定規的な彼女[前編]
よければ感想下さい。
僕の名前は、神並長寿右衛門。
右衛門という名前の青年が主人公だからといって、別にこの話は江戸時代の話ではない。
僕の母が日本人で一番長寿(112歳)のお爺さん次郎右衛門にあやかれるようにとつけてくれた、多分有り難い名前だ。
神並に長寿なんてとんでもない姓なんだから、別に普通の名前でも、かなり長生き出来るんじゃないかと思ったりもするけれど。
この物語は、そんな僕と、定規的な彼女の物語。
「あちい…」
校則の通り短く切り揃えられた髪は汗に濡れ、すっと通った鼻やパッチリとした瞳が熱さへの苦悩により歪む。
都内に住む平凡な高校生である僕は、夏休み明け二日目の今日も普通に高校へ行き、普通に義務教育を受け、今まさに普通に家に帰る途中である。
公立高校の夏休み明けといったら、席替えなどのホームルームや委員長交代などで時間がつぶれる、と思っていたが、普通にみっちり授業だった。
愚痴の一つもでる、というものである。
しかし、もう放課後だ。
自由な時間なのだ。
思い切り羽を伸ばし、僕は家に帰って寝ようと思った。
暑過ぎるため、外出する意欲すら湧かない。
このまま、何事もなく一日は終わるのだ…と、この時は思っていた。
そう、あんな事件が起こるなど、僕は全く予想していなかった―
「しっかし、夏休みもすぐ終わっちまったなぁ」
学ランのボタンを明けた僕は、うなだれながら隣の少女に同意を求めた。
「そうね」
僕の隣で本を読みながら歩いている少女、天秤計利は眉一つ動かさずに素っ気ない言葉を返す。
カチューシャで後ろに流された長いストレート髪は風に揺れ、すらっとした長身と、その真っすぐな瞳は少し大人びた印象を周囲に与える。
彼女は僕の数少ない友達で、幼なじみだ。
高校のクラスでは委員長をしており、風紀委員の他に、生徒会役員も兼任している。
「このままどこか遠い所にでも行くか?ちょっとハメでも外してさ」
服をわさわさと動かし体を冷やしながら、僕は冗談を言った。
勿論それは冗談であるため、彼女に即座に否定されるだろう。
彼女はそういう人間なのだ。
人間定規、それが彼女のあだ名。
風紀委員である彼女は、ルールに厳しい。
生まれつき真面目な性格ではあるが、いつ頃ルールに厳しくなったのか僕は正確に覚えていない、いつの間にかそうなっていたのだ。
「それは、いい考えね」
僕は耳を疑う。
思わず、間抜けな声を出してしまった。
「え?」
呆気にとられている僕を見て、彼女は不思議そうに顔を傾ける。
「何を驚いているの?」
こいつは……何を言っているのだ?
人間定規である彼女がルールを、規則から外れている事を承認している。
このギャップはガリレオが天動説を唱え、ザビエルが踏み絵を踏み砕き、ヒトラーが博愛主義を唱える事くらいの衝撃なのである。
「おーい、右衛門、目立つから動いて。」
計利の言葉に我に返る僕。
確かに登下校する同じ高校の奴らがクスクス笑っていた、不覚であった。
「え、だ……だって寄り道すんの校則違反じゃね?」
計利は眼鏡をクイッと直しながら僕を見つめた。
この癖は彼女が法律やら校則やらを引用する時に出る癖で、彼女も知らず知らずにしているようである。
「校則には寄り道は禁止と書いてあるけど、遠い所でハメを外してはいけない、とは書いてないわ」
ふふん、と得意げに言う計利。
僕は思わず反論しようとする。
「え…‥でも、お前」
「鈍いのね右衛門」
しかし、彼女はそれを遮る。かなり絶妙なタイミングでのカットだ。完膚なきまでに僕の言葉が遮断された。
「さあ早く、その名前の通り四次元ポケットからどこでもドアを出すのよ」
名前をネタにすんな!
と叫びたかったが、止めておいた。彼女は多分華麗に受け流すと思うからだ。
因みに僕を某ネコ型ロボット呼ばわりするのは、感情を余り表に出さない彼女の数少ないネタだ。
だが、どこでもドアを出せなど言われたことはない、彼女はルールを越えた願いは口にしない。
おかしい。明らかにおかしい。
人間定規である彼女があろうことか、逃避行を望んでいるなど。
おかしい。
「…チャリでいいか?」
恐る恐る、僕は訪ねる。
自転車はそろそろ到着する僕の家にあるので、そこから海岸沿いに走っていけばいいだろう。
その後は僕にはわからない。
彼女次第だ。
海とか空を見て満足してくれればいいが、生憎僕達には見慣れた景色だ、彼女のお気に召すか、全く分からない。
かといって僕は高校生だから車を出して遠出、というわけにはいかない、巨人の星の花形じゃあるまいし。
「いいわ、某ジブリアニメ…‥耳をすませば、みたいな構図になるのが、少し引っ掛かるけど」
確かに、と少し気になった。
だが僕はあのアニメに出てくる少年ほど爽やかじゃない、どうでもいいが。
歩いている内に僕の家に着いてしまった。
平屋であり、正直ボロい、狭い、使い勝手悪い。
そんなボロ家には目もくれず、僕は小さな庭先にある自転車の鍵を外し、跨いだ。
「小四の頃までよくやってたろ…お前は後ろで六法全書読んでたけどな」
小学校五年にもなると、僕も男の子だったから恥ずかしかったし、何より彼女は「法律に触れるから」と二人乗りを拒んだ。
それは、今の今まで彼女の中で守られてきたルールであるはずなのに、彼女はそれを破ろうとしている。
おかしい。彼女が法律を破ろうとしている。
「あら、あの本は面白いわよ、あなたの愛読書であるプレイボー○より」
にやり、と笑う計利。
彼女が僕の誕生会の時に、どさくさに紛れて部屋から「そっち系列の本」を数冊奪取し、焼却した記憶が蘇る。
因みに僕の名誉のために言っておくが、プレイ○ーイはキン肉マンが読みたくて買っただけである。
「もういいから、行きましょうぜ奥さん」
僕はこれ以上話すと、更に自分の痛い部分を突かれそうな気がして、彼女に催促し自転車のサドルの後ろをポンポンとはたいた。
「そうね」
彼女は頷き、長い髪を払った。
そしてサドルの後ろに乗り、僕の服につかまった。
僕達は海沿いの曲がりくねった公道を、自転車に乗って駆け出した。
不思議と、後ろに乗った計利が久しぶりに、本当に久しぶりに、少しだけ、ほんの少しだけ笑っているように感じられて、僕は少し嬉しかった――
つづく
最後まで読んで頂き有り難うございます。
これからもよろしくお願いします。