゃぶるから……」
「あー、そこはやめて、おっぱいでいいから……」
夏休みも後半、帰省から帰ってくると、名取匠がピアノ教室にいた。
「なんで、匠君がいるのよー?」
「……、僕も先生になって、子供たちと伴奏しながら歌いたいから……」
「先生になるって、匠君……、世界の山に行くんじゃないの?」
「いえ、教育大なので先生になります。山は、逃げませんから……」
「でも、どうしてここが分かったの?」
「仁科皐先輩に訊いたんですー」
はー、……、ため息しか出ない。
「じゃー、頑張りなさい……」
ピアノ教室の六畳あまりの待合室で二人、特に話すこともないが、大学内と違って、人や友達がいないだけあって、意識してしまって、緊張する。
そう考えると、部活と大学以外で逢ったのは、今日が初めてだ。
それも、こんな閉鎖された空間で二人だけだ。
以前の成り行きとはいえ、キスしてしまったことが唇の柔らかさと共に思い出される。
でも、彼は私より先にレッスンを終えて帰って行った。
もしかすると、私のレッスンが終わるまで待っているのではないかと想像していたので、ちょっと寂しい気分がする。
彼もいよいよ、私から卒業かな……




