<A's04> 真犯人捜し
チハが終わって、こちらの葛城の話を再開させました。
内地のほうではもう始業式前日のようですが、こちらはあと一週間はあります。
そちらは夏休みが長いですが、こちらは冬休みが長いんですよ。ということで逆のようですね。
その間に書きたいものを書いておきたいですね…。
艦橋があって、後ろから前まで続く滑走路……すなわち飛行甲板。
ここは空母の甲板だと物語ってくれる。
こんなところを私は知っている。
懐かしい。
自分も空母だけど、自分ではない別の、しかしどこか似た場所。
私の目は自然と誰かを求めていた。
そして、見つける。
「あら、葛城。 おはよう」
航空機もない飛行甲板の上に唯一あるのが、洋風の足が長い白いテーブルとその上に乗る紅茶の香り。そしてこれもまた足が長くて白い椅子に腰掛けて可憐な雰囲気をかもし出す、存在。
口もとからティーカップを離し、自分に向かってニッコリと微笑む優しい笑顔。
「……雲龍姉さま」
長女の姉である彼女。そして三女の妹の自分。
「そんなところに立っていないで、ほら。一緒にお茶でも飲みましょう」
彼女は外国製の艦船ではない生粋の日本人なのだが、家具にしても紅茶にしても洋風を好む少ない一人だった。
「……美味しい」
姉のところに行くといつも紅茶とクッキーをご馳走してくれる。だが、自分はそれを目的に来ているわけではない。
「でしょ? お姉ちゃんの手作りなんだから」
「…うん。雲龍姉さまの淹れた紅茶と手作りクッキー、とっても美味しい……」
「あら」
そんな至福の時。
暖かい日差しの下、良く晴れた天気で、団欒とする姉妹の光景。
「やっはー! おねーちゃんとかつらちゃ〜んっ!」
右手を上げて突然現れた天城のテンションが高い声。
「天城。まずはおはよう、でしょう」
「やはは。めんごめんご」
「…ちゃんと日本語を使え、愚姉」
「わっ! かつらちゃん、ひどぉい〜」
「ふん」
唇をぶーっと尖らせるもう一人の姉と、鼻で笑う自分。
「こら、葛城。そんなこと言っちゃ駄目よ」
「雲龍姉さま……」
「天城もお姉ちゃんなんだから」
「ちぇ〜…」
二人の姉をそれぞれ見比べる。
「……何よ」
天城がチラチラと見詰めてくる妹を訝しげに見る。
「……同じ姉とは思えない」
「きっついこと言うな〜かつらちゃん。かつらちゃんだって同じことが言えるよ〜」
「………」
「こら、もう止めなさい」
頬を膨らませる愚姉をほっとくことにして、姉の淹れてくれた紅茶を楽しむことにする。
「わ〜い、クッキーだ。いただきま〜すっ」
「……!」
ひょいぱくひょいぱくと全てのクッキーを口の中に放り込んだ天城は、満足そうに頬張った。
「おいひい〜♪」
「天城、ゆっくり食べなさいよ」
「んぐ…。 あ、あれ? どしたの、かつらちゃん……」
「………」
姉の手作りクッキー……。まだ全然食べてない…。
「か、かつらちゃん?」
「………」
「そ、その包丁はなに……」
「…愚姉ぇぇぇぇっっっ!!!」
「ひええええ〜〜〜っっっ」
「もうっ! 二人ともやめなさぁぁいっっ!」
そんなドタバタな日々。
三姉妹で過ごした日々はどの日々も忘れられない。
あんな馬鹿姉と過ごした時間も、悪くはなかった。
嫌じゃなかった。
……楽しかった。
時が過ぎて、いつしか姉妹は二人になっていた。
そしてまた……
また……
また…
私は一人になった。
気がつくと、なにもない真っ暗闇の空間にぽつんと立っている自分がいた。
あたりを見渡すが、誰もいない。
「……雲龍姉さまっ!」
闇の中に浮かんだ姉の寂しそうな笑顔。
何故、そんな顔をするの……。
背をゆっくりと向けて、闇の向こうへと消えていく。
「…待って! 雲龍姉さまっ!」
そして背後から浮かぶ、もう一人の姉。
振り返ると、そこにはいつも元気が取り得でうるさい姉がいた。
だけど、ちょっと困ったような表情だった。
「ま、待って…!」
いつものようにうるさく来てほしい。
だけど、ただちょっと困った表情をしたままで、逆に遠ざかっていく。
「待って…! お…」
姉が、闇へと溶け込んで消えていく。
お姉ちゃんッ!
――最後に、お姉ちゃんって呼んでくれて嬉しいよぉ―――
そんな言葉を、思い出す。
あの最後の日。
空襲があった、運命の日。
大破して黒煙を天空に昇らせる甲板の上で、血にまみれて倒れた姉と、そばにいた自分。
―――それが、私たち姉妹の終わりの日だった。
小さな丸い窓から差し込む朝日の陽光が照らし、目が覚める。
「………ッ」
重々しく目を開く。いつもの目覚めの悪い朝。
あのときからいつもこんな夢を見ている。
姉たちと過ごした過去の記憶。もう取り戻すことはできない日常。
過去の記憶が自分を苦しめる。
葛城の表情はいつもの如く無表情を貫いているが、その陰は暗い。
視線を動かすと、誰かの背中が見えた。
「………」
その背中が振り返って、彼との視線が合う。
「あっ、起きたね。 おはよう」
「……誰」
ぼそりと呟いた葛城の言葉に、秋津はガクンと肩を傾けた。
「誰って……もう何日も君に匿ってもらっている秋津衛だよ」
「………」
「思い出してくれた? ていうか寝ぼけてる?」
「……居候」
「……まぁそうかもしれないけどさ」
寝起きでぼーっとしている葛城に、秋津は苦笑する。
「……随分とうなされてたけど、大丈夫?」
「………」
ピクリと反応した葛城はゆっくりと秋津のほうに視線を向けた。
「…随分と苦しそうだったから」
「……私、そんなにうなされてた?」
「自分の肌とか触ってみなよ。汗、べっとりだよ?」
「………」
確かにすこし顔を触れてみると、汗がじわりと滲んでいるのがわかる。
「………」
「な、なに…?」
葛城がジロリと秋津を睨む。
「……私、そんなにべっとりじゃない。そんなこと、言うな…」
女の子に向けてそんなこと言うなと言いたいのだろう。
「ご、ごめん…」
「………」
「…でも、ここにいてからずっと葛城がうなされてるのいつも見てたから……」
「……忘れろ」
「…いや、忘れろと言われても毎晩見てるわけだし……。また忘れても、また見ることになるよ」
「…見るたびに忘れろ」
「……わかったよ。そうするよ」
彼女がどんな夢を見ているのかわからない。
だけどそれはきっと自分がどうこうできるものではないだろう。
秋津は小さく溜息を吐いてから、両手に持ったお茶を差し出す。
「はい。お茶、いる?」
「………」
「そこにお茶の葉っぱがあったから勝手に使わせてもらったけど、良かったかな?」
「……問題ない」
差し出されたお茶を受け取ろうと葛城はゆっくりと身をベッドから這い出ようとする。ハラリと落ちた布団から彼女の極端に通ったラインが露になり、上に着た一枚だけのシャツが下の下着を隠して二つの太股が生えている姿の彼女の身体に秋津は顔を赤くして動揺する。
ここに匿ってもらったときからそうであったが、もう「またそんな格好で寝てたのか」なんて言うのは諦めていた。
ゆっくりとした動作でお茶を受け取らせたことを確認すると秋津はさっさと視線を逸らすために体を背ける。
ベッドの上に腰を下ろした葛城のお茶の啜る音を聞きながら、秋津もほのかに赤みを残した頬のまま、自分の淹れた熱いお茶を口の中に流し込んだ。
まだこの彼女の姿を見るのは恥ずかしいが、口を開く。
「ど、どうかな……」
「………」
お茶をずずずと啜りながら、葛城はその質問を聞いてゆっくりとした遅さの精神伝達が脳に届くまでの時間を要して、ぼそぼそと答えた。
「……ぼちぼち」
「ぼちぼちって……すこし傷つくなぁ」
「………」
ここは復員船『葛城』の艦内にある一室。兵員たちの間では使われていない開かずの間としての存在を買っている。
復員輸送の任を従事中として、日本への帰路の航海途中である『葛城』の艦内では銀パエ(艦内で食料等の軍需品などを盗むこと)事件が起こり、第一容疑者候補として秋津が追われているのだ。
そして秋津はこの復員船の艦魂である葛城に助けられて匿ってもらっている。
要は居候ともいえる。
「……ねぇ葛城。僕、思ったんだけどさ…」
秋津はお茶を両手で持ちながらチラリと葛城を見る。
葛城は見向きもせずにお茶を飲むことに専念していた。
「ここから出て、僕も犯人探ししたいんだけど……」
葛城はピクリと反応する。
「……も?」
「うん」
葛城はジッと細い目で秋津を見詰める。
「……なんのこと」
葛城はふいっと視線を逸らして、秋津はそんな葛城に微笑を浮かべる。
「いや、だって…。葛城がいつも一人で僕に代わって真犯人を捜してくれていること、僕は知ってるよ」
「―――ッ!」
危うく葛城は手を滑らせて持っていたお茶を落としそうになった。
キッと睨む先には、ニコニコと良い笑顔の秋津。
「…わ、私は別になにも……」
「誤魔化さなくていいのに。僕をここに匿ってくれてから、葛城、毎日一人で艦内の隅々まで回って調査してくれてるのは知ってるよ」
「………」
「あ、あれ…?」
ほのかに頬を染めて視線を逸らした後、またユラリと首を傾けて、細い瞳で秋津を睨んだ。
「…私があなたなんかのためにそんなことはしない」
「…ねぇ、葛城」
「…なに」
「葛城って実は……」
「…殺されたいのか、貴様は」
どこから出したのか、いつの間にか包丁を逆さに持って構える葛城。
「ご、ごめん…!」
慌てて後ずさる秋津。まぁ襲われれば壁際に追い詰められているのでそれ以上逃げられないが。
葛城は「…ふん」と鼻を鳴らして、包丁を光の粒子にして消した。
こうなることはわかっていただろうに……。
…そう、実は葛城は密かに(つもりだったが秋津にバレてた)銀パエの真犯人を捜していたのだ。
秋津が疑われているのは犯行時間帯に彼がいなかったからだ。しかしその時間帯は秋津は葛城と初めて出会ったときだったので、秋津が犯人ではないことは葛城が知っている。秋津のアリバイは葛城が特に知っている。
無き罪に被せられた秋津を匿ってやる間、葛城は独自に捜査に踏み入っていたのだ。
「…葛城は優しいね」
「…まだその口が開くのね」
「褒めたのに……」
秋津はずっと見ていた。
さっきからずっと葛城の頬に朱がさしこんでいるのを。
いつも無愛想で無口だと思っていたが、こんな表情も出せるのだと知った。
なんだかそれがわかって、すこし嬉しい自分がいた。
「…別にあなたのためではない。あなたがいつまでも私の部屋にいると私が迷惑だから、早く真犯人を見つけてあなたをここから追い出したいだけ」
「あはは…」
だったら最初から匿ってくれなければ良いのに。
素直じゃないんだから…。
しかしそんなことは恐くて言えない秋津だった。
「だからさ、葛城一人にそれを任せて僕だけがここに逃げるなんて悪いよ。僕も一緒に捜すよ」
「…でも、あなたが外に出れば捕まる危険性もある」
「艦魂のキミがいれば恐いものはないよ。 もし捕まりそうになったらまた助けてくれるでしょ? もちろんそうならないよう努力するけどね」
「………」
しばしの沈黙。
すっかりお茶が冷めた頃合、いきなり葛城が腰を上げてベッドから降りて立った。
シャツから生えた二つの太股が綺麗に縦に伸びたのを見て、秋津は慌てて視線を逸らす。
葛城はぐいっと残りのお茶を飲み干すと、それを秋津にずいっと差し出した。
「…勝手にしろ」
お茶と一緒に言葉を受け取り、背を向けた葛城に「うん」と微笑んで頷き、感謝の気持ちをこめた。
「………」
葛城は頬に朱を染めたまま、艦魂の力で具現化した鏡を前に髪の毛の寝癖を直し始めた。
本来空母としての頃に航空機を収容するスペースだった格納庫は復員兵たちの収容スペースとなっている。
そこに隙間無く大勢の復員兵たちがいる。
そこから離れた、艦底に近い区画にある烹炊所で二つの人影がいた。
「こんなところ見つかったらますます疑われそうだよ……」
秋津はすこし緊張しながら誰もいない烹炊所のあたりを見回っていた。
その近くには葛城が何やらゴソゴソと漁っている。
葛城の集めた情報によると主計兵が居ない時間帯に犯行が行われたらしい。そしてその時間帯こそが今だ。
「ここを探してなにか手がかりあるのかな?」
「………」
秋津はチラリと葛城を見詰めるが、葛城は背を向けて黙々と別のところ漁っている。
「なにか見つけた? 葛城」
「………」
動きが止まった葛城に近づき、覗き込む。
「葛城?」
「―――そこでなにをやっている」
「…ッ!」
ビクッと震えて振り返ると、烹炊所の出入り口に背を真っ直ぐに伸ばして腕組みした自分と同い年の若い兵員が立っていた。
しかも見覚えがある。あの時、葛城に助けられたとき、自分を連行しようとしていた者だった。
「あっ! いや、その……」
出口のある方向には彼がいて逃げ道が妨げられていて逃げられない。
一人の主計兵がズカズカと無言で近づいてくる。
「その…! 違うんです…! 僕はなにも……」
「お前に聞きたいことがある」
葛城は再び彼を連れて逃げようと思ったが、前とは違う微かな異変に気付いて止める。
動揺する秋津の眼前まで顔を寄せ付けて迫り来ると、彼はさらに問いかけてくる。
「銀パエの犯人は、お前か?」
「え……」
すぐに連行しようということはしない。前のように強引に引っ張られると思っていたが、なにもされないこと、そして投げられた問いにすこし戸惑ってしまった。
「答えろ」
「……僕じゃない。本当に…」
「…そうか。嘘ではないのだな?」
「本当本当! 僕、なにも知らないよ…!」
「ふん」
眼前まで迫っていた距離から離れ、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「お前が犯人ではないという証拠は」
「僕が犯人っていう証拠もないよ…」
「だがお前は犯行時間帯にいなかった。 それだけで一番怪しいだろ」
「船酔いしたから気分転換に外に出たんだよ……。そう、甲板に…」
「それが真実だということを誰が立証してくれる?」
「……い、いるよっ!」
「ほう、誰だ」
「あ…」
秋津はしまったと口を紡いだ。
その側で葛城が無言と無表情を貫いているがなんだか溜息をついているような雰囲気だ。
「え、えっと……」
「どうした、言ってみろ」
「〜〜〜〜ッ」
このままではまた犯人扱いされてしまう。そして無いはずの罪を被らされ、尋問に合わされる。
「とにかく、…僕じゃないんだ……」
苦し紛れの言葉に聞こえるだろう。
あぁ、また駄目か……と覚悟する。
しかし反応は予想外だった。
「……そうか」
「……へ?」
「お前は犯人ではないそうだな」
「………」
「だろう?」
「……う、うんっ! もちろんっ!」
「…まぁ、見ればわかる。お前のようなひ弱な女々しい奴がそんなことする度胸があるわけない」
ちょっと言いすぎのような気がするが、なんとか信じてもらえたようだ。
最初は強引だと思ったけど、実はわかってくれる人らしい。
心の底からほっとする秋津だった。
「…あのオヤジも気に食わないしな」
「オヤジ…?」
「……ああ。 貴様を犯人として決め付けたウチの主計科長だ。あいつの命令で動いているんだが、あいつとは前々から気に入らなくてな。今回もウンザリしてたんだよ」
「は、はぁ…」
「自分勝手で傲慢で、部下の気持ちなどわかっていない。そんなオヤジさ」
それはどんな人なのだろう。
しかも自分を犯人だと決め付けた人らしい。
その時、くいくいと葛城に袖を引っ張られた。
「…なに?葛城」
彼に聞こえないようにコソッと話す。
「……主計科長」
「…え?」
「……たぶん――」
「―――ッ?!」
「おい、なにをコソコソしている」
「……えっと。あのぉ……ちょっと一つ提案があるのですが…」
「なんだ」
秋津は葛城に囁かれたとおりのことを伝える。
彼は驚いた風に秋津を見詰めていたが、やがて真剣な表情で黙って話を聞くようになっていた。
そして……
「…ふむ。わかった」
「……と、いうことで」
「…うまくいくのか?」
「やってみる次第だね」
「まぁいい。 どっちにしろやるしかない。後の調整は任せておけ」
「えっと……。一応知っておこうよ。僕は秋津衛。……陸軍だけどね」
「知っている」
「あ、そうだったね…。 じゃあ君は?」
「…俺は『葛城』の主計科烹炊班第六班一等兵曹、敷島喜四郎」
「じゃあ、よろしく敷島さん」
秋津は笑顔で握手を誘う。
敷島はジッと秋津の差し出された手の平を見詰めていたが、やがて「ふん」と鼻を鳴らして自分の手を出して握手をした。
葛城はそんな二人の握手を、陸軍軍人と海軍軍人が手を結び合った瞬間を初めて目撃した瞬間を黙って見詰めていたのだった。