32. 嵐の中で
(嵐の中で)
豪雨はさらに強くなっているみたいで、雨が重く体に圧し掛かる。
「由加ちゃん、ぜんぜん前が見えないよー」
「お姉さん、私の後を良く見て、私が歩いたところを歩くのよ。前は見なくていいからー」
私は、体を丸くして風を避けようと思ったが、それほどの効果はなかった。
「由加ちゃん、もう進めないよー」
私は、その場にしゃがみこんだ。
「お姉さん、進まないと遭難するわよ!」
由加ちゃんのキツい言葉。
私は、少し休んでからまた立ち上がった。
「いたいた、迎えに来たよ!」
美男子六人の救助隊は、梯子の下の岩の陰で、うずくまっていた彼女を見つけた。
「すみませんー、ありがとうございます……、上はすごい雨と風で、ハシゴの下は少しは、まだましで、もう動けなくって、じっとしていた方がいいと思って……」
十九歳女子は、安心して泣いているようだったが、雨と風で分からなかった。
昇さんは、山小屋にトランシーバーで無事を知らせた。
「この場にじっとしていて良かったよ。少しでもコースを外れていれば、この雨と風だ。多分、からなかったよ!」
彼女は、また泣いた。
「大丈夫、もう、あとほんの少しだ……」
昇さんは、自分のハーネスを外して彼女に付けた。
そして列の真ん中に置いてカラビナで結んだ。
「さあ、行こう!」
昇さんは、列の最後尾について列を見守ったが、ザイテンの左端まで来たとき、昇さんが崖から滑り落ちたのを気付く人はいなかった。
ただ無事救出した達成感と、雨と風の戦いに、みんな没頭していた。
「お姉さん人が来る。ちょっと隠れて……」
「隠れるところなんてないわよー」
仕方なくコースを外れて、はい松の影に体を丸めて息を潜めた。
少し離れてはいたが、見慣れないカッパの子が真ん中にいた。
でも、人の数までは数えられなかった。
「お兄さん、いた?」
「もう崖の下に落ちているわよー」
「そんな、じゃあ急がなければ……」
「でも大丈夫! 生きているから……」
「由加ちゃんがいうなら確かね!」
「でも、それならここでみんなを呼び止めて救助に行けばいいじゃないの?」
「駄目よー、みんな遭難しちゃう……、お姉さん一人だから、私が見てあげられるのよ!」
「そうなんだ、私は由加ちゃんに守られているのね!」
「だからお姉さん、大丈夫だから、多分……」
「……、多分? 心細いなー」
それから、ただひたすら体を低く前に倒しながら、由加ちゃんと足元だけを見て、ごろごろした岩場を進んだ。
しばらく歩くと……
「お姉さん、ここよ!」
「えー、何にも見えない……」
ここよと言われても、雨風は容赦なく体を打ち続けるし、雨の意気よいで回りの景色は、ほとんど分からない。
「大丈夫、この下にいるから、お兄さん気絶しているのよ……」
由加ちゃんの言葉。
「何でも分かるのねー、でもこの雨よ、どうやって降りたらいいのよ……?」
「この突き出た岩、使えない……?」
「そうね、ロープを掛けるにはちょうど良さそうねー」
「でも、ここから降りられるの?」
崖の下は漆黒の闇、おまけに雨と風は容赦なく私に降り注ぐ。
「大丈夫、降りられる!」
「しょうがないなー」
私は岩にとも綱を巻いて、カラビナをかけた。
「降りるわよー」といっても、下は何も見えなかった。
由加ちゃんに大丈夫といわれても、さすがに足が震える。
しかし、降りるしかない……
あのペンションの木でさえ登ったり降りたりできたんだ。
ここは、まだ足が地面に着いているだけ安心だ。
十メートル二十メートルくらいは平気のはず……
わけの分からない理屈で自分を励ましながら、ゆっくりビレー(下降器)のロープを滑らせた。
「お姉さん、ここよ!」
私はヘッドランプと懐中電灯であたりを照らした。
なるほど見覚えのある赤い色のカッパが横たわっている。
私はロープを付けたまま彼に近づいた。
「ちょっと起きなさいよー、分かる!」
呼びかけても、ぜんぜん返事がない。
「生きているの?」
「生きているわよー、王子様に熱いキッスをしたら目覚めるんじゃないの?」
「おませさん、どこで覚えたの?」
「昨日お姉さんが言ってたじゃない……」
由加ちゃんは笑って私を見た。
「由加ちゃん、昨日の夜、見ていたの?」
「もちろん、じゃましないようにねー、いい子でしょう……、でも、もうちょっと積極的に抱きしめるとか、キスするとかして欲しかったねー」
「もう、おませさん……」
でも、そう言われても、さすがに由加ちゃんの前でキスはまずいと思ったので、軽く頬を叩いてみた。
「ぜんぜん起きないねー」
由加ちゃんの声……
「このまま静かに寝かしておいたら?」
「お兄さん、死んじゃう!」
「そうよねー、だから助けに来たんだから……」
今度は思い切って体を持ち上げてゆすり、手を離した。
体は落ちてゴツンと鈍い音がした。
「お姉さん、それじゃあ本当に死んじゃうよー、息の根止めてどうするのよー」
「あ、ちょっと力が入っちゃって……」
私も、だんだんいらだってきた。
「ちょっと、生きているなら起きなさいよ!」
私はひっぱたくのと肩を掴んでゆすり動かすのを繰り返した。
何発目か殴ったころ、ようやく気がついたのか、うめき声を上げて動き出した。
「あ、頭を打ったみたいだ……」
彼の手は、まず頭を押さえた。
「お姉さんの、あの一撃が効いたのよー」と、由加ちゃん。
「もう、そんなことないわよ、落ちたせいよー、内出血しているかも知れないから、少し静かにしていたほうがいいわよー」
「あ、あー、……」
彼は、しばらく気持ちよさそうに雨に打たれていた。
崖の下は、上よりも崖に遮られているようで、少しは風雨に打ちのめされることはなかった。
「うっそ、何で君がいるんだ!」
ようやく状況が分かったのか、私がいることの不思議さに気がついたようだ。
「頭はよさそうねー、他に痛い所はない……?」
彼は、起き上がろうとしてつまずいた。
「ちょっと足を挫いたかなー」
「それだけ……?」
「うん、それより何で君がいるんだ!」
彼は改めて、驚いた様子で訊いた。
「もちろん助けに来たのよー、崖の下に転がっているから、どじねー、まったく……」
「あ、あー、まったくだー、本当は、おっちょこちょいなんだ……」
「そのようねー」
二人は顔を見合わせて笑った。