チーズケーキ
「辛島くん、おまたせ」
蜜はそう言って入ってくると家庭科室にすでにいた辛島が振り向き笑顔で出迎えた。
「やあ。こちらもあとは紅茶を淹れるだけだよ」
いつも少しばかり蜜は遅れてくる。周知の事実とは言え、定期的に一緒の場所にいくと余計な火種と憶測になるのもあるが、ただ帰り支度に時間がかかっているのが大きな理由だ。それほど到着時間に差はないのだが、蜜が到着する頃には殆ど辛島は用意を済ませている。
机の上にはシンプルなチーズケーキがシンプルに美味しそうな姿を見せていた。
「じゃあ私カップだすね」
自販機に紅茶は置いてあるが缶やペットボトルでは味気ないと、火の使用は教師がいないと駄目なので電気ケトルでお湯を沸かして紅茶を淹れている。
「そういえば昨日テレビで簡単で美味しい紅茶の淹れ方てのがあったの」
「へえ」
「簡単そうだったよ。すぐやりたくなったんだけど、ちょうど茶葉切らしてたから今日買いに行って早速やろうと思ってるの。初めてのことってすっごくわくわくするよね」
机にカップを置いている蜜の傍ら、辛島は手を止めてこちらを見ていた。
「初めてなんだ?」
「うん」
「じゃあ、今やってみる?」
いきなりの申し出である。蜜は自分は突発イベントに弱いことを重々承知している。
「え、いいよぉ。私最初は結構失敗するし、いつも辛島くんが淹れてくれてるのが絶対美味しいよ?」
「そうかなぁ。僕は明泉さんの紅茶飲んでみたいなぁ……はい」
目の前にずずいと差し出される黄色いティーパック。なんだか上目遣いで頼んでるようで意外と押しが強い。
断る口実は、慣れてないからであってそれも辛島は気にしてないように思えるし、いつも至れり尽くせりだったのでここで断るのも礼に欠く。蜜は観念した。
「不味くったって知んないからね!」
スマホにメモった工程を見ながら緊張しつつ、テレビで見たよりも手間取ってしまったがどうにか無事に紅茶を淹れることは出来た。
「じゃあいただきます」
斜向かいに座ると改めて試食会の開始である。いつもならば真っ先にケーキを頬張るのだが、今日は自分が淹れた紅茶の採点が気になり、蜜はカップを口に運ぶ辛島をじっと見つめた。
コクリと動いた喉に、少し緊張とは違う意味で心臓がドキドキしたが、今は味がどうだったのか最優先事項である。
「うん、美味しいよ」
「そ、そお?よく考えたら家族はともかく人にお茶淹れてだすのも初めてだったなーって思って。すっごい緊張しちゃった」
いつも母親が家にいるので、安堵の息を吐きつつ怠慢気味だった己に活を入れた瞬間だった。
蜜も口に入れてみたが、いつもの自分が淹れるのよりは美味しいがやはり辛島の淹れたお茶には敵いそうにない。
「やっぱり辛島くんが淹れたのが美味しい、かも。どっかで工程間違えたかな」
「初めてはなんだってぎこちなくてあたりまえだよ。僕はその失敗も嬉しい」
「そういうものなの?人間できてるね」
「僕は普通の少年だよ。ただ初めてってその時のその瞬間しかないから好きなんだ」
「そっかー、おろしたての文房具とか初鰹とか好きなタイプなんだ?」
そういう蜜に辛島はただ笑顔で答えた。
「今日のも美味しかったね。結構味見してるけど、お店に出しても恥ずかしく無いと思うよ。辛島くんもう本職になれちゃうんじゃない?」
「はは、本職の人に比べたらまだまだひよっこだよ。比べると全然違うんだよ」
蜜的重大突発イベントも終わり、食器を洗いながらの会話。洗うと言っても茶器くらいではあるが。
蜜が食器を洗い、辛島がそれを拭く。
せめてもの礼にと蜜が片付けを率先していたがいつの間にか隣に辛島が立ちこのようなスタイルになっていた。洗い終え、水道の蛇口を締めながら最後の食器を渡す。それは妙にテンポよく、洗う、渡す、拭く、置く、の動作が躓くこと無く一つの音楽のように綺麗に流れているなあ、と蜜は思い、これどっかで見たなと思考を馳せる。
―――うーん、……あ!
「なんか私達ってお父さん、お母さんみたい」
蜜の両親は仲が良い。暇があれば一緒に料理を作り、一緒に片付けをする。なんでも大学時代のバイト先で出会ったことが馴れ初めらしい。
食洗機があるが、二人で料理した時は使わない。楽しげに片付けをするのだった。
ふとそんな日常が今の自分らに似てるなと、なんともなしに口に出した。
問題は辛島である。
お父さんお母さん発言の後に大きく鈍いメタルの音が家庭科室に響いた。
辛島が手をすべらせ食器を落としてしまったのだ。シンクに落下したので割れるという惨劇は回避出来たのは幸い。
「だ、だいじょうぶ?」
「う、うん。……明泉さん、変なこと言うから…」
「変?」
はて?と首を傾げる。どこか珍妙なことを言っただろうか?
「いいよ、気にしないで。手を滑らせただけだよ」
今まで食器を落とすなんて事なかったので驚きを隠せないが、気にするなと言うのなら気にしないほうがいいのだろう。夕日に照らされてわからないがどことなく辛島の顔が赤いような気もするが…。
「早くしようか。もうすぐ貸し出し時間が過ぎちゃうよ」
「そうだね」
なんとなしに急かされ、元の通り片付けて、鍵を返して、そして今日は少しばかり遠回りして帰宅した。
母がいるであろうキッチンにただいまの声をかけながら、自室で部屋着に着替えてキッチンに入るとカウンターを挟んだリビングには普段この時間には滅多に家にいない兄がすでにくつろいでいた。
「あれーお兄ちゃん家にいたんだ。めずらし。いっつも家にいないもんねぇ」
そう話しかけながらリビングのテーブルに食器を並べていると、ソファーに寝転がっていた兄が首だけを後ろに仰け反らせ、しばらく蜜を凝視すると普通に体を起こして更に凝視してきた。
「なにそんなに見「お前太った?」
「はっ゛!!??」
身内は残酷な程遠慮がない。
テンポがゆるやかな方向でマイペースな蜜も、兄のこの言葉には即座に反応、乙女にあるまじき声で思わぬ威嚇をしてしまった。
だが事実であった。
現に今日だって腹回りが気になり少し遠回りしたのだ。
今日の献立はクリームシチューに豚肉の野菜巻。突きつけられた事実に少しばかり向きあおうと、シチューと御飯の量を少なめに盛った。
「もしかしてまだ続いてんの?リア充同級生の試食」
「うん、めっちゃ美味しいんだよ。今は大体週三くらいかな」
「いやーしかしあれだよな」
野菜巻きを一口で口に押し込む兄。
「話し聞いた時、蜜に近づく口実かななんて思ってたんだけど、やっぱねーな、所詮俺らフツー顔だもんな。だって好きな子が自分のせいで太っちまうのはやだもんなー」
「ふーん、そういうもんなんだ」
その言葉がなぜかチクリと心に刺さったが、よくわからなかったので蜜は無視した。
「てか、私そんなに……太った?いや良い、やっぱ言わないで自分のことはよくわかってんだ」
この調子でまぁ多く見積もってクラスが替わる二年の終わり、増加傾向を少なく見積もったとしても体重増加の予想結果は目を背けたくなる。
運動するという手もあるけど、蜜はナチュラルボーンのインドア派なのだ。いっそ元を断ったほうが話が早いかもしれない。
試食する相手が欲しいというなら、友達やクラスメイトで甘いモノが好きな子を紹介しよう。