表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

一般向けのエッセイ

「ジョジョの奇妙な冒険」の良い所を考えてみる

 最近、ジョジョを見返していて「やっぱり面白いなー」と思いました。以下、あまり長くならないように、ジョジョの良いと思う所を上げていこうと思います。

 

 ① 演出重視で「こまけぇこたぁいいんだよ」の精神

 

 荒木飛呂彦という人は、最近では珍しく骨太な人な気がします。あくまでもエンタメの範囲内の話で、褒めすぎは良くないですが、細かい部分よりも大きな柱としての面白さを追求している人だと感じます。そこがいいと思います。

 

 具体的には、ジョジョのメインであるスタンドバトル(スタンドという守護神のようなものが闘う)なんかは、良く見れば、突っ込みどころが沢山あります。ですが、そういうこまかい論理や整合性は無視して、インパクトのある演出を荒木は心がけています。これは長所だと思います。

 

 例を上げると、ポルナレフがディオと出会う場面などです。ポルナレフが、ラスボスであるディオと出会います。ディオの能力は隠されていて、わからないのですが、とにかく強大な能力という事だけがわかっています。

 

 この時、ディオは階段の一番上にいます。ポルナレフは階段の中程にいます。ディオはポルナレフに「俺に向かってくるなら階段を上がれ、服従するなら階段を下りろ」と挑発します。ポルナレフは、ディオに対する恐怖を打ち破って足を踏み出します。階段を上ります。…が、次の瞬間、ポルナレフは階段を「下って」いました。上っているつもりが下りていたのです。

 

 この「上ったつもりか下りていた」というのが何度か繰り返されるのですが、これは演出としては◎です。ディオの能力が謎めいていながらも、その不思議さ、強大さ、異質なものだというのをよく現せています。しかし、後から、ディオの能力が何なのかを知ると、この場面は滑稽な場面だというのがわかるでしょう。

 

 ディオの能力は「時間を止める能力」です。そうなると、ディオは時間を止めている間に、ポルナレフの位置を下げさせているので、考えてみれば変な図なんですが、そういう細かい所を荒木飛呂彦は気にしません。あくまでもインパクト重視で、思いついたらそのまま描いていきます。これは劇画作家としてはむしろ、長所であると思います。

 

 もう少し本質的な事を言うなら、作品というのは一貫性を要求されます。作品は何かを表現しようとしています。その表現は一貫されているのが期待されます。その際、作者は、表現したいものを表現する為に、技巧を使います。技巧は、表現する為に使うので、論理的に完璧な作品を作る為に使うのではありません。

 

 作者はそういう作品を作る際に、細かい間違いや、整合性のなさには目をつぶります。というのは、それによって全体の表現を完成させる為です。ジョジョの場合、荒木は、漫画としての面白さを追求する為に細かい突っ込みどころは置いておいてどんどん進んでいきます。これは、荒木は計算してやっているし、表現として許される事だと思います。表現というのはそもそも、本質的にそういうものだと思います。

 

 ② キャラクターが悪役も含め一本筋が通っている

 

 これは一口にキャラクターの魅力と言っていいと思います。ジョジョのキャラクターは悪役にも魅力的なキャラクターが多い。それというのは、悪役は悪役なりに、自分の哲学をもって、それを貫いているからです。

 

 以前、「恋は雨上がりのように」という作品を批判した事がありますが、あの作品では主人公に一貫性がありませんでした。私はそう判断しました。一本貫く部分がよれよれなので、作品としては駄目という判断を下しました。

 

 ジョジョの場合、吉良吉影とか、ディオとかの悪役も、一本貫いて死んでいきます。卑怯な人間は卑怯を貫きます。これはキャラクター造形の際の重要なポイントと言えるでしょう。

 

 これに関しては、もっと深い話にするのも可能ですが、漫画批評なのでそこまでしません。ただ、悪役が「とにかく悪い奴」と考えるのと「悪は悪なりに一本筋が通っている」と考えるのは、微妙に違います。そこには、現代の『いい人』にはわからないあるものがあります。その微妙な所を荒木飛呂彦という人は握っています。それは褒めていい部分な気がします。

 

 わかりやすく言うと「キャラクターが魅力的」という事でしかないですが、もう少し細かく見ていくと、悪をただの記号ではない生きている人間として捉える要素が現れてくるという事です。荒木飛呂彦の言う「人間讃歌」にはそういう意味合いがあるのではないでしょうか。

 

 ③ 精神性を問題にしている

 

 ②とも絡む問題ですが、ジョジョでは一貫して精神性を重視しています。敵にしろ、味方にしろそうです。

 

 あくまでも少年漫画なので、そこまで高級なものではありませんが、これは好感の持てる部分、いい部分だと思います。これに関しては全編貫いているので、そんなに説明はいらないと思います。

 

 一つだけ、好きなシーンを上げるなら、第五部のフーゴとジョルノのシーンです。

 

 第五部はギャングの話です。フーゴは、ギャングの先輩格です。新入りのジョルノがそこに入ってくるのですが、フーゴは新入りのジョルノを信用していません。

 

 ですが、その後の闘いで、ジョルノが命がけで味方を救い、敵を倒します。フーゴもジョルノに救われます。闘いが終わって、フーゴがジョルノに言います。

 

 「ジョルノッ! おまえの命がけの行動ッ! ぼくは敬意を表するッ!」

 

 この時にフーゴが『ジョジョポーズ』を決めているのですが、興味のある人は見てください。私がこのシーンが好きなのは、問題になっているのが「敬意」や「信頼」という事です。信頼、敬意を勝ち取る為には命がけで行動しなければならない、という世界観です。ジョジョという作品はいつも、相手の「心」を問題としているのです。「心」を勝ち取る為の闘い、それこそがジョジョのバトルという事です。

 

 そういう所から「だが、断る!」という有名なセリフも出てきます。…超余談ですが、今日、とある大金持ちが、参加者全員にお金を配るというキャンペーンをやりました。ネットでログインすれば、少額から高額まで、貰えるそうです。しかし、私はジョジョを見返していたので、キャンペーンを知り、サイトを前にして、心の中でこう叫びました。

 

 「だが、断るッッッ!!」

 

 …私はサイトを閉じました。

 

 ※※※

 

 …冗談はさておき、ジョジョのいい部分として上にあげたあたりが真っ先に思いつきました。他にもありますが、長くなるのでやめておきます。それと、アニメの出来がいいのは、荒木飛呂彦にとって本当にラッキーだったと思います。これは作者にはどうにもならない部分なので、運が良かったと思います。来年からは六部(アニメ)が始まるので、楽しみに待っていようと思います。

 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ