偏差値チェック
「いくわよ」
まるで、昨日を思い出させるかのように井ノ瀬は言った。
「俺そんなに信用されてない?」
「早乙女先輩に言われているのよ。仮入部期間中は見張っておけってね」
俺は牢屋に収容されている犯罪者か……。脱獄なんてする気はない。いよいよ先輩は俺を逃がす気はないらしい。
「そうかよ」
「ちなみに信用はしていないわ」
「してないのかよっ!」
普通にショックを受けて凹んでいたのだが、井ノ瀬がくすくすと笑っているのを見て冗談であったことに気づいた。普段ジョークを言わない人が言うと、本当に冗談には聞こえないので、出来ればやめてほしいものである。
「じゃあ行こうぜ」
俺と井ノ瀬は今日も放課後のクイズ同好会の活動に出るため、部室へ向かった。
今日は仮入部二日目。今は部室の目の前まで来ている。未だにこの教室に来るまでの道のりはいろんな意味で長いのだが、いずれ慣れるはずだ。昨日は井ノ瀬にドアを開けてもらったので、今日は俺が扉を開く。
「こんにー」
「待ちわびたよー。全然誰も来なくて暇だったんだよ! ……って、あんた誰?」
机に座っていたこの女は俺の第一声を遮って突然ハイテンションで話しかけてきた。いや、お前こそ誰だよ。この同好会には変な奴しか入れない決まりでもあるのか?
「紹介するわ。こちらは一年の若葉春男くんで、昨日うちに仮入部することが決まったわ」
井ノ瀬は丁寧に俺を紹介してくれた。
「そっかー、それじゃあ六人揃ったし、大会に出られるんだねー。私は江越由佳、同じ一年生だよ。よろしくねー」
あくまで仮入部だと訂正したいところであったが、話の流れを途切れさせるのは嫌だったので、今回は諦めて省略する。
「こちらこそよろしく」
最初は変な奴だと思ったが、普通に話しやすそうだし、悪い奴ではなさそうだ。まあ、少し軽すぎる感じがしなくもないが。
こいつが、井ノ瀬が言っていた新入生の女の方だろう。同中の友達と言っていたか。確か特徴は――――「元気」「明るい」だったな。…………確かに的を得ている。とはいえ、同じ中学校ならばもっと具体的な特徴を挙げてくれてもいいんじゃないのか……。
「若葉はさ、頭いいの?」
江越は突然俺の一番聞かれたくない質問をしてきた。それより、いきなり苗字を呼び捨てで呼ばれて少し驚いたが、よく考えれば俺も井ノ瀬のことを最初から呼び捨てで呼んでいたことを思い出した。
「……馬鹿よ」
「はっきり言うな!」
少しは気を遣ってほしい。直球ど真ん中のストレートである。それにしても、どうして毎度井ノ瀬は俺の代弁をするのであろうか。
「ついでに言うと、昨日の朝の小テストは三点よ」
「追加情報を加えるな!」
まずい、俺のいじり方をこいつは徐々に習得し始めている。このままいくと俺が最下層のヒエラルキーが出来上がってしまう。ただでさえ学力が底辺の俺が立場まで下になってしまっては、俺の存在意義がなくなってしまう。それだけは避けねば。
「おー同士よ!」
と江越は言いながら俺に近づいてきて、肩をパンパンと叩いている。いつも通り俺を馬鹿にする展開が始まると思っていたのだが、江越が予想外の反応をしたので、そうはならなかった。
「……どういうことだ」
「だからー、私も馬鹿なんだって」
「!?」
まさか、こんなところで仲間に出会えるとは。運命的な出会いとはこのことだろうか。江越は心の底から仲良くできそうだ。と思っていたのだが……
「合格した時はびっくりしたよ。偏差値62の私が美麗高校に受かるなんてね」
「…………」
全く同士でなかった。とはいえ、よく考えればわかることだったのかもしれない。偏差値70の美麗高校において、馬鹿の基準はせいぜい60前後だ。偏差値40のやつなんて例外中の例外である。さっき心の底から喜んだことが今になって恥ずかしくなってきた。
「若葉は偏差値どのくらいなの?」
……うっ。答えたくない。言ってしまったら、江越がどういうリアクションを取るかわかっているだけに、言えない。
「そんなことよりさ……」
「偏差値より大切なことなんてあるの?」
いや、たくさんあるだろう。急にまじトーンになって何を言い出すんだ。江越はもう少し世の中を知った方がいい。
「減るものじゃないんだし、言ってもいいんじゃない?」
と井ノ瀬がフォローするように言う。まあ、俺にとっては全くフォローではないが。
「……そうだな」
と答え、覚悟を決めた。もうどうにでもなれ。
「……40」
「…………えっ?」
「……40だ」
「あの……ここ美麗高校ですよ?」
「知ってるわ!」
俺の予想していた反応とは違ったが、そのリアクションは止めてほしい。それに、急に白々しく敬語を使いやがって。
恥ずかしさで顔が真っ赤に染まっていたのだが、横で「ごめん、わかってはいるんだけど」と言って笑いを堪えている井ノ瀬を見て、俺はさらに顔を赤く染める。江越に至っては笑うのを抑える素振りさえ見せず、大笑いしている。
「あー笑った笑った」
しばらくして、江越はそんなことを言う。まったく失礼な奴だ。
「ひと笑い取れてとれて俺は満足ですよ」
「ごめんってば」
今にも笑いだしそうな顔で江越は答える。その後、少し真面目な顔して彼女は続ける。
「けど、そんな状況でも頑張ろうとしている若葉を見ると応援したくなるし、私も頑張ろうと思えてくるよ」
「……そうかよ」
頑張るなんて一言も言っていないのだが――――それでも、裏表のなさそうな江越にそんなことを言われると素直に嬉しいと思ってしまう。
「まあ、偏差値を30上げるのなんて、幼稚園生がはやぶさを成功させるくらいの難しさでしかないよ」
「難易度たかっ!」
幼稚園生ではやぶさって……。記憶が正しければ、俺なんて一回飛べるのがやっとだったぞ。江越は縄跳びをしたことがないのだろうか。そんなことを考えていると、縄跳びなんて一切興味なさそうな井ノ瀬が口を開く。
「私は小三ではやぶさ出来たわよ」
「縄跳びの話はもういいよ!」
いや、確かにすごいけど。小三女子がはやぶさって……。どんなスーパー小学生だよ。こっちは今やってもできる気がしない。体育で縄跳びの授業はないのだろうか。あるのなら、一度井ノ瀬のはやぶさを拝見したいものだ。
「若葉って運動苦手そうね」
まったくもってその通りであるが、江越のその言い方はいかにも失礼すぎる。
「縄跳びは出来て二重跳びが一回だ」
「……………、勉強できなくて、運動音痴って……」
「…………」
江越とは仲良くしない方がいいと俺の本能が告げている。
「……先輩たちはいつ来るんだ?」
「学年集会で遅くなるそうよ」
井ノ瀬は俺の質問に答えた。
「……そうか」
「宮地でいいから早くきてくれ」――――そんなことを考えながら、先輩たちの帰りを待つのだった。