そうだ、妹をつくろう(三十と一夜の短篇第35回)
そうだ、妹をつくろう。
静まりかえった居間の入りぐちで柱にもたれ、ヨリはふと思いついた。
しかし、妹とはなんだろう。つくるには、それを知らなければならない。
まずは辞典をひいてみようと、居間のすみに置かれた電話台を目指す。散らばるクッションや陶器の破片を踏まないように気をつけながら、居間をゆっくり移動する。
さっきまでの騒ぎで蛍光灯が割れなかったのは、幸いだった。もしも割れていたなら、どこかにしまってある懐中電灯を探さなければいけないところだ。
調べものに使う本は、電話を置いてある棚の下段に並べられている。すぐ手にとれるところに辞典類を置くのは子どもの学習意欲を育てるのにいいのだ、と母親が用意したものだ。
漢和辞典、ことわざ辞典、花言葉の本や動物図鑑が並ぶなかから、国語辞典を抜き出してページをめくる。
「妹。同じ親から生まれた年下の女」
ちいさな字で書かれた一文を読み、辞典を元に戻す。
「同じ親……」
居間の中央に向き直ったヨリは、そこに転がるふたつの人影に目を落とした。
腹から血とはらわたをこぼしているのが、ヨリの父親。首から血を撒き散らしているのが、ヨリの母親だ。
互いに刃物を向け合い、取っ組み合いの騒ぎのすえ折り重なるようにして息絶えたふたりをながめて、ヨリは昔を思い出す。
昔と言っても、両手にすこしあまるほどしか生きていないヨリが知る昔など、せいぜい十年前がいいところ。父親と母親が仲良く笑い、そのあいだに挟まれてあたたかな気持ちを抱いていたころのこと。
ほんの二、三年しか続かなかった幸せなときが、ヨリの胸を占めていた。
「妹をつくろう」
そう思ったのは、足りなかったからだ。
ヨリだけでは、幸せな家族であり続けるには足りなかったからだ。
母親は、女の子が欲しかった。幼いヨリのことを抱きしめながら「妹ができたら、きっととてもかわいいわ。あなたも大好きになるはずよ」と笑っていたことを覚えている。
父親は、もっと活発な子が欲しかった。室内遊びを好み、外に連れ出しても花を眺めて歩くようなヨリの横で「キャッチボールしたいなあ」とぼやいていた。
けれど、ヨリのあとに子どもはできなかった。望んでいたのに得られなかったことで、両親それぞれに不満がうまれたのだろう。
じわりじわりと溜まっていく不満を打ち消すことはヨリにはできなくて、そうして、だんだんと家族はうまくいかなくなった。
足りなかったのは、母親が望んだ女の子、父親が望んだ活発な子だ。冷え切った家のなかをあたためてくれるような子。
だから、妹をつくろうとヨリは思ったけれど。
「同じ親から生まれる……」
ヨリの両親は、冷たくなりはじめていた。
血だまりを避けて膝をつき、触れてみた両親の肌はぬくもりをなくし、奇妙な感触がした。
もう、このふたりから新たな命が生まれることはない。そんなことを感じさせる、手触りだった。
黙ってふたりを見つめていたヨリは、ふと思いついて立ち上がる。
向かうのはキッチン。それから自分の部屋。
そうして必要だと思うものを集めて、ふたたび居間に戻ったヨリは、物言わぬ両親のあいだに道具を抱えて座り、集めたものを脇にならべる。
包丁、キッチンバサミ、それから、小学校のとき家庭科の授業で使った裁縫箱。
新たに生まれないのなら、あるものでつくるしかない。ちょうど、父親と母親が生を終えたところだから、その体を使おうとヨリは包丁を手にした。
すこし考えて、母親の胴体に手をかける。
まずは悩む必要のない箇所からはじめることにした。
作るのは妹。つまりは女。両親のうちで女の体を持っているのは、母親しかいない。なので、乳房と女性器を含む母親の体に、父親の手足を縫いつけることにした。母親はすこし動きがにぶいところがあるので、手足を変えるべきだと思ったのだ。
そうと決まれば、まずは両親の手足を取り外さなければならない。
料理をするときのイメージで包丁の刃を肉に押し当てるけれど、なかなか通らない。仕方なしに、包丁の刃先を肉に突き立てる。すこし切れた箇所にハサミをねじ込んで、どうにかこうにか切っていく。
刃を入れるたび血をこぼす肉はなかなか切れず、血と脂が絡まってますます切れ味が落ちる。ヨリは途中でバスタオルを取ってきた。
切ってはふき取り、ふき取っては切る。根気のいる作業は苦にならない性質であったし、夜間にたずねてくるような知り合いはいないので幸い、時間もある。
ゆっくり、丁寧に肉を切り、包丁の先を抉じ入れて骨の継ぎ目をはずしたヨリは、裁縫箱のなかから一番太い針を選んで糸を通した。
手足を縫い付けるためだ。
幼いころから手先が器用だと言われるヨリだったが、肉を縫うのは難儀した。
布と違って肉は分厚い。針を斜めに入れなければ、貫通してくれない。そのうえ、肉は刺すごとに血を流すものだから針がぬめってやりづらい。血と脂を吸った糸はふくらみ、ひと針縫うごとに滑りが悪くなる。
それでもこつこつと縫いあげていけば、どうにか四肢をつなげることができた。
これで、走るのがはやくてボール投げもうまい、スポー
ツが得意な女性の体ができた。
つぎは、顔をつくろう。
そう思ったとき、ふと居間の空気がぴりっとゆれた気がして、ヨリは顔をあげた。
一瞬遅れて、鳴り響いたのは電話の音。
調べもの用の本をまとめた棚の天面に置かれた固定電話が、無機質な電子音をあげている。
「……はい。もしもし」
「あ、ヨリくん? こんばんはー。しばらく会ってないけど、元気? 前に会ったのいつだったっけ。駅前でばったり会ったのは……もう半年前か! きっとヨリくんあのときから、だいぶ大きくなってるよね。成長期だもんね」
応答するなり矢継ぎ早に話しはじめたのは、父親の妹である佐和子おばさんだった。ヨリが「うん」と返せばその何倍ものことばが軽快に飛び出してくる。おしゃべりだと父親は顔をしかめるけれど、ヨリはこのにぎやかなおばが嫌いではなかった。
「ところでさ、兄さんいる?」
だから、こう聞かれたときも嘘を言う気にならなかった。
足もとに転がる父親の頭をながめたヨリは、すこし考えて答える。
「……いま、ちょっと電話に出られないみたい」
その間をどう受け取ったのだろう。両親がずいぶん前からぎくしゃくしていることを知っているおばは、すこしの沈黙をはさんでから落ち着いた声をだした。
「そう。兄さんたち、またけんかしてない? ヨリくん、おばさんのところに来てくれていいんだからね。前みたいに、一週間でも、一ヶ月でも、ふたりが仲直りするまでいくらでも」
「だいじょうぶだよ」
やさしいおばの声をさえぎって、ヨリは明るい声で言った。
「父さんたち、もうけんかしないよ。けんかは終わったんだ。それにね、もうすぐいいお知らせができると思うから」
いつもヨリのことを気にかけてくれるおばには、妹ができたらいちばんに知らせよう。きっとおばも喜んでくれるはずだ。
「いちばんに知らせるからね。楽しみにしてて。じゃあ、いま忙しいから、またね」
ヨリは言うだけ言って、おばの返事を待たずに通話を切った。
理想の妹が完成したら、すぐにおばに知らせよう。そう思うと、やる気がわいてくる。
長いこと針を刺し続けた指の痛みも吹き飛んで、はやく続きをしようと床に座り込む。
体ができたから、つぎは顔だ。
土台になる頭がい骨は体に合った大きさにするため、母親のものをそのまま使うことにした。けれど、顔の表面は、ふたりのパーツを継ぎ合せることにした。ふたりの子どもであるならば、それぞれに似た箇所があるものだと思ったからだ。
目元と口は父親のものでいいだろう。このふたつはやさしいおばとも似ている箇所だから、きっとやさしい顔になる。けれどゲジゲジの眉毛ではあんまりだから、眉とひたいは母親からもらうことにする。
鼻も母親のものにすれば、ほどよくまざってふたりの子らしくなるだろう。
だいたいのイメージを固めたヨリは、取り替える箇所を母親の顔からはずして、同じく切り取った父親のパーツを仮置きしていく。
ふんふん、ふん。
縫い進めながら、ヨリは知らず鼻歌を歌っていた。
小さなパーツが手足よりも縫いやすいためだけではない。完成へと近づいていることが、うれしかったのだ。
顔をすっかり仕上げたヨリは、出来上がったばかりの妹の顔を見てにっこりと笑う。
まだ笑い返してはくれないけれど、もうすぐだ。あとすこしで妹が完成して、おだやかな生活が戻ってくるはずだ。
いっそいますぐ完成、としてしまいたいところだが、焦ってはいけない。ささいなほころびを見逃せば、また幸せな家族が崩れてしまう。
はやる気持ちをおさえながら考えるのは、頭の中身はどちらがいいだろう、ということだ。
ここまで、迷うことなくきざみ、縫い合わせていたヨリの手が止まった。
父親のように熱意のあるひとに? それとも、母親のように自分の意見をはっきり言うひとに?
すこし悩んで、ふたり分の脳をまぜて、妹の頭蓋骨に入れられるだけ入れた。ふたりの子だから、ふたりぶんがまざっているべきだと思ったのだ。
頭髪はどうだろう。母親は自身の髪質が嫌いなようで、父親似のヨリの髪をよく手ですいていた。だったら、髪は父親のものが良いだろう。母親の頭皮をはがして、父親の頭皮を貼り付ける。
そうしてすっかり妹の体を作り終えたのは、夜明け間近のことだった。
夜どおし作業をしていたことになるけれど、ヨリは疲れを感じていなかった。むしろ気持ちは高揚して、いまなら苦手なマラソンでも走り抜けるような気さえしてくる。
わくわくする胸をおさえて、ヨリはできあがった妹を見つめた。
父親と母親のパーツを取り混ぜた顔に、父親ゆずりでヨリとおそろいのふわふわした髪の毛。母親の体に父親の手足を持つ、やさしくて活発な女の子。
ところどころに赤黒い糸が見えるのが難点だが、風呂に入ってよく洗えば血も落ちて、きっと目立たなくなる。
「お風呂にお湯、ためておいてあげよう」
妹が起きたらすぐ汚れを落とせるように、ヨリは風呂を洗って湯をはった。掃除をすると母親が喜んでくれるから、手慣れたものだ。
居間へと続く廊下から見た窓の外は、わずかに明るくなりはじめている。
けれど、妹はまだ起きない。
「お腹も空いてるかもしれない」
両親が最後のけんかを始めたのは、夕飯を食べる前だった。妹の体に収まっている母親の胃袋の中身はほとんど入っていないだろうから、きっと妹も腹を空かせていることだろう。
ヨリは寝起きでも食べやすいように、生姜を効かせた鳥粥を作った。飲んで帰った翌朝、いつも以上に気が短くなっている父親に出すと、すこし落ち着いてくれるものだ。
煮あがるころに、家の外でかたんと音がして、新聞が届いた。
けれど、妹はまだ起きない。
「ねえ、起きて」
ヨリが肩をゆすっても、妹は身じろぎひとつしない。
それどころか、触れた肩は冷たくかたい。これは人の肌ではない。明るくやさしい妹の体が、ヨリの指先から熱をうばい、拒絶するようにこわばっているはずがない。
「どうして」
ぺたり。触れる場所を変えるけれど、そこにもぬくもりはない。
あちらこちらに手を伸ばし、あたたかさを感じようとやっきになるけれど、見つけられない。
触れるたび、冷たさを感じるたびにヨリの胸は締めつけられ、鼓動をはやめていく。
「どうして……ねえ、ねえ。起きてよ!」
息苦しさが増し、汗をかきながら凍えるような心地で叫んだヨリは、そのときふと気がついた。
「ああ、そうか」
できあがったとばかり思っていた妹に、欠けているものに気がついた。
命を終えた父親と母親には、きっともう残っていなかったもの。互いに罵りあい、傷つけあうなかできっと壊れてしまっていたもの。
それは、心だ。
あたたかな家族を取り戻すために、欠かしてはいけないもの。やさしい心を持った妹こそ、両親もヨリも望んでいたのだから。
それが足りないばかりに、妹はまだ起きないのだと気がついたヨリは、そばに置いてあった包丁を手にしてにっこり笑う。
「いま、あげるからね」
刃先を自分に向けて、柄をにぎる。
心がどこにあるのか、ヨリはわかっていた。妹の誕生を待ってヒリヒリと焼けつくようなこの胸の痛みが、そのありかを教えてくれている。
かまえた包丁を振りかぶりはしない。
勢いよく突き入れたら、傷つけてしまうかもしれないから。あくまでそっと、やさしく切り口をつくる。
とろり、自身の内からこぼれる血の熱さがうれしくて、生きた心を分けてあげられるのがうれしくて、ヨリはいそいそとはさみに持ち替えて胸の傷口を切り広げた。
「……あれ?」
のぞいた胸の奥にあったのは、赤黒くぬめる肉。
「あれ、あれ?」
指を突き入れぬちゃぬちゃとさわってみると、どくりどくりと脈打つ心臓に手が触れる。
熱い。けれど、それだけ。
「ない、ない、ない……」
両手を使ってかき混ぜてみるけれど、心臓のほかにはぐちゃぐちゃと耳ざわりな音がするばかり。
「どうして? どこ? ないよ、どこにもないよ」
自身の胸をかき回すヨリは、口からこぼれる血の混じった泡にも気付かない。手首まで血に染めて、必死に探すけれど、求めるものは見つからない。
そして、それも長くは続かなかった。
ヨリの体がぐらりとかしぐ。
ごぼり、と口から吐いた血とともに赤い水たまりに倒れこんだヨリは、ゆっくりとまばたきをした。かすむ視界に赤黒い糸で彩られたつぎはぎだらけの体を映して、悲しくほほえんだ。
ヨリの胸のうちに、心を見つけることはできなかった。
分ける心がなければ、妹を作り上げることもできない。
あたたかい家族を取り戻すことはできない。
(ぼくに、心が足りなかったから……)
ヨリは自分に欠けていたものに気が付き、そのせいで家族が崩れてしまったのだと思い至り、沈んでいく意識に逆らうことをやめて、静かに息を止めた。
空を見あげ、息をつく。ゆっくりと呼吸をするのは、ずいぶんと久しぶりであるような気がした。
甥と電話で話した翌朝、いつになくテンションの高かった甥がどうにも気になって訪ねてからは、さまざまなことが怒涛のように押し寄せてきて、必死にもがくように日々を生きてきた。
そんな濁流が、ようやく落ち着きを見せはじめた。
事件は家族間のもめごとと結論が出され異様な死体の状況については、錯乱状態にあった甥の奇行ということで片付けられた。
第一発見者として、奇行に走らざるを得なかった甥の心中を思って、心身をすり減らしてきた日々にもついに終わりが見えてきた。
ようやく訪れた静かな時間に、花を買って甥をたずねる。
「ヨリ、いい知らせって、なんだったのかな。無理にでもあなたをあの家から引き離していれば、聞けたのかな……」
甥の眠るそばにひざをつき、いまさらどうしようもない後悔をつぶやきながら買ってきた花菖蒲をかざる。
花菖蒲の花言葉は「やさしい心」。
やさしい心に満ちた甥にぴったりの花が、彼の眠る墓の前で揺れていた。