21*騎士の嫉妬
いくつか回りたい店があるというハリーに付き合い、最後に寄ったのが、彼の行きつけだという果物屋オープストだった。
甘い香りを放つ洋梨に、熟れたベリー。みずみずしそうな桃に、色鮮やかなオレンジ。
果物を売るだけでなく、ジューススタンドも兼ねているようだ。
ニワトコの箱の前で立ち止まったリリアーナの隣で、ハリーは真剣な面持ちで果物を吟味する。
たかだかりんご数個を選ぶだけなのに、まるで婚約指輪を選ぶかのような緊張感。
リリアーナはポカンと、ただ見守ることしかできない。
しばらくして。
吟味を終えたハリーが、顔を上げる。
「お嬢さん。こちらをいただきたいのだが、いくらだろうか?」
ハリーに微笑まれた女主人は、ふっくらとした頰を朱に染めた。
しなしなと手を振りながら、まんざらでもない様子だ。
「嫌だよぉ、お嬢さんなんて。くすぐったいじゃないか。こんな美形にお嬢さんなんて言われちゃあ、おまけしないわけにはいかないね」
「はは。いつもありがとう」
女主人は嬉しそうに袋へりんごを詰めながら、ハリーへ「最近、聖女様はどうなんだい?」なんて聞いている。
どうやら彼女は、ハリーが黒薔薇の聖女に同行してきた騎士だと知っているようだ。
まさか黒薔薇の聖女の話題が出されるとは思っていなかったリリアーナは、大袈裟に驚いてしまった。
体勢を崩しそうになったリリアーナを、ハリーはさりげないしぐさで引き寄せる。
(あたたかい)
つないでいた手をキュッと握り返すと、大丈夫だと言うようにハリーの親指がリリアーナの指を撫でた。
くすぐったくてピクッと震えると、クスッと笑われる。
余裕のある笑みはいかにも大人の男性といった風で。
リリアーナは子ども扱いされているなぁと、嬉しいけれど悔しい、複雑な気持ちになった。
「いつも通りだ」
「そうかい、それは良かった。ここは、黒薔薇の聖女様の街だからね。穏やかに過ごしてもらえているようで、嬉しいよ。あんたもしっかり、聖女様を守っておくれ」
「ああ、わかっている」
話はこれで終わりかな、とリリアーナが安心しかけたその時だった。
「ねぇねぇ、二人は恋人なの?」
「ん?」
女主人の背中から、ひょこりと少年が顔をのぞかせる。
愛嬌のある顔立ちは、女主人そっくりだ。
「こら、ノヴァ」
「だって……」
ノヴァと呼ばれた少年は、頭を小突かれているのに嬉しそうだ。
いかにも仲が良さそうな親子のスキンシップは、見ていて微笑ましい。
けれど、今のリリアーナはほっこりしている場合じゃなかった。
なぜなら──、
(この子、わたしとハリー様が恋人同士かって聞いたの⁈)
気を抜いていたところだったので、聞き間違いだったかもしれない。
一縷の望みにかけて、リリアーナは自分自身を指差しながら問い返した。
「えっと……それは、わたしに聞いているのかな?」
彼は興味津々といった様子で、リリアーナを──正確にはハリーとつないでいるリリアーナの手を見ている。
リリアーナの質問に、少年はコクコクと頷いた。
「そうだよ。仲良く手をつないでさ。だから、恋人なのかなって」
「こっ、恋人⁉︎」
まさかそんな風に見えるだなんて思いもしなかったリリアーナは、心底驚いた。
ズギャーンッッと効果音でも聞こえてきそうなくらい大仰に驚くリリアーナに、ノヴァは「そんなに驚かなくっても」と屈託なく笑う。
「恋人だなんて、そんな。わたしみたいな子を、ハリー様が相手にするはずがありません!」
ハリーの名誉のため、誓って恋人ではないと言い放つリリアーナ。
そんな彼女を、ハリーはただ黙って見ていた。
「だってハリー様は、こんなにすてきな人なんだもの。手をつないでいるのは、わたしがまだ慣れていないからです。迷子防止とでも言いましょうか。ここに来たばかりで、市場へ来るのも初めてだったものですから!」
息が苦しい。
こんなに必死になって言葉にするのは初めてかもしれない。
ハフハフと息を荒げるリリアーナを見た後、ノヴァはハリーへと視線を移した。
「そうなの?」
自然と、リリアーナの視線もハリーへと向かう。
見上げると、ハリーは怒っているようにも苦しんでいるようにも見える目つきで、口を覆い隠していた。
「ハリー様?」
まさかハリーが、リリアーナの「こんなにすてきな人」発言を噛み締めきれなくて爆発しそうになっているとは思いも寄らない彼女は、
(これはきっと、わたしの恋人だと間違われて静かに怒っているのだわ!)
と思って、焦った。
(怒るのは当然よ。だってわたしはないない尽くしの令嬢で、その上黒薔薇の聖女なのだもの)
リリアーナだったら、恋人どころか友達になることさえ考えるレベルだ。
ましてや、相手は宰相閣下の愛息子で、誰もが認める美形。
(勘違いとはいえ、おこがましいにもほどがある!)
間違ってもハリーが喜んでいるとは思わないリリアーナは、申し訳なさでいっぱいだ。
「すみません、ハリー様。わたしが慣れていないばっかりに……なるべく早く慣れるよう、努力しますね!」
「ん? あ、ああ。努力することは良いことだな」
聞いているのか、いないのか。
ハリーはソワソワしながら、答えた。
「じゃあ、二人は恋人同士じゃないんだ!」
答えをもらったノヴァは、嬉しそうだ。
「ええ、そうよ」
「それならさ、僕が恋人に立候補してもいい?」
「えっ?」
「だって、おねえさん、すっごくかわいいから!」
「ええええ⁉︎」
こんな展開、予想外すぎる。
思わず大声を上げたリリアーナに、通りすがりの人たちの視線が突き刺さった。
(見ないでぇぇぇぇ)
落ち着かなげにワンピースの袖をもてあそびながら、リリアーナは今すぐ逃げたいと思った。
「もう、この子ったら。ごめんなさいね、うちの子、ませていて」
「いえ、そんな」
少年の無邪気な申し出を、受けることはできない。
リリアーナは丁重にお断りしたのだが、それでも諦めないノヴァから、
「じゃあまずはお友達から! ねぇ、いいでしょ? おねがい!」
と子どもらしい駄々をこねられ、押し切られたのだった。
そんな彼女の後ろで、ようやく現状を把握したハリーがおとなげもなくノヴァをにらんでいたなんて、リリアーナは知る由もない。
ノヴァも負けじとあっかんべーをしていたのだが、やはりリリアーナが気づくことはなかった。




