34. 昇の高校一年の夏休みと迷い道
(昇の高校一年の夏休みと迷い道)
「昇! 一人で行くの?」
母が心配そうな顔で僕を見る。
「大丈夫だよ! もう高校生だし、白馬は何度も言っているからー」
「来週で、いいじゃない? それなら私も行けるから……」
「一人で行きたいんだよー」
「そんな、子供みたいなこと言って……」
「子供じゃないから、一人で行くんだよ!」
「もー、白馬に着いたら電話するのよー」
僕は、高校に入って、夏休みになるのが待ち遠しかった。
去年は、高校受験で思うように山には行けなかった。
今年こそ、去年の分まで思う存分、山に行こうと思っていた。
まずは、足慣らしに行きなれた白馬大雪渓から栂池までの縦走コースを選んだ。
一泊二日で帰ってくる予定だった。
そして、次の週は燕岳から槍ヶ岳、奥穂、岳沢と三泊四日で縦走するつもりだった。
「それで、お母さんー、……、朝早いから、車で駅まで乗せて行ってくれるー?」
「あら、一人で行くんじゃないのー? ここからリュック背負って歩いて行きなさいー」
「意地悪ー、……」
それでも母は、翌朝、まだ暗いうちから車で駅まで送ってくれた。
リュックを背負って電車に乗るのも初めてだった。いつもは、母か父が運転する車で登山口まで行くからだ。
早く車の免許が欲しいと、このとき思った。
でも、僕は電車の旅も好きだ。それも、今日みたいに夜立ちの電車が好きだ。電車に乗っていて、辺りがだんだんと明るくなってきて、東の空がだんだん赤くなってきて、そのうちオレンジ色の太陽が昇ってくる。それを車窓から眺めるのがいい。
大雪渓は、いつもの賑わいがあって、人の列が獲物を運ぶ蟻の行列に見える。雪渓をほぼ垂直に登って行くのは、足腰に堪える。
いつもは家族と一緒だったので、一人の登山は寂しい。周りは、家族ずれ、グループずれ、二人ずれ、旅行ツワーの団体さんまで、楽しそうに登って行く。
そう見えるだけだけれど、愚痴も笑いに交えて聞こえてくる。
「まだ先は、遠いよー」と独り言で答えてやる。
独り言が、出てくるのだから、よっぽど自分は寂しいんだと自覚する。
それでも、山荘まで着くと、早速母に電話した。電話と言っても携帯だけれど……
見晴らしのいい山頂にいるにも関わらず、電波の入りが悪い。
やっぱり、山は陸の孤島なのかもしれない。でも、劔まで行くと携帯の電波はよく入る。富山に近いせいかもしれない。
「そうだー! 穂高の次は、立山に行こうー」
もう、先の先まで考えてしまう。
「……、着いたよ! こちらはいい天気だよ、……」
「そう、良かったー、でも、昇、携帯の充電バッテリー忘れたでしょうー? コンセントに刺さったまんまだったわよ!」
「ほんとうー、……」
「もー、大丈夫かしら……? 山小屋で充電させて貰うのよ!」
「……、でもバッテリーが家なら、ケーブルも家だよ……」
「何やっているのかしら……、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だよ! バッテリーがなくても、明日帰るのだから、持つよ!」
「栂池のロープウエイに着いたら、電話しなさいよ! 帰りの時間に合わせて、駅まで迎えに行くように準備しておくから……」
「ほんと! 連絡するー、電池、もったいないから切るよ!」
「崖から、落ちないように気を付けるのよ! 昇は、よく落ちるから……」
「分かっているよー、それじゃーねー」
こんなに長く話すつもりはなかった。山荘に着いたことだけ言えばよかった。
やっぱり家族が恋しいのかな?
白馬山荘のテラスの木のテーブルとベンチに腰を掛けて、白馬岳から連なる山々を眺める。
「何故、人は山に登るのか?」
どうでもいいような質問だけれど、この風景を見ると考えてしまう。
苦労をしょって登る達成感かな? そのご褒美に見られるこの雄大な天井の世界。
地球を独り占めしたような気持ち……、優越感……
それを含めて、僕は親しい友に久しぶりに会えたような喜びがある。
だから、一人でも登りたいし、天井に来ても、さほど寂しくないのかもしれない。
マラソンを趣味にしている人がいる。あの長い距離をひたすら走ってゴールを目指す。
何故走るのかと訊けば、やっぱりそこに道があるからと答えるのだろうか?
ただ、起きて寝て、何も考えずに暮らせたら、それが一番幸せなような気がする。
僕の日常の生活だ。その幸せな日常を捨てて、計り知れない苦労と労働を経てここにいる。
人は、幸せだけでは生きていけない者なのかもしれない。
「人生は深いなー、さー、友よ! 今夜のねぐらを探そうよ……」
僕は、友に話しかけながら立ち上がった。
翌朝……、……
今日も晴れ、家に電話しようと思ってスマートホンを見ると、すでに電池切れ……
節電のため、待ち受けではなく、シャットダウンするのを忘れた。
「何やってんだか、俺……」
これじゃー、駅から母の車を呼べない。上手く固定電話に出てくれることを祈るしかない。
「とりあえず、テントを畳んで帰ろうー」
白馬岳から小蓮華まで、美しい稜線を歩く、登ったり降ったり、結構きつく、足の疲労を感じる。
去年は、家族で涸沢、奥穂、岳沢と縦走しただけだった。その付けか、日ごろのぐーたら生活の結果か……、やっぱり足慣らしに登ってきてよかったと少し嬉しく思う。
小蓮華から、少し降って、白馬大池が見えてくる。
いつ見ても感動する光景だ。ここから見える大池は、まるで空中に浮いている様に見える。
池というよりは、水の入ったお椀のように見える。その周りは、大きな雲や、谷間の緑が彩っている。
ここまでくると、後は栂池ロープウェイまで、ほぼ降りの楽な道になる。
でも、本当は下りの方が足に堪える。また、転倒することも多い。
昔、下りの心地よさにつられて、つい駆け出し、つまずいて転んで怪我をした。
そして、母や父に叱られた。降りの怖さはよく知っている。
栂池湿原までくれば、あと少し午後三時までにはロープウェイにつけると思っていた。
湿原の平らな木道は歩きやすくて嬉しい。
でも、いつもと違う風景が気にかかる。違う風景と言っても湿原の中、どこもかしこも同じに見える。湿原の木道を歩いているのだから、そのうち湿原の出発点のロープウェイに着くことは間違いないと思っていた。
でも、時期に湿原を出て、また細い山道に入った。
こんなになだらかな道だったかと記憶を探す。
しばらくして、右手の麓にロープウェイの屋根が見えた。
この道を行けば、ロープウェイに着けると思った。
しかし、その姿はすぐに消え、だんだん山の中に入って行く感じがした。
腕時計を見ると午後四時、ロープウェイの最終便に間に合わない。
「あー、また母に叱られる……」
何処で道を間違えたのだろうと、リュックを下ろして小休止。
携帯のスマホは使えないので、リュックの中から地図を探す。
「地図がない!」
最近、スマホのGPS頼みで、紙の地図は見た覚えがない。でも、リュックにはいつでも入っているはずと思っていた。
いったいここは、どこなんだろうと思案に暮れる。
最悪、野宿も考えた。テント泊なので、それほど気にしないが、それでもこの山から出られるのだろうかと心配した。
とりあえず道があるので進むしかないと思った。もしかすると遠回りでも最終地点はロープウェイの駅ではないかと微かな望みにすがって……
しかし、もう一時間歩いても、森の中から出られない。
「これは、遭難だ……」
よく道に迷い、崖から落ちるとか聞く。道に迷い永遠に森から出られずに衰弱して死んでしまうのかと想像してしまう。
「誰か助けて……、誰か助けて……」
心の中で、何度も叫ぶ……
それでも、少し開けたところに出ると、道は二手に分かれていて、立て看板があった。
そこには、蓮華温泉と風吹壮とあった。
蓮華温泉は、何度も家族で言ったことがある。この道を行けば蓮華温泉に着けるのなら、この道を行こうと思った。
道しるべから、さらに一時間経過した。
道はさらに険しく、道の痕跡を探すのが難しい雑木林の中だ。
しかし、徐々に降っている様に感じる。
本当にこの道でいいのか、また間違えたのではないかと心配になる。
遭難する人の気持ちがよくわかる。自身暗鬼になりながら、それでも進む道を選んで、遭難するんだ。今の僕と同じだ。
夕方も六時を回ってくると少し薄暗くなる。少し小休止とばかりに、その場に腰を下ろして、残り少ない水と、ヘッドランプを用意した。
歩き始めて、時期に暗くなった。それでも満月の月明かりで、森の中の様子は意外と分かった。
道と言えるほどの確証はないが、山を下っていることは間違いない。
でも、歩けど歩けど、山を出られない。一晩中歩くのだろうかと覚悟を決める。
それでも、出られないかもしれないと、心細くなる。
更に暗い山の中を一時間歩くと、水の流れる音がする。川の音だ。
このまま降っていくと、川に出るんだと思った。
そして、その音に誘われて、出くわしたのが、川ではなく、アスファルトの広い道だった。
「やっと出られたー、……」と僕は、嬉しさいっぱいの顔をしていたに違いない。
この道をたどれば街に出られる。少なくとも、道か、道でないのか分からないような山の中よりは、同じ迷い道でもアスファルトの道の方がましだと思った。
しかし、傍にバス停の時刻看板が立っていた。
それで、やっと自分の現在位置が分かった。
「蓮華温泉まで後少しだー」
あの道しるべは、間違っていなかった。
それなら、蓮華温泉まで連れて行ってくれる道なら、もう少し道らしい道にして欲しいと、心の中で訴える。
「それにしても、酷い道だったなー」と思い返して、天を仰いで満月を見る。
満月が僕の横を労わる様に照らしていた。




