神経衰弱と小テスト
6限のチャイムが鳴り終わった。普段ならこの後は、全生徒で最初に校門をくぐるのは俺ではないかと思うくらいの速さで帰宅するのだが、今日はそういうわけにはいかない。
そんなことを考えて井ノ瀬の方をちらっと見て、昼の一件を思い出す。あの後、歴史資料室に着いて資料集を運び出したが、教室に着いた頃には昼休みはあと5分しか残っていなかった。俺は早食いな方だったので5分でなんとか全部食べきれたが、井ノ瀬は5限のチャイムがなる直前まで食べていたのでおそらく完食していない。
また、昼休み以降ある話題で持ち切りだった。上級生の間では、本を持った女の子が廊下を全速力で走っているという噂が、同級生の間では、あの優等生の井ノ瀬さんが廊下を本を抱えてすごいスピードで駆け抜けているのを見たという噂だ。情報に疎い俺のところにも回ってきているのだから、拡大範囲は相当なものだろう。おそらく、本人の耳にも入ってきているだろうからそれについてどう思っているか聞いてみたいものだが、俺にそんな勇気はない。
「いくわよ」
突然井ノ瀬が声をかけてきた。
「お前から声をかけてくるとはな」
「あなたが逃げないようにするためよ」
どんだけ信頼されてないんだ俺。いくらこんな俺でも約束くらいはきっちり守る。
「それはどうもお気遣いありがとう」
そう言って俺は立ち上がり、鞄を持って廊下に出た。井ノ瀬も俺に続いてきて、今度は縦ではなく俺の横に並んできた。傍から見ると、男女が仲睦まじく廊下を歩いているように見えるのだろうが、俺にはリールで繋がれた犬と犬を見張るご主人様にしか見えない。
「そういや、他にも新入生が入ってくるって言ってたけど、どういうやつらなんだ?」
今から戦地に乗り込むわけだから欠かさず情報収集をする。
「そうねえ……、男と女一人ずつで、男の方はまだあまり話したことないからわからないけど、女の方は私と同じ中学の友達よ」
「へえ、同中なのか。どんな性格なんだ?」
「元気な子よ」
情報が少ない。世の中の女の半分以上は元気な女の子である。
「他には?」
「……うーん、明るい子だわ」
「…………」
井ノ瀬は俺になにも情報を与えまいとわざとやっているのだろうか。いや、天然なこいつに限ってそれはないか。なにも情報を得ることができずがっかりしていると、いつの間にかクイズ同好会の教室(この場合部室か)に着いていた。本日2度目といえども、この教室のドアはどうも開けづらい。そんな俺を察してか井ノ瀬はドアを開ける。
「こんにちは」
「きたか千鶴。それに若葉も」
先ほどと同じ男性口調で話すのは早乙女先輩だ。
「こんにちは」
俺も会話の流れに乗って挨拶をしてから辺りを見渡した。部屋には、早乙女先輩、岩渕先輩、それにもう一人丸い眼鏡をかけた男が椅子に座っていることに気づく。井ノ瀬の話から推測するに、この人が新入生の男の方であろう。俺がその男の方をちらちら見ていると……
「この子はうちに入ってきた新入生の宮地だ。仲良くやってくれよ」
と早乙女先輩は気を回して言ってくれた。ホントこの人は完璧な人間だ。ボケるところ以外……
「クイズ同好会に仮入部した一年の若葉春男です。よろしく」
俺は先輩に合わせて自己紹介をする。すると、宮地という男は俺の方をじろじろ見た後
「一年の宮地正一です。君とは仲良くできそうにないけどよろしく」
「…………」
なんなんだこいつは。こんな不愉快な自己紹介をされたのは初めてだ。
「今、仲良くできないと言ったよね、悪いけどこちらからも願い下げだよ」
相手に対し、こんな幼稚なを言ってしまう自分はみっともないと自覚はしているのだが、売られた喧嘩を返さないわけにはいかない。
「こらこら、新入生同士仲良くするものだぞ」
ここですかさず早乙女先輩が仲裁に入るが、そんな先輩もさすがにあきれ顔をしている。当たり前だ。こんな無礼で空気の読めないやつに俺は会ったことがない。
「宮地、どうして若葉をそこまで毛嫌いしているんだ?」
早乙女先輩は率直に聞く。こういう時、先輩のずばずば聞く性格は非常にありがたい。
「頭の悪い人とは仲良くできません」
宮地のこの発言に対して、俺がどういう反応をするか心配になったのだろうか、皆俺の方に顔を向けるのだが、思っていたより普通の顔をしている俺を見て拍子抜けしていた。自分でもまず怒りの感情が、当然最初にやってくるのだろうと思っていたのだが、それよりも先に宮地の言葉に言われた俺が納得していた。
「…………確かに」
納得するのもそのはず、俺のこの学校での決意――「頭のいいやつとは仲良くできない」――を逆の立場で言っているだけなのだから。
それ以前にどうして俺が馬鹿なことをやつが知っているのかと考えたが、早乙女先輩が前もって言っていたのだろうと予測して納得した。
宮地もそれを聞いて意外そうな顔をしていたが、しばらくして表情を戻しそのまま何も言わなかった。俺が怒らなかったため最悪な空気にはならなかったが、それでも空気が悪いことには変わりはない。
「……じゃあ今から神経衰弱をやろう」
早乙女先輩はそう言って部室のロッカーからトランプを取り出した。
「なんでいきなり神経衰弱なんですか!」
急に早乙女先輩が空気の読まないわけのわからないことを言い出したため、俺は咄嗟に突っ込む。
「ちょっと考えがあってな」
「……そうですか」
まあ、先輩がそういうのだからホントに何か考えがあるのだろう。
「ところで、トランプが部室にあるのは活動となにか関係があるんですか?」
「これは……遊びだ」
「遊びかよっ!」
都内でも有数の進学校私立美麗高校――――がっかりである。いや、悪いのはこの高校じゃなくてこの同好会か。本当にまともな活動をしているのか疑いたくなってしまう。
「ちなみに、やるのは宮地と若葉の二人だ」
「いやいや、どうして5人もいるのに2人でやらなきゃいけないんですか?」
「それもわけがあってな」
早乙女先輩がそう言うと、岩渕先輩も井ノ瀬も「うんうん」と頷いている。この同好会は早乙女先輩の絶対王政が敷かれているのだろうか。
「宮地はどうだ?」
「……不本意ではありますが、先輩がそうおっしゃるのならやりましょう」
こいつも下僕であった。どうやら反対勢力は俺しかいないらしい。
「それでは、始めるぞ」
と言って机いっぱいにトランプを広げた。
神経衰弱なんて小5の冬の母親の実家に帰った時に、親戚も含めて大勢でやった時以来やってないぞ……。記憶力がないことも相まって負ける気しかしなかったが、負けても罰ゲームもなにもないことを考えると、とても気が楽になった。
先行は俺で、二枚引いたがもちろん揃わない。後攻の宮地も引くが揃わない。これが3回続くと、徐々に一度めくった数字が出現し始めた。最初にペアを揃えたのは宮地だ。ドヤ顔気味にカードを手元に置く、むかつく。負けじと俺もペアを揃える。
そんな攻防が続き、どちらも同じの枚数のペアを揃えたところで、残り30枚ほどになった。が、ここから状況が一変する。宮地のミスが増え始めたのだ。おそらく、カードを記憶しきれなくなったのだろう。それを傍目に、俺は追い打ちをかかる。怒涛のペア揃えラッシュを仕掛け、場のカードを減らした。そのままゲームは終わり、36対18の俺の圧勝という結果に終わった。
試合を見届けていた井ノ瀬や岩渕先輩が俺のもとへ駆け寄ってきて、「すごいじゃん」と肩を叩いた。神経衰弱ってこんな楽しい遊びだったのか。そんなことを考えながら、敗北した宮地の方に目を向けると、まるで9回裏にサヨナラホームランを打たれたピッチャーかのごとくへこんでいた。こいつに対しては、ざまあみろと思うべきなんだろうが、ここまでへこまれるとなんだか可哀そうに思えてくる。
「……大丈夫か?」
勝者の俺がこんな言葉をかけるのは失礼なのかもしれないが、他にかける言葉が見つからなかった。
すると、宮地は突然立ち上がり、
「さっきのことはすまなかった!全部水に流してくれ!」
「!?」
なんだこいつは……。意味がわからない。どこか頭でも打ったのだろうか。どういうリアクションをとればいいのかわからず困っていると、
「宮地は勉強できる・できないの有無がすべて記憶力にあると思っている。察するに、今神経衰弱という記憶力ゲームに負けたことで、若葉に対して申し訳ないとさっきまでの態度を反省しているんじゃないか」
なるほど。流石早乙女先輩だ、それなら話の辻褄が合う。だが、負けたらどうなっていたかを考えると宮地を許すわけにはいかない。
「……わかったよ、俺も不遜な態度をとって悪かったな」
許したくはなかったが、ここで意地を張るのもあれなので流れに任せて発言した。
「ありがとう、俺の名前は宮地正一だ、よろしく」
「自己紹介ならさっきしただろ」
「あれはさっきの俺ではない」
「…………」
面倒くさい。そして変な奴だ。俺はこんなやつとうまくやっていけるのだろうか。
「だから言っただろう、君は記憶力があるって」
お昼に続き早乙女先輩は言う。
「…………たまたまですよ」
俺は照れながら言う。本当に記憶力があるのだと思い始めてきてしまった。ここに仮入部してから感覚がおかしくなってきている。
「それでは、活動を始めるよ。とその前に、由佳がいないが誰か聞いてるか?」
「今日は、外せない用事があって休むと言ってました」
と早乙女先輩と井ノ瀬は軽快なやりとりをする。消去法で考えると由佳というのは残りの部員の一人――井ノ瀬の友達――に当たるだろう。それにしても、知っていたなら廊下で話した時点で言ってくれてもよかったはずなのに……。
「……そうか、それなら仕方がないな。今日の担当は七海だったか?」
「そうだよー。今日持ってきたのは、〇✕問題だよ。」
岩渕先輩は鞄からクリアファイルを出し、その中に入っているプリントを一人一人に配りだした。これを昨日作ってきたのか。俺からすれば、問題を考える以前にこのプリントをどうやって作るかがわからない。
「それでは始め」
と早乙女先輩は言い、周りはシャープペンを走らせる。時間制限はないはずなのだが、全員凄い速さで問題を解いていく。もちろん、自分以外。そんな俺だが、
「…………わからない」
それも少しわかる程度ではなく、まったくわからない。朝の小テストよりはるかに難しい。だが、今回解いているのは30問の〇✕問題――正答率は50%、普通にやれば15問は正解するはずだ。追い上げるように俺は高速でマークする。そう、適当に。
俺がマークし終えた頃には、全員顔を上げて待っていた。適当にマークしたのに最後になるとは……。そのまま答え合わせに移った。問題を作ってきた人が正解を読み上げて、自分で正誤判定をする自己採点の形をいつも取っているそうだ。
自己採点が終わり自分の点数に驚愕した。他の3人はいずれとも20点台後半で、自分の点数に満足していた。
「若葉はどうだった? 笑わないから見せてみろ」
絶対に見せたくなかったが、この状況は見せるほかなかったので、渋々見せる。
「………………」
全員が沈黙した。なんだろうこの公開処刑は……。今すぐにでも逃げ出したい。
「……若葉君って……、『3』が好きなのね」
「…………」
井ノ瀬がとどめの一発を入れる。俺だって好きで3点を取っているわけではない。普通に解いたら15点のテストでどうして3点が出るのだろうか?
「鉛筆に〇と✕をつけて転がした方がよかったんじゃない」
宮地が俺を嘲笑する。
「……そうだな」
俺は呟いて、美麗高校を受けた時に使ったあの幸運の鉛筆を思い出す。
「明日からもってこよ」
俺はそう決意するのであった。