シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ
「今日はキルシュだよ。採点、よろしくね」
「いっただきまーす」
今は放課後、ここは家庭科室。少女と少年、目下の日常風景である。
「へー、チョコケーキの中にアメリカンチェリー入ってんだ……ん、結構甘酸っぱいけどチョコに合うね」
差し出されたケーキにいただきますをして、口に運ぶのは明泉蜜。年ごろの少女としては身長も顔立ちも愛らしさを残しつつも平凡な少女である。ちなみに成績も中、仲の良い友人は五人くらいと…とまあこちらは平均かどうかはわからないが割と埋没系女子高生である。
「テレビでオーストリア特集していね。ちょっとお菓子を調べたら作りたくなったんだ」
対して、咀嚼しながら美味しいとため息とともに感想を言う少女こと蜜を、斜向かいに座り組んだ腕を机に置いて微笑みながら見つめている少年の名は辛島侑征、日の角度によってははちみつ色を例えてもいいくらい明るい茶色の、顔もそれはもう派手な顔立ちである。少し多めにおろしている前髪と優しい眼差しと口調が派手な顔をかくしている。
しかしながら派手な顔に見合って、成績も諸々の交友関係もなかなか目立つ少年である。
普通にしていたら、けして関わりにはならない二人であったが、二年の今年、同じクラスになり数カ月後に席替えで隣になり少しずつ話すようになった。
「明泉さんて、親戚の洋菓子店を救ったことがあるってホント?」
ある日、教科書を忘れてしまったと辛島から言われ机をくっつけて授業を終えた時。いそいそと机を放してる時であった。
「どこで聞いたの?それ」
「父さんから聞いたんだ。僕の父さんパティシエしていて、三枝町で洋菓子店してるんだよ」
そういえば辛島侑征の夢はパティシエらしいとふと思い出した。三枝…といえば洋菓子店は一つ。
「もしかしてPatisserie Mimi?一回食べたことあるけどすっごい美味しかったよ」
Patisserie Mimiといえば、少し大通りからそれたところにあるがその美味しさに毎日駐車場は満杯、休日は行列当たり前の洋菓子店である。下手をすれば平日も行列覚悟の時もある。
「ありがとう。で、さっきの話だけどね」
「あ、救ったって話?」
数年前まで閑古鳥洋菓子店であった叔父の店。まだ小学生だった頃叔父が落ち込みながら持ってきた洋菓子に少しの装飾の要望と味見のコメントした所、なにか思いついたようで採用した所それがヒットして持ち直したという話。
実際は感想を基にしただけでふんわりと面影が残っている程度である。
「僕もね、将来店を継ぐんでいろんな人の感想欲しいなって思ってたんだけど、明泉さんの話を聞いた時にぜひお願いしたいと思ってたんだ」
まさかの申し出である。しかしあの名店の名を継ぐ人間に感想を求められるなんて、美味しい誘惑と秤にかけてもなかなかに首を縦には振れない。重責を感じる。
上記のことも含めて話したが、それでもなお辛島は味見してほしいと説得するのだった。
しつこいが、あの名店の味を継ぐ人間の洋菓子が食べられるなら…と蜜は了承し、辛島はメレンゲのように甘くやんわりと微笑んだ。
ちなみにかの名店、手に入りづらいこともあるが、なかなか食べられなかったのはやはり叔父が同じ系統の店をやってるので心情的に買いづらいというのもあった。要するに大義名分を得た瞬間でもある。
昼休み、友人たちにこの事を話すと羨ましいとおかずを強制的に交換させられ、Patisserie Mimiの息子だったんだよと鼻息荒く言えば一様に知らなかったの?と呆れられてしまった。なんで話してくれなかったのと問えば有名すぎて逆に話題にしなかったのこと。
そんな訳でそれから数ケ月、週にニ、三回ばかり家庭科室に集まるのが日課になっている。
「チョコはもう少し甘さが控えめなのがいいかも」
「ふむ」
蜜が試食をする時、辛島はじっと蜜を見ている。少しくらい視線は外してくれたほうが食べやすいんだけど…と思ったものだが最近は慣れた。
クリームが唇に残った気がしてぺろりと舌で小さく舐めとる。
一瞬、辛島は目を細めたが蜜は気づかない。
「あ、でも美味しいのは美味しいからね。こういうのってほんと人それぞれだから…私の感想役に立ってる?」
「もちろん、…あ」
ふと合わせていた目線を下にさげると組んだ腕を伸ばした。伸ばされた手はそのまま適度に腹を満たされ少しばかり思考能力が落ちた蜜の口元にすっとかすめてブーメランのように辛島の口元に寄せられた。
行きと違うのは指先にクリームが乗っていた事。そのクリームも辛島の口に溶けていったが。
「クリーム付いてた」
蜜のもっぱらの人となりはマイペースだの思考が人よりずれてるだの褒められているか首を傾げてしまいたくなる表現ばかりであったが、こればかりはさすがに顔が赤くならざるをえない。
「か、辛島くん…口で言えばわかりますから…」
口にクリームなんてなんて子供っぽいのだろうと顔が羞恥に染まる蜜。
クリームがついていた場所がなんとなくむず痒くなって、手でゴシゴシとこする。
「ごめんね。つい」
笑みを崩さず少し眉を下げて謝罪された。彼はいつも微笑っている。別に始終という訳ではないのだが、蜜が思い出す辛島はいつも微笑っていて、接客にもピッタリだなぁといつも思っていた。
「じゃ、帰ろうか」
「うん」
同時に立ち上がり、片付け始める。
二人は駅まで一緒。それからのぼりとくだりでお別れである。家まで送ると言われたけれど、まだ明るいし蜜の家まで行って帰るとなるとけっこうな時間になるのでそれは丁重にお断りした。
駅に着いたら十数分徒歩で帰る。少しばかり洋菓子と付き合うようになったことによる増えた脂肪へのせめてもの抵抗である。
さて、辛島は美形である。そのことについては蜜はさほど気にはしてないが、他の…特に女子に関してはそうはいかない、前述のとおり彼はなかなかの人気者である。そういう訳で放課後の恒例行事が始まって良いことばかりではなく少しばかり面倒なこともある。
移動教室のため蜜、他友人と廊下を談笑しながら歩いていた所、すれ違いざまにドン、と衝撃が走る。不意打ち過ぎてよろけ、友人は大丈夫かと咄嗟の事にもかかわらず支えてくれた。
ぶつかった人間は、立ち止まることはおろか謝罪すらもせずにそのまま教室へと入っていった。
「ブース」
置き土産を残して。
「なっ!」
驚きと怒りの声を上げたのは友人である。
「なんだよあれ!」
「あーいいよいいよ」
「ちょっと蜜!悔しくないの!?」
「まあぶつかった子に比べたら確実にびじんではないので。でもブサイクかどうかは判断したくないわ。お父さんお母さん悲しむ。あ、支えてくれてありがとね」
取り繕う風を全くもって感じさせずケロッとした口調で言うもので友人は毒気を抜かれてしまった。
「辛島くんのお菓子食べるようになってから多くなったんだよね」
「あーそりゃーね」
「みんな、辛島くんのお菓子が食べたいのかな」
そりゃもう大手投稿レビューサイトで何年も連続一位を取って殿堂入りした店の後継者だもの。
「違うでしょ。あの辛島と一緒て方でしょ。試食は割とオプション!」
「そうなの?美形なのは認めるけど顔でお腹は膨れないのに」
「そりゃあ、彼女が途切れたことのない辛島が今はフリーでチャンスってのに、全然誘いに乗らないくせに蜜とは一緒だからだよ。要するに蜜は邪魔だし付き合うんじゃないかってハラハラしてるって事」
友人のばっさり言い切る性格はきついが嫌いではない。強制おかず交換にも唯一参加しなかったことは今でも感謝している。蜜はそうなんだと合点がいった様子で頷いた。
「ふぅん。でも辛島くんの歴代彼女すごい可愛いか綺麗な子ばっかりって辛島くんの友達言ってたよ」
教えてくれた名前はさすがの蜜も知ってるほどの、それもう洋菓子のように華やかで可愛いキラキラした粒揃いの子ばかりであった。中には年上の人だって。
ちなみにその発言をした友人はそのあとすぐに辛島本人と引きずられるように用事があるからと教室を出て行った。
「元々お菓子の意見が聞きたいって目的があるし、その歴代の子たちから想定しても私は照準外だよ。うーん、いっそ呼び出しとかあったほうが説明しやすいかなー」
「そりゃ…。やめときなよ…」
「そうね。やっぱ呼び出しって怖いし」
ほんの数分の間に繰り広げられた会話に見えた双方のズレに疲れを覚えた友人は、目的地到着による会話の切り上げにそっと感謝した。
ただ意見を聞きたいだけで隣になった同級生に数ケ月もお願いするだろうか、特別な感情とかあるのではないかなどと思っているが、悲しいかな出物腫れ物関係は素人レベルだし、そもそも部外者であるから自分の意見があったところでどうということもない。
色々思考していたが、本鈴により強制中断と相成った。