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48. ジャンダルム

(ジャンダルム)


 そして、翌朝……


 朝、まだ暗いうちから、朝食、そして撤収……

 気がつくと、彼が私の傍にいた。私の仕事を手伝ってくれた。

「ありがとうー、こっちらはいいから、他のテントも手伝ってあげて……」

「了解……」

 彼は、明るく言って、他の女子のテントも手伝いだした。

「何、あれ……、カッコいいじゃんー」

 皐が、彼の素早い行動を見て言った。

 しばらくして、彼の大きな声がする。

「隊長! 準備できました。最終確認異常なしです」

 その呼び方は、やめてー!

 何にか、私のやることが無くなった感じで、奥穂高に向かって歩き出した。

 涸沢から奥穂へ、まだザイテンロードの前に大きな雪渓が連なっていた。

 私は、この時期の穂高が好きだ。雪渓を渡って最短距離でザイテンに取り付ける。

  今日は、朝から天気がいい。でも、少し冷えるかなー

 ザイテンを少し上がって、小休止。ここからの眺めが素晴らしい。涸沢とその周りの山々が一望できる。

 私は、周りを眺めながら、すぐそばに彼がりることに気がついた。

「いい眺めでしょうー、貴方にとっては見慣れた風景かもしれないけど……」と、私は彼に言った。

「僕も、ここが好きです。ここから見る景色も……」

「そう、……、同じね」

 今日の彼は、列の最後尾に付いて、隊を見守っているようだった。

 そして、休憩になると私のすぐ傍に来る。


 二度目の小休止。やはり、彼は、私の傍にいた。傍にいても黙って私を見ているだけだった。

「今日は、何処にも行かないのね……」

 私は、彼に声を掛け、チョコレートを一つ渡した。

「昨日、スマホで、『セロ弾きのゴーシュ』を調べました……」

「そう、貴方に似ていなかった……?」

「僕は、下手くそなセロ弾きですか?」

「ちょっと違うわよ……、ゴーシュは下手くそじゃないのよ。あまりにも上手すぎて、楽団に合わせられなかったのよ。周りを見ずに、一人気持ちよく走っちゃうタイプなのね。昨日の貴方ねー」

 私は、彼にチョコレートの入った箱を渡した。彼は、無口に箱を受け取った。

「……、……」

「今日は、ちゃんと仲間と一緒にいるから偉いわー」

「……、ゴーシュを変えたのは、森の動物たちなんですね……」

「それもちょっと違うわねー、ゴーシュは、森の動物たちに音楽を教えることで、音楽を教わっていたのよ。教えることは教わること……、音楽を楽しむ心、それを共に通い合わせること、協調とハーモニーの素晴らしさを教わったのね。そして、ゴーシュは卓越したセロ弾に加え、心のこもった演奏ができるようになって、聴く人達を幸せにしたのね。人の幸いは、助け合うことと言いたかったのかな。宮沢賢治は……」

「……、いい話ですね……」

 少し沈黙して、彼は、ぽつりと言った。

「今の貴方なら、ゴーシュにも、蠍にも成れるわ……」

 私は、ちょっと恥ずかしくなって、出立の準備を始めた。

「さー、行きましょうー、後、少しよー」

 常念岳の三角錐の山が良く見えた。今日もいい天気だ。


 お昼前に奥穂高山荘に着いた。

 ここは、テント場が狭いので、場所を取るのも早い者勝ち。だから、朝も早く出発したのだった。

 でも、テントはまだ張れない。荷揚げは終わっていても、何かの事故でペリコプターが来るかもしれないからだ。

 あれにあおわれたら、テントは壊れる。

 荷物をまとめて、場所取りにする。


 早めの昼食を食べて、いよいよ奥穂高岳に向かう。主峰と言っても奥穂高岳自体それほど印象的な山ではない。しかし、そこまで行く道すがら見えるジャンダルムは絶景だ。ドーム岩とも言われ、円筒形の柱の様な岩が独立して、ただ突っ立っている。高さは、標高三千メーはある。

 昔、八千メートル級の火山があり、その噴火で山体崩壊し、その後、風化して溶岩の塊だけが残ったと言う。

 見たもの誰もが、その奇妙な存在に憧れる。私もその一人だ。

 そして、個人的な意見だが、ジャンダルムが一番カッコよく見えるのは、奥穂高山荘の崖を登り切ったところから見える、このジャンダルムだ。

「凄いー、何あれ……」

 崖を登り切った部員たちから、次々に感嘆の声がする。

 私は、奥穂の尾根に入ったところで小休止にした。この絶景を堪能したかった。

「……、また来たよー」

 古くからの友に話しかけるようにジャンダルムに呟いた。誰が言ったか知らないが、山はやっぱり友かもしれない。

「天気がよくて良かったですね。ここも良くガスが掛かるから……」

 その声に驚いて振り向くと、いつの間にか名取匠が私の横にいた。

「そうねー、でも私、霧の中から浮かび上がるジャンダルムも好きよー、ちょっと負け惜しみだけどねー」と言いながら、二人顔を合わせて笑った。

「なになに、二人して笑って、何かいいことでもあったの?」と、皐が話しかける。

「ジャンダルムが奇麗に見えるから、良かったって言ってたのよ……」と、私が答えた。

「ほんと、まさに奥穂を守る憲兵に見えるわね」と、皐……

 ジャンダルムは、フランス語で憲兵という意味だそうだ。

「匠君、今日は何処にも行かないのね。また僕、前穂まで行ってきたと言うんじゃないかと思っていたわ……」

 皐は、匠を冷やかすように言った。

「もう僕、そんな危ないことしませんよ。僕はゴーシュなんですから……」

 彼は笑って私を見た。私もこっそり笑った。

「なになに、二人して、笑って、何かの暗号……? それとも、匠君は憲兵に捕まったのかな?」

 皐は、また私を見て冷やかす。

「憲兵って、私のこと……、人聞きの悪い……」と私は怒って見せた。

「これから、八重子のことを、ジャンダルムって呼ぶえわ」と皐……

 その呼び方は、やめて、可愛くないから……

「もー、そんなことはいいから、出発しましょうー」と私はその話題から逃げた。


 奥穂高岳に着いて、記念撮影……


 少し雲が出てきたが、涸沢岳、北穂、それに続く稜線の彼方に槍が岳の尖った姿が良く見えた。

 奥穂高の山頂に立って見ると、この風景が縦一直線の稜線として見える。

 さすが日本で三番目に高い奥穂高岳ならではの豪快な景色だ。天上界から地上の全てを征服した気持ちになる。

 だから、山はやめられない。

「いい景色ですね……」

 いつの間にか、名取匠が私の横にいた。

「貴方には、見慣れた景色でつまらないでしょうー」

「この景色の感動を仲間と分かち合えて嬉しいですよ……」

 初めて登った女子たちは、この風景に、またも感嘆の悲鳴を上げていた。

 叫びたくなる気持ちが良く分かる。

「私、一人で山に登ったことないけど、どんな絶景を見ても、つまらないと思うわ……、誰かとの共感があって、喜びがあると思うわ。みんなが、絶景を見て、悲鳴を上げて喜んでくれているのを見ていると、私も嬉しいもの……」

「隊長も、ゴーシュなんですねー」

 その呼び方は、やめて!

「私だけじゃないわ、みんな共感できる友を求めていると思うわ、SNSがこれほど人々の中に定着したのも、共感できる友が欲しいのよ。みんな一人じゃー寂しいのよ……」

「……、僕がずーと、傍にいます!」

「……、もー、それってプロポーズ? いつもいつも、私の傍にいなくていいわよ! さー、みんなを集めて下りましょうー」


 彼と話をしていると、何か理屈っぽくなるのが嫌だった。理屈というより説教かな。

 彼が、年下のせいなのかもしれない。彼が可愛くて、自分の生徒のように思えるのかもしれない。

 それとも、星の話を互いにしたせいかもしれない。あの時、私の敬愛する宮沢賢治の話をしてくれたせいかもしれない。何故か、彼に引かれている。


 彼は、素早く誰に言われることもなく、点呼と部員の状態と整列を済ませてくれた。

「隊長! 準備完了異常なしですー」

 その呼び方は、やめてー



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