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///Midnight T-Town  作者: 維酉
陰陽師の娘
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02 氷を食む②

   2




 ある種の情報は数々の“網目”を掻い潜りながら伝達される。細かい網目、荒い網目と様々ではあるが、どういった網にかかるにせよ、情報はその場で一時遮断される。情報の持ち主は選択する。市場に流すか、それとも自らの腹の中に収めておくか。


 情報とは価値である。

 実体はないが値打ちはある。


 しかしある程度高い確率で、価値のない情報がキャッチされることもある。その情報の多くは実際に頭のてっぺんから爪先の先端まで無価値であることが多いが、ごくまれに、秘めたる価値を抱いていることが、ないとは言い切れない。


 どちらにせよ、一見して価値のわからないものはすぐさまリリースされる。そして情報の伝達は無価値の奔流へと成り果てる。


 玉石混交。


 烏刃探偵事務所はそういった“まざりもの”の情報が最終的に行き着く、いわば『終着点』のひとつであった。どれだけ無価値でバカバカしい話であっても、毎日のように流れ込んでくる。


 電話が鳴れば、また、またまた、おかしな依頼が舞い込む。いわく、幽霊を見た。狐に化かされた。神様が戸口を叩いています。無名地下アイドルのグループが解散しそう。UFOが空を飛んでいた。ヘンな夢を見た、神の啓示だ、近く天変地異が起こる……。


 下らない、科学的論証がない主体的な感覚に任せた情報。

 これが、毎日。

 つくづく平和だと実感する。




 三日前のことだった。


 四月に入ったばかりであった。朝の日差しは数か月前よりはいきいきと見え、烏刃探偵事務所を舞うミクロな埃が桜吹雪の代わりに煌めいていた。


 電話が、鳴った。


 事務所を開けたばかりの時刻だった。午前九時、ちょうど。この時刻を狙いすまして電話を掛けたのだろう。


 早速、朝から愉快な話が聞けるんだろうか。若干の頭痛がした。受話器を取る。


「もしもし」


 と低い声で言うと、相手は「わたし。わたしよ。わかるでしょ?」と向こうもまた低い声で唸るように返した。声を聞いて、顎を撫ぜる。ざらざらとした感触があった。剃り残しがある。


 声の主はすぐにわかった。常連の女である。ただ、この女の依頼はほかの“下手な常連”と違って『ハズレ』がない。


「朝からなんの用だ」

「おかしなことが起きてて」

「ふうん?」


 はあ、と大きく息を吐く音が聞こえた。溜息だろうか。それとも煙草でも吸っているのか。

 どうせ両者だろう。


 それから少し、沈黙があった。烏刃は待つ。女は何度か大きめの呼吸を繰り返した。自分もヤニがほしくなって、烏刃がデスクの上の青い箱に手を伸ばそうとしたところで、女が口を開いた。


「氷漬けの死体って、見たことある?」

「ああ?」


 煙草を口に銜えて、ライターで、火を。


「見たことないね。人の?」

「それなら大事ね。電話する相手は警察だわ。あなたって警察だったかしら? 人じゃない。鳩とか、ネズミとか、そういう」

「小動物」

「そう」


 互いに煙を吐くタイミングで、会話が途切れる。乳白色は天井に溶けた。


「わたしも見たわけじゃないわ。ただね、友達がちょっと。見たそうよ、凍った鳩とかネズミの死体。家の近くでね」

「薄気味悪いな」

「そうよ。気味が悪い」

「……」

「……で、どうやらその事件、嫌な方向に進展しそうなの」

「と、いうと?」

「人が氷漬けにされる」

「ふうん?」


 烏刃はデスクの上に青のファイルを開く。ページをパラパラとめくり、常連の女についての“情報”を見る。


 天王寺今宵てんのうじこよい――それが彼女の名前だった。職業は……弁護士。天王寺法律事務所の所長。


 天王寺は言う。


「どうやら氷漬けにされる対象が段々と大きくなっているのよ。わたし、鳩とネズミを挙げたけれど、ちょっと調べてみるともっと死体があったようでね。最初はカエルだった。次にネズミ。鳩。そして……野良猫、さらに野良犬。犬は大型よ。公園の茂みで、凍死してたのが見つかった」

「春に?」

「そう、春に」


 彼女はさらに続ける。


「三月を体感的にも春と位置付けるならね。でも、今年の三月はとても暖かかった。そうでしょ? 実際、暖冬だったもの、一月から。平年と比べるとね。……で、ほら。職業柄、この手の事件はいくつか知ってるのよ。ターゲットが段々と巨大化していく。最後は――人を殺す。さすがに、氷漬けなんて初めてだけどね。傾向は同じ」

「ほう、で、どうして俺に依頼を?」

「簡単よ。わたし、忙しいの。これ以上は無理だわ。解決なんてもってのほか。でも、警察はどうせ動かないでしょ、この程度じゃ。せいぜいパトロールの強化くらいよ。だから依頼するの」

「探偵の領分じゃないようだが」

「探偵の領分で仕事をしたことがあるのかしら?」


 どうかしら? と天王寺は言った。

 烏刃、言い返すところがないようだった。


 烏刃は煙草をふかしながら思案した。厄介な事案ではあるだろうが、情報としてはたしかに面白い。


 決めた。


「オーケイ、いいよ。調べてみよう」

「助かるわ。報酬は用意する。ほぼ寄付ね」


 それじゃ、また。短い挨拶のあと、電話が切れた。受話器を置く。

 ブラインドの隙間を、陽光がすり抜ける。烏刃は煙草を灰皿で潰した。




 怪奇専門探偵。自分でそう名乗り始めたわけではなかった。


 結果的に扱える依頼がそれに限定されてしまっただけで、烏刃自身、そう名乗ることには若干の抵抗がある。


 とはいえ、純粋な探偵業――探偵なんて不純なことしか調べないというのに『純粋』というのはまた滑稽だが――なんてしておらず、ならばどういう探偵なのか、と訊かれると、やはり『怪奇専門探偵』と名乗るしかなかった。


 この世には、人智を超越した存在がある――と、多くの人々がいまだ知らない。


 それは地域や時代によって、あやかし、化け物、妖怪、幽霊、UMAなどなど、種々ある呼称を得たが、一般の見解では、それは狂言綺語(フィクション)。空想、エンターテインメントの域をでない。


 しかしそれはたしかに実在する。理解を越えた存在、現象。


 ――凍った死体。


 それは『人智を越えたなにか』を象徴するいい例だった。春、茂みの中に隠されていた野良犬の凍死体。


 天王寺が烏刃の探偵事務所に発送した資料の中に、その野良犬の解剖記録があった。とある知り合いに格安で引き受けてもらったという。記録には犬の遺体の詳細が書いてあり、黄色い正方形の付箋が付いていた。天王寺の字らしかった。


 ――絶命した後、すぐさま瞬間的に冷却されている。凍結速度は異常なものであると考えられ、その手段は見当が付かない。


 厄介なことこの上ない文章だった。




 ……煙草の吸殻を氷の上に落とす。


 三日間の調査の末、ついに遭遇することができた“女”。立体駐車場に追い込み、そして結界を張った。


 幼いときに叩き込まれた、やり方で。

 一切のミスはなかった。何度も何度も繰り返し、そして常に成功してきた張り方。


「それを破られるとなると、ねぇ」


 氷点下の気温が徐々に上昇を始めた駐車場、烏刃の声が虚しげに響いた。


「自信無くすよなぁ……ったく」


 面倒くさいことをしてくれる。

 氷の上を歩き始めた。探偵事務所へ。時刻は午前一時を回っていた。いまのところは、もう眠りたかった。

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