3.夏の定まらない予定
(夏の定まらない予定)
「それより美晴、どこか旅行いかない! 軽井沢のゼミ合宿なくなったでしょうー」
美晴は一段と声を張り上げて言った……
「あれもひどい話よね……、急に教授の都合でヨーロッパの作品展に出るとかで、それでいい機会だからゼミ合宿はヨーロッパにしようって、金持ちしか行けないじゃない!」
「でも、ゼミ合宿だから大学からも補助金が出るんでしょう?」
「補助金は通例どおりだから、後は自己負担! 自己負担の額が上がっただけ貧乏人が行けなくなったという話よ!」
「それで美晴は行くの?」
「行けるわけないじゃない! 東京でバイト掛けもちして大学かようだけで、四苦八苦しているのに……」
「私も……、バイトもなくなっちゃったし、軽井沢のゼミ合宿、楽しみだったのになー。ついてない時は、ついてない事が重なるよね……」
「あんた、軽井沢なんか行きたいの?」
「だって涼しいじゃない! それに唐松林や広いテラスでお茶したり、一日中絵を描いていたり、爽やかで気持ちいいし、去年の夏は楽しかったじゃない!」
「あんた、去年の『友愛の荘』のこと言っているの? そこは軽井沢でも北軽井沢よ。ほとんど浅間山じゃない……」
「でも、緑いっぱいで、湖や牧場があったじゃない。また行きたいなー」
「幸子には、軽井沢の街の人ごみよりも、そっちのほうが合っているかもしれないわね」
「そんなことないわよ。旧軽井沢の美味しいスイーツだって知っているわよ。お母さんと一緒にかたっぱしから食べ歩こうって言ってたもの……」
「はいはい、どこで調べたか知らないけど、北軽井沢から、旧軽井沢まで車で三〇分はかかるって知らないでしょう? バスなんかで行けば、一時間はかかるわよ!」
「それでもいいわよー、のんびり何も考えずにバスを待つのも乗るのも、涼しい軽井沢では苦にならないと思うわ。どうせ暇なんだから……」
「いい覚悟ねー、それなら、うちに来る? 軽井沢じゃないけど、上田だから軽井沢の近くよー。私は上田の別所温泉旅館の娘だから、毎日温泉に入れるわよー、大きなテラスはないけど、大浴場があるわよ。軽井沢と同じくらい涼しいし……」
「……、上田の別所温泉か、いいわね。軽井沢にも近いし、美晴はいつ帰るの?」
「私は、こっちでバイトあるし、帰ったとしても八月ごろねー」
「じゃあ、まだまだ先の話ねー」
「先に行っててもいいわよー。私の部屋、使っていいから、話はつけておいてあげるわ!」
「でも、さすがに初対面の所じゃーねー」
「初対面って、最初は誰でも初対面よ! 私と幸子でも、単に席が隣だっただけじゃない」
美晴との最初の出会い、最初の言葉はよく覚えている。
美晴は、私の背中を突いて、「トイレどこ」と訊いた。
「知らないけど、……」
振り返ると、小学生かと思うほどの背の小さな美晴がいた。
「お願いだから、私、人と話せないの……」
「何で、私が……」と言ったものの、小さな小学生を蹴とばしたような罪悪感に襲われて、仕方なく、その場で立ち上がり……
「先生、トイレどこですか?」と大声を出して訊いた。周りから爆笑の渦。
「階段の横だ! 早く、いって来い!」
私は笑いの渦の中、居たたまれなくなり、すかさず美晴の手を引っ張って、一緒に教室を出た。
美晴の対人恐怖症というより男性恐怖症、それも中年男性を目の前にすると、全身が震えて声が出せなくなるそうだ。
その始まりは、旅館の酔っ払いのお客にからまれて、ひどいことをされそうになったのがきっかけだという。
今はだいぶよくなったそうだが、初対面の中年男性には、いまだになれないと言う。
「それにしては、長く付き合っているわね。肉体関係もなく……」
あれ以来、小学生の妹の面倒を見るみたいに彼女とは付き合っている。
「おかげさまで、あんたの元彼よりもましってことね!」
「月とスッポン、ブタクサと芍薬の違いよー」
でも、彼女は小学生に見えるけど、その言動や行動力、頭の良さは、大人顔負け……
私はいつでも手玉に取られている。
「何、その例え……、とにかく、私の変わりにしっかり働いてちょうだい!」
美晴の軽快な調子の言葉。
「働くって? 何、……?」
私は、最後の言葉に引っかかった。
「もちろんアルバイトよ!」
「バイトって! 私、旅館で働くの?」
「当たり前でしょうー、ちょうど幸子はバイトも彼氏もいない身軽な独り身だからー、涼しくて、お金も入って、私とも遊べて、一石三兆! 私なんか帰ればすぐに、お掃除と洗濯、食器の洗い上げから布団の上げ下ろしまでやらされるのよ。もちろんただじゃあやらないけどねー。幸子と一緒だったら仕事も楽しいわ!」
美晴の話を聞いて、楽しい、楽しい夏休みの興奮が冷めていく。
「美晴、やっぱり二人して、どこか遠くに行こうー、誰にも邪魔されずに、絵の描けるところ。やっぱり軽井沢よねー。どこかのサークルに混ぜてもらおうー。美晴、知り合いいないの?」
「いくらなんでも、どこでも、誰でもいいってものでもないでしょう。むさ苦しい連中といるくらいなら、私は暑い東京で一人、裸で寝るわ!」
美晴の大声で耳が痛い。
「ちょっと意味わからないけど? どうしていきなり裸が出てくるのかなー? まあいいわ。取りあえず夏休みの前半は、バイトってことね!」
「そうだけど、気が変わったら、また電話して」
「気が変わるって、旅館でバイトっていう話……」
「だから一石三兆! それに働いてくれるのだから、お母さんに頼んで交通費往復出してもらっちゃうから、可愛い娘のために、これで一石四兆! この不景気に、こんな美味しい話はないでえー」
「交通費は魅力ねー。考えておくわ……」
美晴は最後に大阪弁で、商人らしい言い方を残して電話を切った。
*
美晴はバイトか……
私も何か探さないと、そのうち絵の具一つ買えなくなりそうねー
でも信州か……、なんだか本当に行きたくなっちゃったなー
*