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武士と怪鳥

作者: 神父二号
掲載日:2019/07/07


「来たぞ」


櫓の物見が震えた声で叫んだ。

武士達は色めきたち、掲げた松明を揺らしながら顔を見合わせる。

この紫宸殿に、弓を構える者は一人もいない。

誰かがやるだろうと、誰もが思っていた。


「来た、来たぞ。おい」


物見が梯子を下りながら叫んだ。

皆、夜空を見つめて震えている。

見物の公卿達も消えていた。


「いつまで」


空の向こうから、奇声が轟いた。

武士の密集が自然と解け、互いに距離を取る。


「いつまで」


二度目の直後、櫓の屋根が吹き飛んだ。

焼けた木くずが散らばり、兜を叩く。

一人が叫び、皆が続いた。


「いつまで、いつまで」


櫓が倒れ、武士が転げ、中庭に火の玉が降り注ぐ。

ある者は狂乱し、ある者は軒下に駆け、またある者は周囲に斬りかかった。

門に複数が殺到し、押し合っているところを雷が貫いた。


「いつまで、いつまで」


上空を大きな羽音が旋回し、奇声の度に火と雷が落ちる。

誰もが得物を捨てて耳を塞ぎ、あえて立ち向かおうとはしなかった。

紫宸殿の騒擾は一刻ほど続き、やがて奇声が遠ざかった時。

絢爛な殿舎は、夜を照らすように炎上した。


時は建武。

改元後初めての秋のことだ。


怪鳥が現れ、内裏は震撼した。



………

……



翌朝。


「北面の中に、誰ぞおらぬか」


半ば焦げた紫宸殿の前で、北面の筆頭が参集した武士たちに問いかけた。


「獣風情に二度の屈辱はないぞ。射落としてみせよ」


誰も顔を上げようとしない。

身じろぎ一つせず、地面を睨みつけていた。

昨夜は怪鳥騒ぎの後、夜が白むまで火消しに追われた。

これ以上の労苦はごめんだった。


「誰ぞおらぬか」


声が裏返るほどに張り上げられ、武士たちに呼びかけた。

気まずい沈黙が、じめじめと続いた。


「この、腰抜けどもが」


筆頭が庭石を蹴り、唾を飛ばした。

威厳はない。回廊の下で怯える様を、皆見ていたのだ。

誰ともなくため息が漏れ出し、波のように広がっていった。


「ええい。散れ、散れ」


集会が終わり、北面の武士たちはぞろぞろと持ち場へ戻っていく。

腰抜けはどっちだ、と誰かが呟いた。


「左大臣殿が」


皆が振り返った先に、一人の若武者が未だ座り込んでいた。

背筋が真っすぐに伸び、よく通る声だった。


「二条左大臣殿が、隠岐次郎広有という者を連れておりまする」



………

……



「なぜ俺を巻き込んだ?」


紫宸殿の庭。

建て直された櫓の上で夜空を眺め、一人の鎧武者がぽつりと呟いた。

無精髭が生え、背中の曲がった小男であった。

脇に抱えた弓だけが異様に大きい。


「広有殿は源氏でございましょう」


返ってきた声はまだ少し高く、澄みきっていた。

太刀を肩にかついで堂々とした立ち姿は、いかにもな若武者ぶりだ。


「違う」

「えっ、違うのですか」

「誰に聞いた」

「北面の皆がいつも。だから弓が上手いと」


広有は舌打ちし、隣に立つ若武者を軽くぶった。

勘違いで巻き込まれたのだ。

本来、紫宸殿の厄介ごとは北面の管轄である。


「数がいるだけか、おのれらは」

「ははは、私も逃げ惑いました」


聞くに、件の怪鳥は奇声と共に火と雷を吐くという。

幾夜も紫宸殿の上空で鳴き続け、昨夜はとうとう北面の武士たちを蹴散らした。

公卿達の怯えたるや、政務どころではない。

帝も清涼殿に籠り、怪しげな僧共に祈祷をさせているらしい。


「左大臣殿の屋敷まで聞こえるでしょう」

「ああ、うるさくて毎晩目が覚める」

「屋根の上を舞うのです。皆、耳を塞いで射るどころではなかった」


広有はちら、と櫓の下を見た。

負傷者が多数出たこともあり、備える武士は普段より少ない。

見下ろす広有に気づいた者が、源氏殿と野次ってきた。

矢を一本抜き、足元に投げおろして黙らせる。


「今夜来なかったらどうする」

「絶対来ますよ。ここ一週間、私の役は火消しでした」

「そりゃいいな。また都が戦場になっても役に立つぞ」

「滅多なことを」

「どうかな、わからんぞ」


他愛のない問答に、広有の緊張が緩む。

鵺討ちの再来を、と大勢の北面に押しかけられたのだ。

拒むことすらできず、あれよあれよと今夜紫宸殿に侍っている。

冗談ではなかった。自分は伝説に名高い源三位ではない。


「射落とせば、どれほどの褒美が貰えましょうね」

「くれてやるぞ、お前が射てみろ」

「無理ですね。あれが来たら逃げますから」


広有は瓶子を傾け、中の酒を一口呑んだ。

気つけ用だ。酔わないように薄くしてある。

二条の神事で射る時も同じようにして呑む。

怪鳥はたとえ射ても、神仏に捧げるほかない。

捧げ物は己の技一つで捧げると、決めていた。


「あっ。来た、来ました」


櫓の下から欠伸が聞こえ出す頃。


夜空を眺めていた若武者が、声をあげた。

広有はもっと先に気づいていた。

満点の星の中に蠢く、どす黒い雲一つ。

目を凝らすまでもなく、巨大な羽が羽ばたいていた。


「広有殿、弓を」

「下りるぞ」

「なぜ」

「庭に射落とす」


にわかにざわめき始めた庭に、広有は下りていった。


「いつまで」


ばさばさと羽音が近づき、奇声が轟き出す。

北面の武士達は既に殿舎の中に逃げていた。

誰も弓など構えていない。

皆火消しの水桶を持ち、息を潜めて怯えている。

若武者だけが広有と共に、紫宸殿の庇の下にいた。


「いつまで、いつまで」


櫓がまたも吹き飛ばされた。

轟音と共に屋根が火に包まれて宙を舞う。

奇声が一段と大きくなった。

耳が裂けるほどに轟き、人々を苦しめる。


「広有殿、早く」

「まだだ、まだ」


火の玉が降り始めた。

庭が炎上し、夜が明らんでいく。


「いつまで、いつまで」


怪鳥は紫宸殿のすぐ上に来た。

口から稲光が迸り、二人の傍にも着弾する。

若武者は歯を打ち鳴らし、もう狂わんばかりだ。


「広有殿、広有殿」

「………」


怪鳥は奇声を上げつつ、紫宸殿の上で旋回を始める。

広有は無言で弓を構えた。

矢は鏑矢だ。魔を祓う矢である。


「いつまで、いつまで」


「石を投げろ」

「へ…」

「石だ」


若武者に促し、予め持たせていた小石を投げさせる。

震える手での投石は見当違いの方に飛び、雷に貫かれて砕け散った。

投げた方には気づかれていない。怪鳥も所詮は獣だ。


「いつまで、いつまで」


「石」

「だめ、怖い」

「いいから石だ。庭の真ん中、二つ」


若武者は両手を降りかぶった。

一個が庭の中央に飛んですぐ火に焼かれ、もう一個がその脇をすり抜けた。


「いつまで、いつまで」


怪鳥が高度を落とす。

屋根の上空から、屋根と同じ高さまで。

おぞましい顔つきが篝火に照らされた。


「石」

「どこ、どこに」

「顔にあてろ」


若武者が息を呑んだ。

数拍の後、えいと放った。


「いつまで」

「死ね」


鏑矢が鳴り響いた。

ずずんと内裏が揺れ、奇声が止んだ。



………

……



数日後。


「広有殿」

「ん、おのれか」


内裏に続く大路で、広有と若武者は出会った。

若武者は鎧姿ながら広有は平服。

非番の日であった。


「おめでとうございます。因幡国の大荘園を賜ったとか」

「この時世に、僻地の所領を貰ってもな」

「ははは、照れ隠しですか」

「そういうおのれは、ようやくお目覚めかい」

「いや、面目ない」


頭を下げる青年の背を、広有は軽くぶった。

怪鳥退治の直後、泡を吐いて倒れたのだ。

そのまま数日、眠っていた。


「しかも帝より"真弓"の姓を賜ったらしいですね」

「ああ。ありがたくもこっ恥ずかしいことだ」

「とんでもない。北面の詰め所ではまだ噂ばかりしてますよ」

「へぇ、なんて」

「さすがは源氏だって」


広有はもう一度、若武者をぶった。




"以津真天"

建武の秋に紫宸殿に現れ、隠岐次郎広有に討たれた怪鳥である。

頭は人、身体は蛇、嘴には鋸歯が生え、羽を広げれば一丈六尺あったという。

「いつまで、いつまで」と鳴くその声は、失政への批判とも死者の怨嗟とも。


その真意は、誰にも分からない。

続きません。

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