27*鈍感な聖女
ハリーが言うには、黒薔薇を使ってエッセンシェルオイルとローズウォーターを作ることは可能だということだった。
かつては黒薔薇の館でも作っていたことがあるらしく、道具がそのまま残っているらしい。
エッセンシャルオイルもローズウォーターも、作る工程はほぼ同じ。
水と薔薇を蒸留釜へ入れ、熱することで発生する水蒸気。これを冷却し、液体に戻す。
その時に分離した水分がローズウォーターで、油分がエッセンシャルオイルになるのである。
とはいえ、エッセンシャルオイルを一滴作るのに薔薇が五十本は必要だそうで、実行するには量が足りなさすぎる。
聖女が咲かせた花は枯れないから、そのうち足りるようになってくるだろうけれど、まだまだ先の話。
リリアーナはハリーと話し合った結果、しばらくはコサージュを作りながら、黒薔薇をためていくことにしたのだった。
「──というわけで。今日はコサージュを作りましょう!」
吹く風もさわやかな秋晴れの日の昼下がり、リリアーナとハリーはダイニングルームにいた。
すっかり準備を整えたところで、リリアーナは朗らかに宣言する。といっても、室内にはリリアーナとハリーしかいないのだが。
「よろしくお願いしますね、リリ先生」
「ひゃいっ」
初めて愛称で呼ばれて、思わず声が裏返る。
恥ずかしさに頰を真っ赤に染めていると、ハリーは「かわいいなぁ」とつぶやいた。
伸びてきた手がリリアーナの頭をクシャリと撫でて、乱れた髪を撫で付けながら離れていく。
おかげでリリアーナは首まで真っ赤になってしまったけれど、なんとか、
「はい、任せてください」
とか細い声で応えた。
袖をまくって準備万端なリリアーナに、ハリーは目を細めた。
眩しいものを見るような目は、成長する我が子を見守る母のように慈愛に満ちている。
(おかしいわ。どうしてこんなにモヤモヤするのかしら)
こそばゆいような、それでいて腹立たしいような。
よくわからないが、心の片隅でなにかが「それじゃない」と叫んでいるような気がする。
「リリアーナ?」
「……え? ああ、はい。それでは、始めますね」
リリアーナは不可思議な気持ちに内心首をかしげたが、ハリーの声に慌ててコサージュ講座を始めた。
はじめに案内するのは、黒薔薇のコサージュ作りに欠かせないものだ。
黒薔薇、葉っぱ類、ハサミ、ワイヤー、テープ、リボンにコットン、それからコサージュピン。ハサミは園芸用と手芸用の二種類を用意してある。
ダイニングテーブルの上には、たくさんの黒薔薇と作りためたレースのリボン、そして手芸道具が置いてあった。
ハリーはリリアーナに言われた通りに目の前へそれらを並べていく。
それぞれの準備が整ったところで、リリアーナは黒薔薇を手に取った。
大きくてみずみずしい薔薇だ。日の光を浴びているせいか、やや青みがかって見える。
黒薔薇の館に置いてあった日記によれば、先代の黒薔薇の聖女は赤っぽい黒薔薇を咲かせていたようだ。
彼女は赤薔薇の一族から誕生した聖女だったと書いてあったから、リリアーナの薔薇が青っぽいのは紫薔薇の一族だからかもしれない。
いっそのこと青だったら、どんなによかったか。
以前だったらそう思っていただろうけれど、今は思わない。
もしも青だったら、今の生活はなかったはずだから。
「では次に、黒薔薇のパーツを作っていきます。黒薔薇の根本の茎に、ワイヤーを横挿ししてください。花首は短くして、花の下あたりを挿してくださいね。挿したらクイッと曲げて、ワイヤーと一緒にコットンを巻いてから水で濡らします。最後にワイヤーの上からテープで巻いたら、黒薔薇のパーツの完成です」
同じ要領で、グリーンもワイヤーとテープを巻いていく。
ハリーは大きな手をしているが、初めてとは思えない器用さでスルスルとパーツを作っていった。
「次はどうするんだ?」
「それぞれのパーツを組み立てていきます。まず、黒薔薇を九十度に折り曲げて……この時、折り曲げた長さができあがった時のコサージュの高さになるので、注意してくださいね。あとは他のグリーンを黒薔薇に添わせるように、折り曲げたところを起点にして周りに入れていきます」
「ふむ。こう、だろうか?」
ハリーの手の内で、あっという間に小さな花束ができあがる。
黒薔薇に銀色の葉を合わせた花束は、白いレースのリボンがよく合いそうだった。
「すごい……すてきですね!」
「パールのビーズを合わせてもいいかもしれないな」
「なるほど。勉強になります!」
できあがった花束をワイヤーで巻き留め、さらにテープでワイヤーを隠す。
ワイヤリングした花の足元を綺麗に切り揃えて、レースのリボンをつけたら黒薔薇のコサージュの完成だ。
できあがった二つのコサージュを並べてみると、作り手の個性がにじみ出ていた。
ハリーの華やかなコサージュと、リリアーナのシンプルなコサージュ。
どちらもすてきで、どちらもいい。
リリアーナは「ふふ」と嬉しそうに笑い声を漏らした。
「綺麗だ」
「ええ、とっても!」
ハリーはリリアーナの嬉しそうな表情に対して言ったのだが、リリアーナはコサージュの感想だと思ったようだ。
気づかれたらそっぽを向かれそうなので──リリアーナにプイッとされたら、かわいいのか悲しいのかわからなくなりそうだ──これでいいはずなのに、ハリーは残念でならない。
余裕のなさが表情に出てしまいそうで、ハリーは立ち上がった。
「せっかくだから、パールのビーズを取ってくる」
「はい、いってらっしゃいませ」
安心しきった顔で手を振るリリアーナに、こっちの気持ちも知らないでと思わないでもない。
だけど、ようやくここまで気を許してくれるようになったのだと思うと、感無量なハリーであった。




