【書籍発売記念】エドランド家の恋愛事情
本日4月17日に、本作『花の聖女と胡蝶の騎士 〜ないない尽くしの令嬢ですが、実は奇跡を起こす青薔薇の聖女だったようです〜』が電撃の新文芸さまより発売となります。
どうぞよろしくお願いいたします!
それは、リリアーナとハリーがシュタッヘルへ旅立った翌日のこと。
「あらあら、まぁまぁ!」
その日、エドランド侯爵邸に歓喜の声が響き渡った。
声を上げたのは、屋敷の女主人──エドランド侯爵夫人である。
向かいのソファで新聞を読んでいた夫──エドランド侯爵は、興奮する愛しい妻を見て、うっとりと目を細めた。
「なにか良いことでもあったのかい?」
「ええ、そうなの」
長いまつ毛を震わせてフフッと笑う妻は、少女のように愛らしい。
出会った当時のまま……とはいかないが、年を重ねて憂いを帯びるようになった顔は色香が増し、以前よりずっと魅力的だと思う。
もっとも、妻の見た目がどんなに変わろうと、侯爵の気持ちが変わることはないのだが。
侯爵の妻に対する気持ちは、キャンバスへ絵の具を置くように日々塗り重なっていく。
枯渇するどころか厚く塗り固められて、毎日、毎時間、確かなものになっていくのだ。
(ああ、今日はどうやって愛そうか)
執務時間にふと思うことと言えば、妻のこと一択である。
エドランド家に生まれた者は、これと決めた相手に尽くしたがる傾向がある。
執着と言っても過言ではないほどに。
ある者は王へ忠誠を誓い、ある者は妻を溺愛し。
相手が決まれば、人生薔薇色。見つからなければ、灰色の人生が待っている。
もっとも、決められた側としてはたまったものではないだろうが。
氷の宰相補佐と呼ばれていた侯爵が、街で一夜限りの公演を行っていた流浪の民【胡蝶一族】の美姫に一目惚れして、職務放棄して彼女を探し回り、隣国へ口説きに行ったのは有名な話だ。
夫妻の娘は齢十二歳で伴侶を決め、聖女の儀で花の聖女になってしまうと国に引き止められてしまうからという理由で、十五歳で他国へ嫁いで行った。
その際、妻にお願いされた侯爵が宰相という地位と権力を存分に揮ったのは、言うまでもない。
エドランド家の人々の見目の良さは、おいしい蜜で虫を引き寄せる毒花のようだ──と侯爵は常々思っている。
自分の顔など別段興味もないが、妻から、
「あなたの顔は年を経るごとに好みになっていきますわ」
と言われると、途端に大事にしたくなるのだから、不思議である。
新聞を手折り、はしゃぐ妻を引き寄せる。
ストンと膝の上に乗り上げた妻に気を良くしながら、侯爵は彼女が持っていた封筒をヒョイと取り上げた。
見覚えのある封蝋に「おや」とわずかに目を見開く。
茨の蔓に蝶が留まっているデザインは、末の息子──ハリーが近衛騎士団第二小隊に配属された際に手配した、世界で一つだけのオリジナルだ。
「ハリーの手紙には何て書いてあったんだい?」
「ハリーちゃん、ようやく心を傾けられるお相手を見つけたようですわ」
「おやおや、それは本当かい?」
驚いたように反応しつつも、侯爵の心中は穏やかだった。
宰相という職業柄、彼の元にはさまざまな情報が集まってくる。
その中の一つに、ハリーのこともあったのだ。
とうとう誕生してしまった、黒薔薇の魔女。
あのソワレ侯爵の娘だというからどんな令嬢なのかと思いきや、初対面のハリーに対して笑顔を向けて、仮面の代わりにストールを貸してあげたのだとか。
(姉はハリーを貶めたというのに……ソワレ侯爵夫妻は一体、どんな教育をしているのか)
つくづく、謎である。
「あなた。昨日、黒薔薇の聖女様が誕生されたことはご存じ?」
「ああ、聞いているよ」
「その子のことがね、気になっているのですって。一生お守りしたい方だなんて……これはもう、応援しないわけにはまいりませんわ」
「ふふ。そうだね」
ハリーは、胡蝶一族である夫人の血を最も色濃く継いだ。
胡蝶一族は、見目麗しい妖精と巨人の血が混じった一族だ。
剣舞に長けた美しい一族なのだが、何世代かに一人、ハリーのように巨人の血が色濃く出てしまう者が現れる。
胡蝶一族特有の美しさを持たず、剣舞を舞うためのしなやかな体も持たない。
その上、そのような特性を持った子の多くが、短命に終わるのだと言う。
ハリーは、社交界で「毛虫の騎士」などと不名誉なあだ名で呼ばれているようだが──夫妻は何度文句を言ってやろうと思ったか知れない。言い出しっぺである女性が花の聖女でさえなければ、とっくに国外へ追放しているところである──才能溢れる好青年だ。
ないものねだりをする暇があれば、自身を磨き続けてきた。
エドランド家の者なら一度はある思い上がりがなかった分、彼の研ぎ澄ましはとてつもない。
親の欲目を抜いても、優秀な人材だと思う。
今は近衛騎士団第二小隊で副隊長をつとめているが、次期宰相である長男の補佐もこなせる文武両道を地で行く男なのだ。
夫妻がハリーに短命について伝えなかったのは、伝えることで変わってしまうことを恐れたからだった。
ハリーの危ういほどにまっすぐな心根は、未来に希望を抱いているからこそのものだ。
父や母、姉や兄の心震える運命の出会いを聞いてきた彼もまた、自分だけの運命の人を待ち望んでいた。
眠れない夜、妻とともに語り合ったこともある。
ハリーは生きている間に、これと思う人を見つけられるだろうか──と。
「さっそく、部屋を準備しませんと!」
はしゃぐ妻は、忘れているようだ。
黒薔薇の聖女が王都へ足を踏み入れることはないのだ、と。
だがしかし、愛する妻の望みである。
叶えなければ、男が廃る。
(まずは……ソワレ侯爵家でも調べてみるか)
果たして。
ささいなきっかけで始めた黒薔薇の聖女に関する調査はとんでもない結果を招くのだが、この時の侯爵は思いもしないのだった。




