21. 肥ったお腹と生きること
(肥ったお腹と生きること)
美晴は、少し真面目な雰囲気で話しだした。
「でも冗談抜きにして、幸子はわけのわからない才能を持っているよー」
「それって、才能なの?」
「あんたの描いた絵を見ていると、完璧に仕上げた自分の絵が、安っぽい広告の絵のように見えてくるよ……」
「それって誉めてくれているの?」
「悔しいけど、認めたくない事実だねー、色の統一はできていないし、筆運びはめちゃくちゃだし、だいたいデッサンがくるっているよ。お世辞にも上手とはいえないけど、でも何でだろうねー、幸子の絵を見ていると、そこから動けなくなる……、自分が絵の中に入っていくような感じがするよ。絵画という分野の価値はやっぱり、見ている人の心に届くか届かないかだけのものだね……」
「わかるー? 私もそうだから……、自分でも描いていると、時々絵の中で迷子になりそうだから……」
「やっぱりそうなのねー、天才と狂気は紙一重なのねー、私には真似できないな……」
「ちょっと、それって私が狂っているとでも言いたいようね!」
「幸子、気をつけなさい……、歴史の中の巨匠たちは、みんなどこか狂っているから……」
「大丈夫、私は天才じゃあないから……」
「幸子、あんたは天才だよ!」
「言ったわねー、だから狂っているといいたいんでしょうー、散々私をバカにして……」
「何を言ってるのよー、まーあー、絵画の場合、本人が自覚してなくても構わないけどね。あんたの絵はもう独り歩きして、見た人の心の中で立派に生きているから……」
「もういいー、私のことはいいから、何の話をしていたのよー?」
美晴との会話は疲れる。上がったり下がったり、でもお世辞でも冗談でも褒めてくれると嬉しい。
「お釈迦様の話し、……」
美晴は、話が脱線しても、ちゃんと元の線路に戻ってこられる。
私が脱線すると、そのままどこかに行ってしまう。
「それでお釈迦様は何て言っているの?」
「お釈迦様は、王様の子供で、今で言う、いい所のお坊ちゃまで、お城に住んでいたみたいなの」
「じゃ、星の王子様、……」
「幸子に言いわせれば、そうかもしれないわねー、ある日、お釈迦様は城から出て、一般庶民の暮らしを見たのよー、その目を覆いたくなるような貧しさや苦しみ、病気や争いを見て、どうして民衆は自分のように幸せに暮らせないのかと、自分と見くらべて考えたのよー」
「何という庶民を見下したお金持ちらしい発想、……」
「それで思いついたのが、そういう様々な運命を背負って人は生まれて来るということ……、多分、自分は前世も王様の子供であったに違いない。この貧しい人たちは前世も貧しかったに違いないって思ったのねー」
「それって偉いことなの? 私なんか毎日考えているわよー、私もお金持ちの家の美人のご令嬢に生まれてきたかったって……、どうして私は貧乏人の家に生まれてきたのかって、運命を呪うわー」
「そう、一般庶民なら簡単に分かることを、お金持ちのぼんぼんだったお釈迦様は、この時初めて気がついたってわけ……、きっと今の幸子みたいに、メランコリックになって、何で人は死ぬのかって考えていたのね。きっと……」
「じゃ私は、お釈迦様と同じねー」
「そうそう同じだー、でも幸子と違ってお釈迦様の偉いところは、人の運命に気がついたそのあと、家や王様の地位、財産を捨てて、出家して、放浪の旅に出たこと……、そこで一般民衆に運命の切り開き方を教えて回ったのよー、さっき私が話したようにね。生きているうちに運命を変えれば幸せになれる。つまり、努力しろ、生きろてね……、そうすれば、今生きている幸せだけではなく、次に生まれ変わっても幸せに暮らせるとね……」
私は、おっぱいを撫ぜながら、お腹に手が伸びたときに、いつもと違う感触に、その手を止めた。
「美晴はお釈迦様ねー、それで一般庶民は幸せになれたの?」
「それは、今の社会を見れば分かるでしょうー、ぜんぜん変わらない……、でも、お釈迦様の心は残っているんじゃないのー、仏教としてねー」
あれ、と思いウエストを掴んで引っ張ってみた。
あれ、やっぱり肥っている。
そういえば、この三日、ペンションで規則正しく三食食べて、それも遥さんの美味しい料理ばかり食べていた。
おまけに、おやつには、出来立てのケーキとリンゴジュースっ!
これなら間違いなく……
「美晴、私、豚になる!」
思わず、口からでてしまった。
「だから、言ったでしょう。バイトもしないで……」
「……、違うわよー、今、お腹掴んだら脂肪がぶよぶよするのよー」
「あんたー、人の話も聞かないで何やっているのよー?」
「変なことしてないわよー、ちゃんと話は聞いているわよー」
「そんないいことしていたのねー、私がいないのに……」
「だから違うって、美晴の言ったようにバイトもしないで絵ばっかり描いていたら、豚みたいに肥っちゃったのよー」
「あたりまえでしょう!」
そうなんだ……、この三日だけじゃない、夏休みに入ってから、バイトもない彼氏もいないということで、外にも出ないで部屋でごろごろしていたんだ。
「でも、生まれ変わりの話は面白かったわー、私のお母さんも、生きているとき、冗談で私のお腹から生まれてくるっていっていたから……」
私は電話を持ったままベッドから起きて、鏡を覗いた。
「それはいいねー、幸子のお腹から生まれて、また新しい人生をはじめるのね。そしたらまた一緒に旅行ができるじゃないー」
「うん、でも、うちのお母さんなんか大変よー、周りのこと見ないもん……、よく一緒にスーパーやデパートへ買い物に行ったりするんだけど、すぐどっかにいっちゃって探すのが大変なんだから、今ここにいたと思ったら、もういない。自分の興味のあるものを次々見て周り、私が一緒に来ていることを忘れちゃうのよー」
鏡の中の私は、いつもと変わりがなかった。
鏡から少し離れて、パジャマの裾をめくり上げて、体を回しながらお腹周りを見た。
やっぱり分からない、ちょっと安心。
その勢いで、ベッドに再び飛び込んだ。
「それって、幸子と一緒じゃんー」
「私、そんなにひどくないわよー、お母さんを反面教師にしてきたもの……」
「じゃ、教師代取りに来るわねー、それよりも、何よりも、子供生むんだったら、さしあたって男がいるわねー」
「それよねー、それが問題だ……」
やっぱり美晴は偉い! 一番肝心なことを最後に言ってくれた。
長い電話が終わって、私は布団をかぶって考えた。
*
お母さんの人生って何だったのかな?
幸せだった……?
どうしてこんなに早く死んじゃったのかな?
お母さん、今、どこにいるの?
どうしているの?
今も由加ちゃんみたいに、私のそばにいるの?
お母さん……、お母さん……
*




