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///Midnight T-Town  作者: 維酉
陰陽師の娘
3/3

03 氷を食む③

   3




 目を覚ますと、凄まじい倦怠感があった。昨日の戦闘の疲れが抜けていないらしい。事務所に着き、それからアパートに帰ったのが午前二時。いまは朝の六時である。もうすこし寝ていたいが……だめだ、目が冴えてしまっている。


 渋々と身体を起こした。だらだら準備を整えてから、事務所へと向かう。


 八時を前にした頃、烏刃は探偵事務所の扉を開けた。


 埃臭い風が気だるげに吹き、気分は降下。昨日のような極度の緊張感――いっときも気を抜くことが許されない戦闘――をこなすと、疲れは簡単には抜けない。


 昨日は仕留めきることができなかった。


 それも負の気分に作用する。頭痛が酷い。烏刃のぶんしかない事務所のデスクに倒れるように腰かけると、鞄から錠剤を取り出す。水がない。奥にある洗面台まで行き、そこらへんに乱雑に置かれた紙コップのひとつを手にする。たまに事務所で寝泊まりをするので、風呂以外で生活に使うものはだいたい揃えてあった。


 薬を胃に流し込むと、ほんのすこし、気分が和らいだような気がする。気のせいだ。そうだとわかっていても安堵する。


 落ち着いて、鏡に映った自分の顔を見ると、干からびた枯れ葉のようにやつれていた。


「……なんて顔してんだよ」


 頬を掌で叩く。痛いだけだった。ひとかけらの気合も入らない。両手は烏刃の頬をミミズが這うように滑り落ちていく。ざらざらとした感触。また今日も剃り残しがある。


 洗面台のすぐそば、放り出されていたシェーバーに手を伸ばす。ゆっくり、丁寧に、もう一度剃る。


 ああ……これでいい。


 デスクに戻ってコーヒーを淹れた。椅子に腰かけ九時の開業を待つ。漬物石のように重くなったファイルを開き、昨日までの調査とその戦果を確認する。


 ――『凍てついた女』。烏刃はあの女のことをそう呼ぶことにした。捻りもなにもないが、見るのは烏刃だけ。呼称を気にすることはない。


 烏刃はゆっくりと目を閉じた。舌でコーヒーを転がす。苦い香りはほとんど感じなかった。




   4




 ――トオル、『霊魂』というものは、常にわしらを満たしておる。それは目には見えぬが、目に見えるものがすべてとは限らぬ。人体を構成する細胞。そのひとつひとつに霊魂は満ちており、そしてそれらは血液のように、人体を駆け巡るひとつの流れとなる。


 見えたのは、袴姿の老爺だった。頭部は禿げ、顔はしわだらけで、逞しい顎髭は真っ白い。


 しかしその身体つきは太く、また堅剛である。なにより目を引くのは老爺の目である。その目には老いを一切感じず、かえって若々しさを思わせるような、みずみずしい煌めきがあった。


 老爺は言う。


 ――流れを御する力……それが『陰陽術』。霊魂の流れを操り、人間の……否、生物すべてが持ち得る神秘的能力を引き出すもの。それは古来より輪廻を外れた化け物を討つ術として伝来されてきた。


 ――『陰陽術』を扱うには相応の才が必要だ。しかしトオル、ぬしにはそれがない。だが……わしは三つ、ぬしに授けよう。ひとつは陰陽術の基盤である“結界”。もうひとつは化け物を討ち得る剣技。最後は……




「……の、すみません。あの」


 その声に、はっと目が覚めた。


 いつの間にか、デスクに突っ伏して眠っていたらしい。腕時計が目に入った。十時を既に回っている。


 あぁ、クソ。寝すぎた。欠伸を噛み殺しつつ顔を上げる。そういえば声が――と、烏刃は自分を起こした相手を見た。


 目の前に、少女が立っていた。

 歳は十六、七ていどだろうか。綺麗な顔立ちである。化粧はしていない。髪は黒のボブショートで、おしゃれだろうか、白の平行な二本線を描くように左頭部を一部だけ染めている。服装はワンピース、腰のあたりに革のベルト。小さなショルダーバッグ。


 烏刃はひとまず席を立つ。


「えぇっと……客?」

「はい」


 少女は淡白に短く答えた。


「じゃあ、ああ、そうか……座って」


 デスクの前に横たわる、ふたつのくたびれたソファーの片方を指さす。少女はこれまた「はい」とあっさりした返事をして、ちょこんと座った。烏刃はその差し向かいに腰かけようとする。


 その前にちょっと煙草を吸おうとすると、少女はぴくりと嫌そうな顔をした。すぐにその表情は隠されたが、烏刃、暫し思案して自重する。


「ああ、えっと。依頼でいいんだよな?」

「はい」


 珍しいこともあるもんだ。こんな娘が探偵に依頼とは。

 しかもこんな薄汚いところに。


 思いつつも口には出さず、烏刃はデスクからファイルと書類とペンを持ってきた。少女は人形のように座って動かない。礼儀正しく振舞おうとしているのか、緊張しているのか。なににせよ、不自然である。


 烏刃が言う。


「……俺は烏刃徹、ここの所長だ。しかし所員はいない。人件費が浮いて助かるんだ。お前は?」

「え?」

「名前」

「あぁ……はい。井伏真琴いぶせまことと申します」

「井伏真琴ね。そんな名前の小説家がいたよな」

「あぁ……二文字違いですね」

「じゃあ早速、依頼内容は?」


 と、本題に入ると、少女は既に正していた身なりをさらにキュッと正した。


「友達を捜してほしいんです」

「と、いうと?」

「小学校からの友だちなんですけど……。高校は別々でも毎週――とまではいかなくても二週間に一回は会ってるような親友です。でも、最近は連絡が付かなくて。それで、その子のお母さんに訊いてみたら、数日前に失踪したって聞いて」

「捜索願は?」

「出しているそうです。でも、手掛かりもなにもないって」

「ふうん……?」


 誘拐か何かか?

 いずれにせよ、事件性の高そうな話であった。これは探偵の領分なのだろうか。そう考えたところで、天王寺今宵の言葉が思い出されたが、すぐ振り払う。


 あいつには「探偵の領分で仕事したことがあるのかしら?」と訊かれたが、怪奇の話については、警察に“ふつうに”訴えてもどうにもならないから代行して解決しているだけである。本来、警察が解決すべき、たとえば『失踪事件』なんてものには、探偵がわざわざ介入するべきではない。ドラマではないのである。


 引き受けることはできないだろう。そう思った。ファイルを閉じる。


「まあ、この手の話は警察に……」


 委ねるしか、と言いかけたところで、少女の顔を見た。

 目に涙を浮かべていた。


「……っ、すみません」

「いや……すまん」


 井伏真琴と名乗ったその少女は、涙を手で拭い取って、引き攣った笑顔を浮かべた。多くの類の悲しみが混在したような顔だった。


「謝ることないです。うん、あの、やっぱそうですよね。警察に任せるのが、いちばんですよね」

「……」

「すみません。迷惑かけました」


 真琴は立ち上がって帰ろうとした。ショルダーバッグを肩にかける。


 ……思わず溜息が出た。


「写真は?」


 真琴の動きが止まる。


「あるんだろ。見せてみろ」


 こういう自分が、つくづく嫌になる。


 これでどれだけ(、、、、、、、)失敗してきた(、、、、、、)


 烏刃は硬い髪を右手で掻いた。


「……はい。ありがとうございます、烏刃さん」


 座り直した真琴の顔は、このときはたしかに、喜んでいるように見えた。

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