13-098.なぜ俺なんだ
「……黒衣の不可触か?」
ヒロは確認するかのように問いかけた。傍からみれば、こんな状況で問うには些か間の抜けた台詞ではあったが、ヒロにはそんなことにまで気を配る余裕はなかった。
だが、黒衣の不可触は何も答えることなく、一旦下ろした右手を再び上げ、ヒロを指さした。三日月型をした仮面の口が不気味な笑みを浮かべている。
「待て。俺はエマからの帰りでウオバルに戻るところだ。ここを通りたいだけだ」
ヒロの顔が緊張で強ばる。
(なぜ、黒衣の不可触がここにいるんだ。自分から仕掛けることはないんじゃなかったのか)
ヒロの脳裏にぐるぐると思考が駆け巡った。打開策を懸命に考える。だが、ヒロの頭がその策を弾き出す前に事態は進行してゆく。
――ビュゴッ。
再びヒロの左脇を風の刃が通り抜ける。背後で幹が引き裂かれ、小鳥達が脱出のさえずりを響かせる。
(ちっ!)
話が通じない。もしかして喋ることが出来ないのか。そんな考えも頭を掠めたが、この状況では無意味だ。筆談をするにしても、そんな道具も、暇もない。そもそも、ヒロはまだ満足に、この世界の文字の読み書きが出来ないのだ。
ならばと、ヒロは、万一の可能性に掛けて、念話を試みた。だが、黒衣の不可触は何の反応も示さない。
(駄目か――)
ヒロは、ちらと左右と後ろを見やって、逃げ出せないかと、タイミングを計った。しかしここは一本道だ。来た道を真っ直ぐ戻って逃げるのが一番簡単だ。しかしそれでは黒衣の不可触に背中を見せることになる。その時に魔法で攻撃されてしまったらアウトだ。ならば、左右どちらかの林の中に逃げ込むか。ヒロは躊躇した。
ヒロが片足を半歩後ろに引いた。その瞬間、ヒロの頭上と左右を目に見えない風の刃がひらめいた。刃は周囲の木々を何本もなぎ倒していく。
もの凄い威力の魔法だが当たらない。ヒロは黒衣の不可触の攻撃が掠りもしないことから、意外と命中率は低いのではないかと淡い期待を抱いた。だが、切り倒され木を見て、直ぐにそれは間違いだと気づいた。
左右の木々は鋭角に切り取られ、山道に覆い被さるように倒されていた。幹が何本も折り重なるように横たわっている。明らかに意図してやっている。無論よじ登って越えられないことはないが、それでは攻撃の的になるだけだ。
(逃がしはしないということか――)
殺る積もりであれば、不意を突いた最初の一撃で間違いなく致命傷を負わせることが出来ただろう。それは、今、切り倒した木で路を塞いでみせたことが証明している。適当な攻撃ではこうはいかない。幹を切る位置、角度共、十分に計算されたものだ。
つまり、これ見よがしに周りの木を切り倒して路を塞いで見せるのは挑発しているのだ。黒衣の不可触はヒロに勝負を挑んでいる。それが分かってヒロは一層困惑した。
――なぜ俺なんだ。
答えの出る筈のない問いがヒロの頭の中を埋める。
ヒロは輪廻の指輪の力で魔法を使えるようになったとはいえ、まだ初歩の段階だ。縦横無尽に使いこなしているわけではない。しかも相手は、スティール・メイデンが束になって掛かっても、傷一つ負わせることが出来なかった黒衣の不可触なのだ。すでにこの辺りの冒険者で最強といっていい。ヒロは明らかに分の悪い相手だと歯噛みした。だが、既に選択肢はない。ヒロは覚悟を決めた。




